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社会人一年目日記

今年から社会人になった。長い長い長すぎるけれどそれでも足りない学生生活を終え、社会の一員に仲間入りした。

今までアルバイト経験はあったが、会社員になるのは初めてで、3月後半は不安でいっぱいだった。入ってみると思ったよりも自由で思ったよりも不自由だった。

学生の頃のように平日の昼に散歩することはできないし、学生の頃のように自分の人生だからといって私生活でヘマをすることは許されないし、時間に驚くほど縛られるようになった。常に会社の一員であるという事実を背負って、「常識」ある行動を取らなければならない。日系の会社に就職したので、細かいルールも数え切れないほどある。メールのマナー、お客様と接する際のマナー(エレベーターや階段を乗り降りするときの順番まで決まっている)、上司への報告マナー、徹底的に時間を守ること、学生と違って80%の完成度ではダメなこと。挙げればキリがない。

そして入社直後は、プライベートの時間までも奪われてしまうことに恐怖さえ感じた。「歓迎会」という名の下開催された飲み会は、どうも性に合わず(飲み会がそもそもあまり得意ではない)、「これに参加するくらいなら友達と会うか一人で好きなことしたい」と終始考えてしまい、せっかく歓迎会を開いてくださっているのにそういう思考に至っている自分に嫌気がさした。飲み会の帰り道は毎回泣いた。気を使うのにも凄まじい気力を使うし、あの時間を無駄にしたかのような虚無感と心から楽しめない自分への嫌悪感で消えてしまいそうだった。また、退勤後も鳴り止まない社給スマホの通知にはうんざりしてしまった。そもそもこんな時間まで働いている社員が身近にいることが嫌で嫌で仕方なかった(このnote、色々過去形にしていますが現在進行形です。現在進行形で書くと現実に耐えられなくなりそうなので過去形にしています)。

就業時。申し訳なさでいっぱい。何もできないから。会議に参加しても出てくる単語がさっぱりわからず、正直退屈だった。上司の時間を奪ってまで、わからないことを質問することに躊躇う。議事録を取ってと言われても、単語がわからないのでそんな簡単な仕事さえもできない。そして対価に見合った仕事ができない自分にもまた嫌気がさした。自分は先輩社員の負担でしか無いという事実がこれ以上ないほどに重く心に刺さった。

ただ、社会人になって唯一良かったことを挙げるとするならば、些細な幸せを見逃すことなく拾い上げることができるようになったことだ。

まず、「お疲れ様」の6文字がこんなにも身に染みることを初めて知った。金曜日の喜びは自分がこのまま天に召されるのでは無いかと信じるほどだ。自分で作るご飯は美味しい。街に凛と咲く花々は愛おしくて可愛い。特にこの梅雨の時期は紫陽花が心の支えだ。少しの運動も心身の健康にとても良いと思う。頑張った分、その日の夜は自分をこれ以上にないほど甘やかす。帰り道に花を一輪買って、お風呂に浸かり、少し良いボディソープとボディクリームを使い、美味しいご飯を作って食べて、キャンドルやお香を焚いて、間接照明の微かな光によって照らされる本の文字を追う。学生の時よりも金銭的な余裕ができるので、少し良い日用品を買ってみたりする。土日は最高だ。午前中はひたすら寝てもいいし、早く起きて散歩するもよし、掃除するもよし、パンケーキを焼くもよし、コーヒーを淹れるもよし、そんな日常が愛おしくて愛おしくてたまらない。

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こうして休日と平日でなんとかバランスを保って、小さな幸せを噛み締めながら生きている。

日曜日の夜はまさしく「サザエさん症候群」が現れて、次の日が月曜日であることに涙が止まらなくなる。でも、日常は尊くて愛おしいものだ。人生は山と谷の連続だ。今はうまく行かずとも、今後何が起こるかは誰にもわからない。とりあえず三年は今の会社に勤めようと思っているけれど、いつやめてもいいとも思っている。そんなふうに考えることができるようになってから、気持ちがかなり楽になった。

私のnoteは、ただの自己満で日記で吐口だ。でも、それに付随して、私と似たような状況にいる誰かの本当に些細な支えになれたら、と強く願っている。今、もしも私と似たような状況にいる人がいれば、「人生は長いようで短い」、「人生は短いようで長い」、「百年後には私もあなたもあなたの上司もいない」だからこそいつもとは言わずとも、時には自分を大事にして自分を最優先にして世間体や未来などを気にせず好きにしてみても良い、そんな選択肢があるということを全力で伝えたい。

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仕事よりも名声よりも富よりも地位よりも、心身の健康に優る財産はないと思う。前記のものは全て、心身の健康のもとに成り立つから。

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