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老いについての本音/徒然

最近、顔のむくみとか、体重が一気に増えるとか、
WEB会議上での自分の顔がひどいと思ってしまうとか。
要は老いを、ものすごく感じる。
今日だって、本当はまだ仕事をしないといけなかったけれども嫌になって終えてしまった。
自分の理想のペースで働けていない。
思うようにできていないことが、情けないと思う。
でも、「理想」であって締め切りを超えたりとか、そういうことは今の所ないから、問題ではない。
でも。
なんだか自分にがっかりするのだよ。

白髪も出てきた。
母は30代中盤からあったように思うから、まぁこんなものだと思う。
むしろほんの少し遅いかなというぐらい。
でも、そのせいで髪を結えないのも確か。
自分自身が、それを見てがっかりするから。

かつて教わった事に激しく同意する。
わたしのシワやそばかすを気にできる人は、親か旦那か恋人だから、そんなに気にするな。ドレッサーに移るくらいの身なりを整えなさい。
というやつ。
多分、今わたしを見ている人はわたししかないない。
とっても納得したし、今もしているけれども、
わたし自身はどうなるの?と思うこの頃。

親よりは長生きしないと、とは思っている。
それだけは本当。
両親に対してどう思っているかは、また別の話として。
けれど、そのあとは???
割と本当にわからない。
独りで生きて行くということ。
人間は独りでは生きていけないとういうこと。
わたしにとっては、いちいち矛盾しているように思う。

このゴールデンウィーク、伏せっていた。
文字通り、ベッドに寝ているのがやっとという状態。
動こうと思えば動けたのかもしれないけれど、動けなかったの。
自分に課した、宿題をやれなかった。やりたくなかったのだと思う。

こういうことにアドバイスや否定や導きをくれる人は、
もういない。

こんな事を娘が思っているとわかるとおそらく両親は悲しむと思うけれど、
それにしてもやっぱり、
全てが「責務」「するべきこと」に思えてしまう。
ろくに連絡も寄越さない兄弟にお祝いを送ること
連絡先も知らない親戚にお金を使うこと
両親よりも先に死なないこと。

こんなことを考えている人間に、
わたしをわたしよりも同じくらいに大事にしてくれる人がいるのだろうか、ということ。
どこかにいるのだろうか。
古い、と言われても、この年代の人間に望みがないと聞くと、
知らない人と話すのも嫌なんだ。
多分仕事最上位の気遣いをしてしてしまって、本当にわたしじゃないから遠からず破綻する未来しか見えない。

臆病だと言われてもいい。
でも、こんなわたしでも
好きな人はいる。一生実らないやつ。

老いとともに視野も狭くなって、自信もどんどんなくなって、
人と関わることが怖くなるから今好きな人を好きでいた方が楽なのだ。
何の望みも無いのにね。

あー、終わり。


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