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20200809

登山。
利尻島という稚内港から45分くらいフェリーを乗ったところにある離島の、利尻山にて登山。
標高1721m、所要時間登り5〜6時間下り4〜5時間という山。
山登りは瞑想と同義と考えている。
自身の精神と肉体を超えた部分で融合するために山に登る。
道具を揃えたりするのはお金も掛かるし時間もかかる、行くまでに色々と困難を乗り越えなければならないし、出来れば行きたくない。が、行かなければならない。行かなければ自分を超えることができないから。

春から夏にかけての体力の低下が著しく、今回の登りはかなりきつかった。集中しすぎていて正直記憶がない。登りは最初の方は体力との闘いだが、途中から肉体を離れてゾーンに入り、精神が身体を引き連れて登っていく感覚がある。そうなると楽というか、どこかに連れて行かれる感覚がある。それが瞑想状態とほぼ同じ感覚だ。ヨガで瞑想に入る時と同じ。
勿論自然の美しさや自然と一体になれる感覚も登山の醍醐味だ。自然とは何か、と最近考えているテーマなのだが、登山道は人の手が加わっておりそれを自然と呼んでいいものかはわからない。が、フランスの庭師ジル・クレマン氏についての映画『動いている庭』で彼は植物の生えている道を庭のために人間が避けるのだ、というようなことを言っていた。登山道は草を刈ったり木を切ったりと人の歩く道を作っているのであり、それは果たして自然と呼んでいいのか?などと考えていた。
ただ、山の中では確実に私たちの手には負えないほどの大きな何かがあり、その中で生かされてる小さな存在であるということを認識する。あまりに自分が小さく弱い存在であり、この小さな脳の中に広がる悩みや苦悩などあまりにも馬鹿馬鹿しいものになる。それくらい広大な自然に圧倒してもらえる。果てしなき山の力。わたしはこれを求めて登るのだが、ほかの山登りたちは何を求めて登るのだろう。色々聞いてみたい。

山頂の景色は筆舌に尽くしがたい感動があり、昨日まで雨で明日も雨予報の合間の今日は奇跡的に晴れており、山頂から島全体や周辺の美しい山々も見渡すことができ、それはもう奇跡としか言いようのない光景だった。
眼下に広がる美しい景色を見ながら山頂で食べるカップうどんの味。コーヒーの味。それぞれの山での味。普段と同じものを食べていても忘れられない味になる。

下りは行きで脚の筋肉の限界量を使用したらしく、ガクガクで棒になっていて登りの倍の時間が掛かってしまった。これは反省。それでも登ってよかったと思えるのが山。

ありがとう山、今回も実り多き登山となりました

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