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満たす、満たされる

満たすことで満たされるのって危ういことなんだろうか。満たされたいとはたぶん皆思っていて、満たされるために何が必要かは人によって違うくて、私は誰かの「認めてほしい」を満たすことで自分も満たされる(自己満足)なと思うのだけれど、それって依存をうむという意味で双方にとって危ういことなんだろうか。

なんてことをぼんやりと。
卒論のテーマがテーマなので、恋愛/性的指向の話とか、おやこの話とか、結婚の話とか最近はよく考える。まだ世間一般の「若い」の範囲にいる私が嘲笑の対象になるのは何年後のことか、と考えるとはやく地盤を固めて自分のことを許せるようになろうと思う。若さで周囲を殴れるうちにやれることはなるたけやっておかなければ。

「男のせいでできた寂しさは男でしか埋められないんですよ」と後輩が口にしていて、そうなんだ、と思った。彼女はヘテロなので「男」が指すのはつまり性的指向と恋愛指向を同時に満たす相手という文脈だったと思うが、私にはその感情が分からない。ペットを失った悲しみは新しいペットを迎えることでしか埋められない、みたいなもんだろうか。彼女は「相手を満たしたい、極端にいえば自分無しで生活できないくらい自分のことを好きになってくれる相手がほしい」みたいなことを言っていて、やっぱり恋愛観って人それぞれなんだなぁとあらためて思うなどした。彼女のその話を聞いて「それって恋人作るんじゃなくて子ども育てれば解決なんじゃないの」とかすぐに思いつく自分も自分だなと思う。光源氏になったら?と言ったら「そういう事じゃないんです!」と怒られた。そりゃあそうだ。

恋人への愛と家族愛の違いが分からない私にとっては何のおふざけのつもりもない純粋な気持ちからの言葉だったけれど、普通の、普通って言葉も難しいが、恋愛観を持つ彼女にとっては私の言葉は面白い冗談に聞こえただろうなぁと思う。
「ごめんね頭おかしくて」と言ったら「いいんです、そういう考え方もあるんだって思うから」と言ってくれるめちゃくちゃ良い子だ。どうか幸せになってほしい。

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