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ジャグアタトゥーと好みの話

他人の想像の幅を超えないことが、つまらないと感じるらしい。最近になって気がついた。

恐らくは趣味嗜好に限定されている。
「〜が好きなんだ」と言ったとき、「ぽいね」と返されることが、たぶん、面白くない。

えぇ…?それの何が不満なのか自分で自分が分からない。相手がイメージを押し付けるようなことを言われたときにそう感じるなら分かるけれど、相手は私の言葉遣いや立ち振る舞いから「印象」を持って、それが実際の「中身」の一部と合致していた、それってむしろ嬉しいことなのではないのか……??いや、「嬉しい」…?それは私にとってか?相手にとってか?


友人がジャグアタトゥーのアーティストをしている。ジャグアタトゥー(ヘナタトゥー)、2週間程度で落ちる、インクで角質を染めて模様を描くタトゥーだ。
友人の好意でよく描いてもらうのだけれど、それがとても可愛くて、気分が上がる。
けれど、一見して刺青とジャグアタトゥーの見分けはつきにくく、日本で刺青は偏見の目で見られがちだ。私は、どちらもカッコよくて可愛いと思うけれど。

黒髪でぱっとしない私とタトゥーは、一見してなかなか結びつかない。私がタトゥーをいれている(実際はジャグア)のを見ると、みな驚いたような顔をする。「そういうのするんだ、意外」とはっきり言われる時もある。それが何だか小気味よいのだ。口が悪いが「ざまあみろ」と思うというか。

タトゥーだけでなくて、いつもと違う服装や髪型をした時も、「そういうの、好きなんだね」と言われると妙にスっとする。別に私がパンクな服を着たっていいでしょうよ。タトゥー入れてたっていいでしょう。へーんだ、貴方が思ってるより私は好きなものが多くて自由なんだから。


「好み」はもの選びの軸と言うより、統計に過ぎないと思っている。「好み」だから選ぶんじゃなくて、選んだものの共通項が「好み」になっただけ。それから外れているものがあるのは当たり前。思っているより、色んなものが好きですよ。私は一貫してるより、よりみどりのほうが楽しいもの。

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