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失敗しても死なないよ

私に何が出来るだろう。

1日に一度は、そう考える。

私に出来ることはなんだろう。


就活を始めたきっかけは、教員免許取得を諦めたことだった。

3年生の夏が来るより前に、自分で母校にアポを取り実習の許可を得る内諾活動。コロナ休校を言い訳に先延ばしにし続けて、大学がどうにかしてくれるだろうという甘っちょろい楽観視を持ち続けて、気付けば10月になっていた。大学側の宣告を受けて初めて、自分が教員になる覚悟も意思もさらさらに無かったことを思い知った。教員志望じゃなくても免許は取っておいた方がいいとかみんな簡単に言うし、実際それを達成している人も多いのは事実だけれど、私にとっては、免許をとるってそんな簡単な事じゃなかった。いや、私はそれをただ甘く見すぎていた。教員になる覚悟も、実習をしながら就活もする覚悟も、なーんにも、私にはなかった。そんな人間、そりゃあ上手くいかんだろうなって、今は思う。これが、最近の私の大失敗。

今はもう何とも、というか気持ちに整理がついているけれど、免許取得の断念を決めたときの私は丸2日くらい使い物にならなかった。ベッドから出れないし、連絡も一切返さないで、ただ眠って、思考を吹き飛ばそうと動画を見て過ごした。こんな失敗、二度としたくないと思って就活を始めて、でも光は見えなかった。教員にならないなら就活しかないなんてロックされた思考でがむしゃらに就活を成功させようとして、もがいて、何度も心が折れた。そこからいくつか出会いがあって、世界が少し広がって、少しだけ自分が変わって。安定と引き換えに、自分に合った道を選ぼうと思えるくらいの今の私に至る。

大失敗した、と思う。
でも、起こるべくして起こった失敗だな、とも思う。

正しい選択をしたかどうかって、結果論でしか語れないと思う。選択した瞬間に正しいか間違ってるかは決まらない。クイズじゃないし。選んだその道をしばらく歩いてみて、あの時の選択が正しかったなって初めて言えるんだと思う。それなら、どんな選択をしたって、自分がその道を全力で正解の道にしちゃえばいいんだと思う。

でもそれはきっと自分で選択したからできることでもあるんだろうな。自分で選んだつもりでも実は環境が選ばせてたり、人が選んだものに乗っかっただけだったり、そういう選択の仕方だとどうしても、正解に出来なかった時に自分で責任を取れなくなって、誰かのせいにし続ける辛い状態になっちゃうのかもしれない。


失敗は怖い。
今までほとんど失敗してこなかったから。
勉強できたし、真面目でスカートの裾もあげたことなかったし、学校にメイクしていったりもしなかった。優等生だったし、いい大学にも行ったし、成績も優秀で、失敗なんてしたことない。


あれ、私、失敗して良かったのかもしれない。


あそこで失敗してなかったら、まだ失敗することを恐れて、自分を自分で苦しめていたかもしれない。折角ここまで失敗なく来たのに。ここで間違いたくない。就活で失敗するな、先生として失敗するな。失敗したら死ぬぞって。



死なないよ。今はわかる。
人間って案外丈夫にできてる。
人生って、まだ21年しか生きてないけど、たぶん上手いことバランス取れるようにできてる。
失敗したら、何かを失ったら、その分なにかが得られるようにできてる。たぶん。


だから失敗しても大丈夫。


失敗しても死なないよ、私たち。


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