好きに理由はない…たぶん

preの方のPMSが落ち着いて、なんとなく心はいつも通りに戻りつつある。身体の方はまだしんどそうにしているけれど、ひとまず心だけでも浮上できれば色々とやりやすくなる。

今日は何を書こうかな。そういえば、好きな人に向って好き!と叫ぶ毎日を送っているけれど、「好き」をはじめとして感情というものに理由を求めることは難しいなーと最近は思うようになった。すぐになんで?を考え始める私だから、いつも「これ好きなのは何でだろう」「もやもやするのは何でだろう」「嬉しいのは何でだろう」とか、感情のひとつひとつが生まれた理由を考えている。感情、と括るとまた訳が分からなくなるけれど、この中には答えが出るものと出にくいものがあって、私が今まで「答えが出るもの」だと思っていたものも、実は後付けでほんとじゃなかったのかもー?と思うのだ。

「好き」の理由をよく考える。どうしてこの人が好きなんだろう、とか。それで、「ここが好きだからだ!」と私は答えを出していた。でも、どこが好きか、ということと、なんで好きか、は違うんじゃなかろうかー、と思ってしまった。どこが好きか問題は、「その人が好き」というおっきな前提の中の、小分類というか?でも、それを言い出すと「じゃあなんでその人のそこを好きになったの?」と思うわけで、そうなったらそこから「じゃあなんで?」「じゃあなんで?」と、ずーっと同じ問いを無限に繰り返すわけで。あれ?答えどこいった?…と、私は思ってしまい。

好きの理由、ないじゃん。
と、結局そんな結論に至った。

好きは本能的で直感的なもので、理由があって生まれるものじゃないんだなーと、とりあえずは納得。どこそこが好き、というのはあとから気付くというか見つけてしまうもので、「惹かれる」こと自体には理由はないのかもー?

そんなことを考えて、結局、感情に理由を求めるのは大変だからするもんじゃないなーと。そんなことを思う。というか、こんな取り留めない思考を文書に起こせるくらいには余裕が出てきたことがちょっと嬉しい。うんうん。私は私を取り戻しつつありますよ!

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