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友だち推し

昨日からずっとふわふわしている。
想いをぶつける先がなくて、無いというか遠くて、ずっと自分の中に抱えている。ずっと好きな人のことを考えている。長いゲームをクリアしたあとの余韻と、エンディングが少しだけ不本意だったときの切なさみたいなものが、ぐるぐると自分の中を巡っては最終的に好きな人の顔になって思い浮かぶ。

推し、というものについて最近は考えている。
人によって違う概念だ。私にとっての「推し」はどんなものだろうか。宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』を読むのが怖いのは、推しが炎上するというシチュエーションに自分が感情移入しすぎるのを恐れているからだと思うけれど、推しがそれくらい私にとって"背骨"というべき存在かと言われると、それも何だか首を傾げたくなる。

「推し」は好きな人のこと。好きな人は、推し。そうすると私にとって家族や友だちも「推し」ということになるだろうか。いや、実際そうかもしれない。みんなに同じように好きの感情を持っているから、好きな人はみんな推しかもしれない。

画面の中や、ステージの上にいる人たち。むらさき色を纏っている人が多い、私の「推し」たち。好きの理由は後付けだと思っていて、彼らを好きだと思う気持ちは直感的で「なんとなく」なものだと思う。そんな感情と、普段から、友だちやそのほかの好きな人たちに対して思う、好きの気持ちに、何の違いがあるかって思ったら、無いかもしれない。好きの深さは人によって違うけれど、やっぱり種類は一緒。やっぱり私の中には一種類の好きしかないらしい。

さて、余韻に浸るふわふわ感から抜け出すには、推しの動画を見漁るのがいちばんだということで。不本意なエンディングのダメージから精神的に回復するまで推しがでている動画を見続けてきます。

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