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好きか嫌いか、その先へ

本日は私の幼少期から今に至るまでの考えを振り返らせてください。

2020年5月、コロナ禍で外出自粛をしていた時、
私は以下の言葉を受けた心情に対し違和感を感じていました。

「好きを仕事にする」
「好きこそ物の上手なれ」


嫌いなことはしなくていい。先日までこの言葉を信じ生きてきました。
事象Aは好きか嫌いか、0か1かと言う価値基準で振り分けていました。

私はこの思考になったのかに対して、疑問を抱き、
なぜこの思考になったのか教育方法&エピソードと照らし合わせて回想してみることにした。

[記号の意味]
■:教育方法、大テーマ
◎:エピソード、小テーマ
>>>:今だから昔の自分に対して言えること、考えること

=>YouTuber兼経営者のまこなり社長が勧めていた方法です。これを意識するだけでメモが見やすくなった☺️


■幼少期の教育「好き嫌いはだめ」
◎将来の夢は、にんじん屋さん
 みんなが人参を食べれなくて泣いている頃、私はその光景を見て人参が好きになった。人参の美味しさを知ってもらう「にんじん屋さん」になろうと小学1年の石田少年は考えていました。
>>>ここで芽生えてた自我は、好きか嫌いかを判断する際、みんなが嫌いなものを好きになることは褒めてもらえる。どうせなら全部好きでいいじゃん。

◎サッカーよりもお笑い
 サッカークラブの練習中にあるコーチから「練習よりもお笑いをしろ」と言われ、自分でネタを考えみんなが試合に夢中になっている時にそれを見にきた家族の方々に披露した。活動範囲を広げ、自分でお笑いクラブを作って昼休みを使って発表会を毎週していた。
>>>この体験は意識的に行動することで誰かを笑顔にでき、さらに注目を集められると認識できたものとなった。

◎好きだけど嫌い、初めての初恋
 中学生になり初めて出来た彼女。入学してから数週間しか経過していなかったため、すぐさま学年全体に広まった。それが初めて意図せず注目される出来事だった。みんな(友人たちの数人)からの注目によって恥ずかしいと言う気持ちが芽生え始めた。
>>>それまでは想定内の出来事ばかりであったことがわかった。現実と理想の違いに気づき始める。

■青年期の教育「自分の決めたことをしなさい」
◎壇上での演説パフォーマンス
 人前に立って話すことが苦でない私に担任の先生から生徒会執行部の推薦があり、全校生徒の前で演説することになった。そこで台本の末尾がごっそりと記憶から抜け、みんなからダサいと言われた。そして、当選し数ヶ月後の演説で壇上に上がり、マイクの電源をOFFにしてから大声で宇宙飛行士ニール アームストロングの言葉を語り全校生徒へエールと感謝を述べた。
>>>失敗は成功の素だと感じ、自己肯定感が爆上げした瞬間だった。

◎突然任せられた責任、そして意識的に獲得した責任へ
 高校も生徒会に入り、先輩たちと交流が深まり始めた頃、文化祭の企画担当者を決める会議に体調不良で欠席していたために空いたところに任命された「大きなもの企画」。大きなもの企画とは、文化祭に来てくださった方が驚くようなモニュメントを作るといったものであり、毎年工夫を凝らした展示がされている。企画会議でリサイクルをメインにした展示にすることが決まり、全校生徒からペットボトルを集めることにした。しかし、文化祭前に2つの課題にぶつかった。1つ目にペットボトル製作にあたって数が足りない。2つ目に費用が予算いっぱい使った割に見た目が悲しいものだった。これに猛反省し次年度も企画担当者に立候補し、途中優秀な後輩に怒られたりもしたが結果的に大成功だった。
>>>失敗を成功に導くには仲間との協力が不可欠。今でも年齢に関係せず優秀な後輩に会えた環境に感謝している。

◎宇宙飛行士への夢が途絶える
 2度目の文化祭が終わってから、本気で宇宙飛行士になろうとアメリカの大学へ行きパイロットになろうと思っていた。そのために留学エージェントに登録し英語の試験対策や留学の準備を着々と進めていた。しかし、渡航費用や授業料について父と話していなかった。話し合った結果、パイロットになれなかった場合を聞かれた時に何も答えられない。また費用があまりにも高額なため断念した。
>>>人生をやり直せるならば真っ先にこの時点に戻して欲しいと思うくらい後悔が多く残っている。確かに飛行士としての夢は途絶えたが人生のゴールは変わっていない。

◎非現実の連続を求めて
 なんとなく日本の大学へ入学し、やったことのないボランティア活動、ボランティア啓発活動、ベトナム・ハノイ の学生とPBL、エンジェル投資家の講演会、プログラミング、休学、海外インターンシップ、IT修行、復学、研究、地方創生インターンなど様々なことに挑戦できた、いや、周りの方々の助けもあったからチャレンジすることができた。
>>>非現実が日常へとなりかけている瞬間の別れは辛い。別れた後も

■振り返り
 FBでいいね(Like)をされた時、様々な理由が考えられる。投稿した内容に対してなのか、投稿者が投稿したアクションに対してなのか、、何に対しての「いいね(Like)」なのか。色んないいねがあってもいいと思う。ここであえてSNSのメリットは潜在的な意識が他者によって言語化や映像化された時に人間(ある種のアルゴリズムの可能性もある)の繋がりを感じる。
逆に、デメリットとして好きをベースにした構造は均衡よりも同調主義という傾きを助長する要因になる。 
 この「人間関係≒SNS」となってきている時代、この意見を言いたい。

SNSは好きか嫌いかで評価するが、
人間関係はそれに加え
浅いか深いかそれ以外かである。


もし仮にSNSが人間関係を模したものならば今後SNSは発展せざるを得ない。
好きか嫌いかという0か1かというバイナリーな感情は
ロボットにでもやらしましょう(笑)

私は激動な時代の渦中にいることに幸福を感じ、
自分のプロダクトで身分や生まれに関係なく笑顔にできるのか
を問い続けたい。

 読んでいただきありがとうございました🙇🏻‍♂️
 この文章から私がどんな人間か知っていただけたら嬉しいです。

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