「沈黙」の感想

映画「沈黙 -サイレンス-」の感想です。

原作を読んだことがないので、映画のみの感想となります。
http://chinmoku.jp

監督はマーティン・スコセッシ。
それなりに期待してはいたけど、作品の質の高さに驚かされる素晴らしい映画でした。

マーティン・スコセッシと言えば、「タクシードライバー」とか「ギャング・オブ・ニューヨーク」とか、「アビエーター」とかアメリカ的感覚を表現した、大作が多いイメージがありますが、「キリスト最後の誘惑」とかチベット仏教について描かれた「クンドゥン」など、宗教をテーマにした作品もいくつか作られています。

彼自身も敬虔なカソリックの家庭で育っているらしいし、そんなバックグラウンドのある監督が、どんな風にキリスト教徒弾圧をテーマにした作品を映像化するのだろう?って思ってたんです。

欧米諸国がこの時代の日本を描くと、凶悪な幕府に、無知な日本人って感じに仕上げられるんじゃないか?
ヘンテコな日本に描かれるんじゃないか?とか・・・

そんな心配は全く必要のない映画です。
日本文化に対するリスペクトを感じました。

監督自身、26年前に「沈黙」の映画化を考え始め、いろんな問題で制作まで時間がかかったようですが、映画や文学以外からも日本文化を学ばなければ、この映画は作れないという思いがあって、「25年にわたる試行錯誤の学びの旅」が始まったのだそうです。

そのため、日本人も納得の、1600年代の長崎が描かれています。日本側の文化や思想もバッチリです。役者も、日本人役を中国人アクターで適当に制作したりしてません。

そして何と言っても内容が濃い!

人により、色々な見方や感想があるかもしれませんが、私からは、勝者であるキリスト教徒のおごりを諌める部分も含まれているように感じたので、欧米のキリスト教徒の方たちの方が見て心地悪いかもしれません。

当時の幕府は、キリスト教の布教が、植民地化の足掛かりであることを充分にわかっていました。
貧しい農村のキリシタンが信仰するものが、宣教師なくしては別のものに変容してしまう事も見抜いていました。

私が日本人だからか、宣教師の主張よりも、弾圧する側の藩の言い分の方が、むしろ納得できちゃうんですよね。
藩の人間のセリフも、知的で筋の通るきちんとした脚本になっていました。

ポルトガルから来た宣教師達は、何年も日本に住みながら、教えるばかりで日本の事も日本人の事も何も学ぼうとしない。
長く住んでいるのに、覚えた日本語は「ありがたや」のみ。長崎のキリシタンが食べるものと同じものを口にしたがらない。日本にはポルトガルとは違う文化の土壌があるのだという事をなかなか認めようとしない、などなど

宣教師を殺すことは簡単だけど、そうすることをせず、上から目線の傲慢さを幕府は壊していくんです。

やり方は残酷ですが、殺害されるキリシタンを助けるよりも、自分の信仰を貫いて苦しんで殉教すること望む、そんな気持ちを潰していくんです。

この映画のテーマの中の一つは「真の信仰を取り戻すため自分の信仰を捨てる」だったらしいです。
これは、遠藤周作の描いたテーマなのかもしれませんが、このテーマは映画での表現も成功していると思います!

キリシタンに改宗した日本人は別として、日本人の宗教観は昔からとても緩いので、彼らの頑なな心は、他の日本人からすると理解不可能なことだったのではないでしょうか?
目の前で家族が殺されてても、踏み絵が踏めないって、藩との戦いではなく、自分との戦いにしか見えない。信仰がなければそんなに苦しまなくていいのに、と。

自分を縛ることが本当の教えでないことは、信者じゃない人の方がよく分かりますよ。でも信仰している人には物凄く大きな問題で、物凄く大きな苦しみなんです。

本当の信仰とは、上から教えられるものでもなければ、決まった形式がある訳でもなく、形や行為として表せるものでもない。よって、奪う事も出来ない。

形(行為)による自分の縛りを止めたとき、そこに気づくんだろうな、と。
最後の最後で、そんな事を感じました。

それから、
映画の中で、先に棄教したフェレイラ神父が、主人公のロドリゴ神父に話す場面があります。

「この日本では一神教の神を信仰する土壌がない。」
「日本人は自然の中以外に神を見いだす事ができない」

私にはこのセリフが印象的でした。

子供の頃から持っている、その土地に根ざしたものの見方や感覚が全てベースになっていて、全く新しい教えやアイデアも、元から持っている見方を通して吸収されるのだろう。と、そう思います。

またこの映画、エンドロールでの音楽はなく、虫の声、波の音、風の音、自然の音になっています。それも凄い!って思いました。

これもスコセッシの演出で、以下のような思いがあったようです。

初めは三味線や琵琶の音色を使ってみました。
しかしそれだと、結局は日本映画の影響を受けた西洋人の解釈に過ぎない。
(中略)
日本人は自然に対するとき、西洋人のように、素晴らしい音楽に酔いしれるような態度をとらない。
我々は自然の中から生まれ、帰っていく。
我々も自然の一部なのだ、という感覚を持っています。そこにとても感心します。
また、散っていく桜に “あわれ” を感じる日本人の死生観にも魅力を感じます

ここまで日本を学ばれてるからこそできた作品なんだな、と思いました。

世界の知覚の仕方が、そのまま宗教観にも結びついてると思います。一神教の神を信仰すると言うのは、日本人には難しいのかもしれません。

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