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ホログラフィー原理 (おまけ)

本記事は以下の記事

のおまけです。ちょっとしたエッセイです。

情報喪失問題やホログラフィーは不思議

「ホログラフィー原理(1/1)」の記事では、私の少ない知識の範囲で情報喪失問題に関して述べました。漠然とした議論だし、包括的でもないので疑問も多いでしょう。例えばあなたが、重力、場の量子論、およびHawking輻射の計算を知っていて、しかし情報喪失問題を知らない場合、最初の記事で提示した問題点はそれほど大したことではないと思うかもしれません。ブラックホールのような極限的なオブジェクトなら情報が消えてもいいだろうと思うかもしれません。またHawking輻射はあくまでブラックホールのメトリックを背景場として粒子の場の量子論的生成・消滅を扱ったものであり、量子重力の影響は考えていないのだから、その計算結果でガヤガヤ騒ぐこともない。まだ知らぬ量子重力の計算をちゃんと行えば問題ないだろうと思うかもしれません。実際あのPreskillでさえ当初そう思ったそうです(Ref.[1])。

しかしそのように思った人は、Preskillの書いたRef.[1]を読んでみて下さい。エッセイのような感じで式も少なく、ある程度物理学に馴染みのある方なら雰囲気はわかるのではないかと思います(いや私は雰囲気しかわかってないですが…)。これを読むと、あらゆる可能な情報喪失の解決案は全て不満足な点があることに気付くでしょう。Preskillはこの会議録の中で「私は情報喪失のパラドックスは、基礎物理学の革命の前兆であると結論づける」とまで言っています。そして実際そのとおりだったのです。Ref.[2]にはこの話題に関する議論の場面があります。Susskind, 't Hooft, Tom Banks, Michael Peskinなどの錚々たる面々が、何度も議論をしながらも解決できなかったのです。そしてトホーフトは最終的に「ホログラフィー原理」を提唱しました(Ref.[3])。

しかしなんといっても、Hawkingの慧眼には目を見張るものがあります。最終的に彼は間違っていたとはいえ、その解決には量子論の革命が必要だったわけです。おそらく最初から、彼にはこの問題が根深いことがわかっていたのではないでしょうか。ホーキングはこの問題に関し、情報は因果的につながらない別宇宙に逃げるのだと主張しました。しかしそれを認めると、この宇宙からはアクセスできないところに情報が行ってしまうわけで、この宇宙から見れば結局情報が失われたのと変わりません。Preskill、't Hooft、Susskindらを混乱に陥れるほどの状況は、量子力学の黎明期に勝るとも劣りません。

現在では様々な状況証拠が整ったとはいえ、AdS/CFT対応やゲージ/重力対応は驚くべきものです。Ref[2]によると、有名な数学者・物理学者であるRoger Penroseは、超弦理論がホログラフィーを備えることを多くの物理学者が認めた後(AdS/CFTの提唱の後)も、「より多くの次元における物理学をより少ない次元の理論で記述することなどできるだろうか?」と言い、ホログラフィー原理を認めなかったそうです。Susskindによれば、Penroseは「標準的なものの見方に常に逆らっている」(Ref.[2]より引用)とのことです。しかしそれにしても、やはり信じるのがとても難しいことなのだと思います。むしろ素人の方が無邪気に信じられるのかもしれません。

超弦理論は自然界の究極の理論?

最後に、これらの事実はどれほど「自然界の究極の理論としての超弦理論」をサポートしているかに言及しておきます。

前回、クォーク・グルーオン・プラズマ −核子やパイオンなどのハドロンからクォークやグルーオンが解放された"プラズマ"状態− の性質をホログラフィーで計算し、実験と無矛盾であったと言いました(Ref.[4])。こう言うと、いかにも超弦理論が実験で証明されたように感じるかもしれません。しかしそうではありません。 Ref.[4]の計算が実際に実験と無矛盾であったのは、あくまでQCDが数学的に重力の理論と等価だからです(※更にはこの計算は大きな仮定に基づいており、一致したのはそれほど自明ではないことも付記しておきます)。超弦理論が自然の究極の理論であろうともなかろうとも、そもそも超弦理論が発見されていようともなかろうとも、この2つの理論は等価です。その等価性があまりに非自明であり、超弦理論の助けなしには発見できなかったのです。一方、QCDがこの実験の基礎理論であることは事実です。Ref.[4]の研究では「QCDの計算をより簡単で数学的に等価な重力で行った」のです。

一方で、超弦理論がホログラフィーを実現していること自体は、超弦理論が自然の究極の理論であることを強く支持しているようにも思えます。ブラックホールの蒸発におけるエントロピーの時間変化をホログラフィーで計算でき、そして情報が保存することもまた然りです。

ただしホログラフィー原理における双対性のパラダイムに疑問を唱える立場もあります。特にループ量子重力理論では、双対性はなくとも、ブラックホールに関する超弦理論の計算と基本的には一致する結果が得られるようです(Ref.[5])。

次回の予定

次回からはRef.[6]に関連して、場の量子論の高エネルギー現象の話をします(たぶん)。

おしまい。$${{}_\blacksquare}$$


References

  1. Preskill, J. "Do black holes destroy information?" arXiv: hep-th/9209058 (1992).

  2. 「ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い」レオナルド・サスキンド(著)、林田陽子(翻訳) (日経BP、2009).

  3. ’t Hooft, G. Dimensional Reduction in Quantum Gravity. arXiv [gr-qc] (1993).

  4. Policastro, G., Son, D. T. & Starinets, A. O. Shear viscosity of strongly coupled N = 4 supersymmetric Yang-Mills plasma. Phys. Rev. Lett. 87, 081601 (2001); Policastro, G., Son, D. T. & Starinets, A. O. From AdS/CFT correspondence to hydrodynamics. J. High Energy Phys. 2002, 043 (2002); Policastro, G., Son, D. T. & Starinets, A. O. From AdS/CFT correspondence to hydrodynamics. II. Sound waves. arXiv [hep-th] (2002) doi:10.1088/1126-6708/2002/12/054/meta; Kovtun, P. K., Son, D. T. & Starinets, A. O. Viscosity in strongly interacting quantum field theories from black hole physics. Phys. Rev. Lett. 94, 111601 (2005).

  5. Perez, A. "Black holes in loop quantum gravity." Rep. Prog. Phys. 80, 126901 (2017).

  6. Susskind, L. "The world as a hologram," arXiv [hep-th] (1994) doi:10.1063/1.531249.

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