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ゆる言語学ラジオへの批判に思うこと

【修正履歴(28Jul.2023)】
記事を読みやすいように修正しました。また既に不必要になったと思われる文章を削除しました。


ゆる言語学ラジオ批判

私は「ゆる言語学ラジオ」(以下YGRと略す)という、言語学をゆるく語るYouTubeチャンネルが好きです:

登録者数17万人を超える(as of 2023/01/25)人気チャンネルです。

しかし一方でこのチャンネルの動画内容に対する批判もあります。私はある場でYGRの宣伝をしたら反発を受けてしまいました。そんなこともあり、私なりにYGRに対する批判に関して考えてみたいと思います。

ちなみに私は言語学完全素人です。以下のような議論はすでに多くなされているかもしれませんが、自分の中でのまとめも兼ねて書いておきます。

先日「ご」さんがYGRを批判する旨のnote記事を書かれました:

YGRの動画の内容の正確性に言及するに留まらず、多岐に渡る批判がなされています。そのうち主なものを挙げると以下のようになるかと思います:

  1. 言語は繊細なものである: 言語はそれ自体各人のアイデンティティに関わるものである。言語研究に言及する際には注意を払うべき。

  2.  先行研究に言及するときの態度:  研究の内容が理解できないとき、その研究を笑うことはよくない。何か(言語の聞こえ方、学問、etc)を笑いものにすることへの批判。

  3.  言語学の基礎を勉強してほしい: 内容の不正確さへの批判。それを「※諸説あります」でかわそうとすることへの批判。

  4.  監修の先生の負担: YGRのパーソナリティーの発言が時に行き過ぎるため過ちを犯すことがあるが、それは監修の先生らへの批判になり返ってくる。配慮が足りない。

記事を読み、なるほどそういう理由で批判しているのかと納得しました。この記事以外にもいくつかYGRに対する批判を聞いたことがありますが、これほど詳細に批判内容・その理由を述べたものは知りません。

そのうえで、本記事では「ご」さんの批判に対して私の感想を述べようと思います。

言語は本当に繊細なものである

これは上記1.を強調した表現ですが、本当にそうだと思います。そしてさらに、「ご」さんのご指摘のような繊細さの他にも、YGRのようなYouTubeチャンネルが気をつけるべき繊細さがあるように思います。それは

「言語学のバックグラウンドを持たない人に対する説明において、結論のみを語ることの危うさ」

です。有り体に言うと(気分を害されたらすみません)

「言語学研究は、過程を省いて結論だけ書くと、浅薄に、また単なる"ウンチク"に聞こえてしまう場合がある」(注1)

ということです。これはステートメントの正確さとはまた別の話です。

例をあげます。YGRのコンテンツで「アルファベットのjはiからできた」(この文を(★)とする)と主張している動画があります。これに関して「ご」さんは不正確さを指摘し以下の記事で訂正しています:

読めばわかりますが、(★)のように一言で述べることは本来できず、その変遷にまつわる歴史には様々な側面があります(私にはあまり理解できなかった部分もあります)。YGRでは(★)を主題として話していたのではなく少し触れた程度ですが、その変遷を知っている者にとって指摘したくなる気持ちはよくわかります。

一方で、そこまで正確さにこだわらなくてもよいのでは?と考える理系の人はそれなりにいる気がします。実際理系であろう人が「『YGRへの批判』への批判」をすることがあります(注2)。そのなかには

  • 理系分野にも研究を紹介するYouTubeチャンネルは多く存在し、その中には不正確なものがたくさんある。それでもそれらのチャンネルを批判することは少ない

  • アウトリーチの一環なのだから大目に見よ

という類の意見があります。

しかし、言語学と物理・数学等の理系分野とは違う部分があると思うのです。言語学には、言説の不正確性とはまた異なる、注意を払うべき部分があると思います。

言語学のバックグラウンドを持たない人が「jはiからできたんだ」とだけ聞いてどう思うか想像してみてください。これは不正確なステートメントですが、今はその正しさではなく、言葉から得られる印象を考えてみてください。なるほど面白いと思うかもしれません。しかし「不思議じゃないよね。なんとなくそうなるのはわかるわ」としたり顔をしたり、「まあただのウンチクだね」と思う人もいるかもしれません。特にYouTubeのように、その話題にそれほど興味のない人が聞く(可能性がある)場合はなおさらです。言語のことであるだけに、結論だけ聞いても理解できた気になってしまうので、研究の奥行きが感じられにくいのではないかと思います。しかしながら「ご」さんの解説を見れば、(★)はその背後には複雑な変遷があり、多くの議論が必要な話題です。

実際に(★)と聞いて上記のように研究を過小評価する人がどれだけいるかはわかりません。いないかもしれません。おそらくYGRの視聴者には少ないでしょう。しかし(★)のようなまとめ方だと過小評価されるんじゃないか?と研究者や言語学徒が考えてしまうことはあるのではないでしょうか。自分の分野・研究が過小評価されてしまうことは、研究者にとって、またそれを真面目に勉強しているものにとって、自分がしてきたことを全否定されているようにも感じられ、強烈に不快なことだと思います。それは単に内容に間違いがあるとか不正確なことが伝わるのが嫌ということとは別の、感情的な部分に強く作用する不快感なのかなと思います。

一方で、例えば物理学では少し事情が違うと思うのです。「ヒッグス粒子は質量の起源である」と一般人が聞いてどう思うでしょうか。これはよくあるクリシェと化した表現ですが、こう聞いて「うん、まあそうだよね、わかるわ」とはならないのではないかと思います。「よくわからない」とか「小難しい。敬遠する」という感想は抱いても、わかった気にはなりにくいのではないかと思います。すなわち言語学のような過小評価は起きにくいと思います。その言葉の裏にはよくわからない小難しいことがあるんだな、というように、その背後にあるものを考える人が多いのではないかと思います。わからない・敬遠するという反応を示されたとき、研究者は「興味をもってほしい」とか「まあ難しいよなぁ」という感想を抱くかもしれませんが、それらは過小評価の不快感とは違う感情です。ちなみに「ヒッグス粒子は質量の起源である」という表現も(★)に似ていて、本来この一言にまとめるのは難しいことのように思います。

(★)は単に例として出しただけです。実際にはYGRはある話題をメインテーマとして扱う場合はもっと丁寧に説明します。しかしその丁寧さがどの程度であればよいかは、言語学者でないと判断できないのではないかと思います。いづれにせよ言語学では、一般の方に結論だけを話すと、理系分野と比較して過小評価が起きがち、ということ自体は正しいのではないかと思います。特にYouTubeではサムネイルやタイトルに内容のまとめを書くことがあり、それだけを見ることも多いです。サムネ・タイトルのみで研究に偏見を持たれるのは嫌なことでしょう。論文のタイトルを決めるとき、研究者の多くはかなり気を遣うのではないかと思います。自身の研究を1文で端的に説明するのはなかなか難しいものです。そのような苦労があることは肝に銘じるべきでしょう。

誤解しないで頂きたいのは、理系・文系のどちらが上とか下とか、そういうことを言いたいのではありません。それぞれ難しさ・大変さの種類が違いますし、今それは主眼ではありません。そもそも理系・文系という区分自体批判も多いです(「ご」さんも批判されています)。あくまで、結論だけ述べるとその正しさとは別に内容を貶めてしまうことになる研究が言語学には多いのではないか、そしてそれを気にする研究者・学生は多いのではないか、と思った次第です。

言語学はこのような意味で、数物等の分野より繊細であり、結論を導く過程・文脈の重要性が高いのだと思います。違う分野を単純に比較して議論するのは時に危ういと思います。また、誰でも見ることができて、かついつでも視聴をやめられるような、文脈を削ぎ落としがちなYouTubeチャンネルを、サイエンスカフェのようなアウトリーチ活動と単純に同一視するのも違うのかなと思います。

そして、ここまで述べて何なのですが、YGRの方々は上記のことを十分理解していると思います。YGRでは時に持ち上げすぎではないか?というくらいに研究を褒めます。尊敬の念を抱いているのと同時に、研究を過小評価されないように気を配っているのではないかと思います。ただそのフォローが、ときに虚しく響いてしまうときがあるように感じます。あまり修辞的になることなく、内容を、その詳細をただありのまま話すほうがよい場合もある気がします。ただこれはどうしようもないことかもしれません。

多様な視点を提示すること、言語学者との接点を多く持つこと

前章の問題をどのように克服するかという話なのですが、様々な意見を様々な人が示し、そして言語学界隈とYGRが交流を絶やさないこと、これらに尽きるのだと思います。「ご」さんが「ゆる批判」を推奨していますが、私も同意します。様々な人が自由に意見を述べることが唯一の問題の解決法だと思います。「ご」さんが提案しているように、それらの意見に応じて、YGRが内容の修正を動画等の形で周知するのは良いと思います。ちなみに今までにもnoteにおいて監修の先生等が補足説明を載せるケースはありました。さらに、言語学フェスのような場でYGRの面々が実際に言語学研究者および「冷静で客観的な視聴者」と交流をするのは大切だと思います。

ただし、意見を述べる場合には言葉遣いに注意してほしいと思います。当然ながら誹謗・中傷は避けるべきです。また単純に「YGRはダメだ」と言うのではなく、あくまでYGRの内容のどこが具体的にいけないのかを示すことに主眼をおくべきだと思います。

話がちょっと飛ぶのですが、近年 SNSでは様々な誹謗・中傷が起きています。これは、様々な意見があって然るべきなのに、理解しやすく強い意見にみんなの意見が収束してしまうことによると思います。それに抗うように、空気を読まず多様な視点を提示することは重要だと思います。

監修の先生も楽しんで協力している(はず)

「ご」さんは監修の先生方を非常に敬意を払っておられます。それが言葉の端々から感じられます。特に先生方の監修に対する負担や、YGRにおける間違った言説に関する批判が先生方に向くことを危惧しておられます。それは正しい意見だと思います。

ただ、「ご」さんの記事だけ読むと、なんというか先生方がただただ不憫に思えてきてしまうのです。

「ご」さんは書いてないだけだと思いますが敢えて述べると、先生方は単にボランティアで義務的にYGRに協力しているわけではないと思います。先生方がYGR内で話されている場面を見るとわかりますが、皆とても楽しそうです。認知言語学がご専門の今井むつみ先生(慶應大学)など、はしゃいでいると言っても過言ではないくらいです。教育の喜びは研究のそれとは違うし、そして大学での教育と一般の方々への教育・啓蒙活動はまた違うでしょう。YGRの監修・出演は、研究活動・大学での教育活動では得られない「プライスレスな喜び」を研究者側にももたらしているのではないかと思います。

監修の先生がご多忙な中YGRにご支援くださっているのは、正確さを担保するためとかノブレス・オブリージュのような義務感とか、そういうことだけでは決してない(であろう)ことは、とても尊いことだと思います。

「※諸説あります」に関して

「ご」さんの批判3.の「※諸説あります」で逃げるのはよくないというのは理解できます。これに関しては「内容に不正確さが伴う場合があります。またその責任は監修の先生方ではなくYGRコアメンバーにあります」のように言えばよいのではないかと思います。
(28Jul.2023追記:現在「諸説あります」はYGRの動画において使われていません)

YGRを肯定する

最後に、このようなことを一切合切ひっくるめても、私はゆる言語学ラジオを肯定します。本記事では主にYGRの批判される側面を書きましたが、当然ながら良い面もたくさんあります。ある組織や人間は多様な側面を持つことを忘れてはいけないと思います。

おしまい$${{}_\blacksquare}$$


(注1)「ご」さんは、YGRにおける薀蓄という語の使い方は辞書とは違うと指摘しています。が、ここではYGRで言うところと同様の「雑学」という意味で"ウンチク"という言葉を使っています。

(注2) 「ご」さんは、理系・文系の区別を安易にすべきではない、と語っておられますが、ここではこの言葉を使うことをご容赦ください。

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