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NIKKA「ブラックニッカ」

リーズナブルさと飲みやすさが魅力の国産ウイスキー「ブラックニッカ」ブランドは“日本におけるウイスキーの父”として知られるニッカウヰスキーの創業者として有名な竹鶴政孝氏が生んだ、ニッカ定番ブランドのひとつであり、現在も販売が継続されているニッカウヰスキーとしては最古参のシリーズとなります。
現在ではニッカウヰスキーが製造し、アサヒビールが販売する低価格帯ブレンデッドウイスキーのフラッグシップブランドへと成長を遂げています。
竹鶴氏が20年もの歳月をかけて造り上げた「ブラックニッカ」ブランドは、氏の理念である「ウイスキーの楽しさを、より多くの人に伝えたい」を体現したものです。
確かな品質でありながらリーズナブルな価格、そしてクセがなくて飲みやすい味わいを追求し、今やウイスキーの愛好家から初心者まで、幅広い層から支持を集めています。

では、そもそも何故「"ブラック"ニッカ」ブランドが誕生したのか?
現在ではおよそ考えられない意外なボトルを意識したライバル関係が背景にありました。
一説によると「ブラックニッカ」誕生の大きな要因となったボトル、それが「サントリーホワイト」の存在でした。
サントリーのホワイトに対してニッカのブラックという、竹鶴氏自身がサントリー在籍時代に造り出したブランド「白札」に対し、元祖ブラックニッカが「サントリーホワイト」をかなり意識していたことは間違いありません。
その後、宣戦布告するかの様にリニューアル後の二代目「"新"ブラックニッカ」では黒のラベルと「ブラック」の名称を継続採用し、当時1級ウイスキーだった「サントリーホワイト」に対をなす1級ウイスキーの「ブラックニッカ」として攻勢をかけました。
更にキャッチコピーは「特級をもしのぐ1級」というものだったそうで、当時は特級ウイスキーだった角瓶すらライバル視する広告を打ち出して大々的に発売されました。
他の有力な説としてスコッチなどの洋酒で黒を基調としたボトルが珍重されていたという時代背景などもあり、スコッチにあやかって命名されたという説もある様です。
その後、前年に発売されたハイニッカと共に長らくニッカの人気を牽引する立役者となりました。
(なお、余談ですが2級ウイスキーだったハイニッカのライバルは、サントリーが対抗して復活させたサントリーレッドでした。)

ですから、現在の「ブラックニッカ」ブランドの本流とも言える「ブラックニッカスペシャル」は元々は1級ウイスキーとして1965年(昭和40年)に発売された二代目の「"新"ブラックニッカ」をルーツとしています。
その後、1969年(昭和44年)には宮城峡蒸溜所が設立され、宮城峡の原酒の熟成が進んで保有量が確保できた頃と思われる1985年(昭和60年)に発売されたのが現在も販売継続中の三代目「ブラックニッカ」こと「ブラックニッカスペシャル」です。

なお、原酒構成としては、初代「ブラックニッカ」は余市蒸溜所モルト+醸造アルコール、二代目「新ブラックニッカ」は余市蒸溜所モルト+カフェグレーン、そして三代目「スペシャル」は余市蒸溜所モルト+宮城峡蒸溜所モルト+カフェグレーンという構成になっています。

初代となる「ブラックニッカ」は1956年(昭和31年)に特級ウイスキーとして発売され、竹鶴政孝自ら考案した『ニッカエンブレム』を大きくレイアウトしたブレンデッドウイスキーだった様で、現在と立ち位置が大きく異なります。
発売当初は特級ウイスキーとして販売されていましたが、当時はモルトウイスキーに醸造アルコールをブレンドしたウイスキーとしては不完全なものだった様です。
(1962年以前の酒税法上では製品中のモルトウイスキーの割合が30%以上が特級、5%~30%未満が1級、5%未満が2級ウイスキー)
初代ブラックニッカ発売当時の大卒初任給が1万円、そばやうどんが30円、ラーメンは45円、コーヒー50円の時代に特級ウイスキー「初代ブラックニッカ」は1500円で市場に投入されました。
現在の安価なブランドイメージとは全く異なり、当時としては高級品だったためか、なかなか思う様に売り上げは伸びなかった様です。

竹鶴氏が主導し1963年(昭和38年)に当時の朝日酒造西宮工場に設置されたカフェ式連続式蒸溜機(カフェスチル)の導入を契機に、1965年(昭和40年)に「ブラックニッカ」は、ニッカウヰスキーの特徴的なグレーンウイスキー「カフェグレーン」をブレンドした1級ウイスキー「"新"ブラックニッカ」としてリニューアルされます。
(1962年の酒税法改正によって製品中のモルトウイスキーの割合が20%以上が特級、10%以上20%未満が1級、10%未満が2級ウイスキー)
販売面で大きく苦戦した特級から1級へと級を落とし、価格も特級時代の1500円から1000円に下げた理由として「美味しいものを良心的な価格で、より多くの人に飲んでもらいたい」という竹鶴氏の考えからだそうです。
一般的な企業がこういった方便を言うと「ただのコストダウンをごまかす出まかせでしょ!?」と、なるところですが、そこは竹鶴氏存命時代の職人気質で商売下手なニッカウヰスキーです。
1級と言いつつも上限ギリギリまでモルトウイスキーをブレンドしていたそうで、確かにモルトウイスキーの割合こそ減ったものの、醸造アルコールから2年熟成のグレーンウイスキーにブレンドが変更され、それも「カフェグレーン」へと変更されたのですから、酒税法上での理由により級別表記上では格下げとなってはいますが、リニューアル後の二代目「ブラックニッカ」は初代「ブラックニッカ」よりも品質を向上させていたと言えるでしょう。
この二代目ブラックニッカは、それまでニッカにとって空白であった1級ウイスキーの第一号であるとともに、2020年(令和2年)になってルパン三世に盗まれて話題になった、かの有名な「ヒゲのおじさん」の肖像画が描かれた最初のボトルでもあります。

ここで少し「ヒゲのおじさん」ことキング・オブ・ブレンダーズについて触れておきたいと思います。
1965年(昭和40年)発売の二代目ブラックニッカにて初登場した「キング・オブ・ブレンダーズ」はその後もニッカウイスキーのラベルに印刷され続けています。
右手に大麦の穂を持ち、左手にウイスキーのテイスティング用グラスを持つ男の姿は、今やニッカのマスコットキャラクターでありアイコンとして定着化しています。
この有名な「ヒゲのおじさん」はニッカウヰスキーのデザインを一貫して手がけたグラフィックデザイナーの大髙重治(おおたかしげじ)氏によるもので「ウイスキー作りの理想像」がデザインモチーフになったそうです。
(なお、大高氏は合同酒精の「電気ブラン」や丸美屋食品の「のりたま」のデザイナーとしても有名です。)
ニッカウイスキーの創業者である竹鶴政孝氏は、同様に立派なヒゲを蓄えていた為、ラベルのモデルになっているとよく勘違いされていたそうで、竹鶴氏は指摘を受けると「儂は自分の顔をラベルに使うほど厚かましくないし、ラベルの男のように目が青くないだろう!?」と笑いながら答えたと言います。

キング・オブ・ブレンダーズはウイスキー愛好家たちの間でローリー卿と呼ばれ、一説では17世紀の冒険家ウォルター・ローリーがモデルだといわれています。
しかし、マッサンの養子で2代目マスターブレンダーとなった竹鶴威氏によれば「実際のモデルは良くわからない」そうです。
また別の説によれば、19世紀にウイスキーのブレンドの重要性を説いた
W・P・ローリー卿(William Phaup Lowrie)であるともいわれています。
現在、ニッカウヰスキー公式サイトによれば後者の「W・P・ローリー卿」がモデルだとういことになっています。
では、この「ヒゲのおじさん」が何故、左を向いているのかを考えたことはあるでしょうか?
1968年(昭和43年)から1976(昭和51年)年まで二代目ブラックニッカと並行して販売されていた「ホワイトニッカ」という商品があり、ブラックニッカと同様にキング・オブ・ブレンダーズがラベルに配置され、「ホワイトニッカ」のキング・オブ・ブレンダーズは右向きでした。
ニッカの宣伝広告で右を向いた「ホワイトニッカ」と左を向いた「ブラックニッカ」2種類のウイスキーのボトルの顔が向き合う写真が使われていて、商品展開上の理由で2種類作られた内、左を向いた「ブラックニッカ」ブランドが生き残り、左を向いたキング・オブ・ブレンダーズのイメージが定着し、そのまま現在に至ったものと考えられます。

では、最後に現在展開されている通年販売品の「ブラックニッカ」ブランドについて、順を追って説明し、締めたいと思います。

先ず、ブラックニッカ「スペシャル」は1965年(昭和40年)に発売されたブラックニッカをベースに宮城峡モルトを加えて1985年(昭和60年)にリニューアルした「ブラックニッカ」ブランド本流の正統な後継品で、ブラックニッカのラインナップで最も古い銘柄になります。
アルコール度数は42度でピート香が感じられるボトルとしては、後述のディープブレンドと比較されることが多いですが、スペシャルは華やかさと濃厚さのバランスが良く、他のブラックニッカシリーズと比較してもワンランク上だと実感出来るブレンド構成になっています。

ブラックニッカ「クリア」ブランドは1997年(平成9年)6月に「クリアブレンド」として発売され、2011年より呼称を現在の「クリア」と改めました。
アルコール度数は37度ノンピートモルトを使用することで、スモーキーな香りによるウイスキー特有の癖が抑えられたブレンドになっています。
ニッカのウイスキーでは最廉価に位置していて、酒販店だけでなくコンビニの店頭でも販売されるなど、エントリーモデルとして気軽にウイスキーを楽しめる存在となっています。
現在では角瓶に次ぐ年間340万ケースを出荷する国内第2位の出荷量を誇るウイスキーとしてニッカを支えています。

ブラックニッカ「リッチブレンド」は2013年(平成25年)3月に発売開始したボトルで、シェリー樽原酒をキーモルトとしてカフェグレーンもモルトウイスキーの樽で熟成させるなど、香りを重視したブレンドになっています。
アルコール度数は40度で、スモーキーさや樽香など重厚感は抑えられ、甘い香りと味わいが印象的で、癖の強いウイスキーが苦手な人がターゲット層としてコンセプトワークが練りこまれています。
2022年(令和4年)3月にはリッチブレンドのラベルリニューアルが敢行され、新たに「ウイスキーはロックでリッチに」をキャッチコピーとすることで、ハイボールという飲み方が過半を占める中、敢えてオンザロックスという飲み方を再提案することで、より多くの認知度向上と愛飲者拡大戦略を打ち出して話題となりました。

ブラックニッカ「ディープブレンド」は2015年(平成27年)6月に発売され、2018年にはテコ入れとしてラベルを青い柄に一新しています。
新樽原酒をキーモルトとし、アルコール度数を高めにすることで濃厚で深い香り、味わいを目指したブレンドになっています。
アルコール度数はレギュラーラインナップの中で最も高い45度。
濃厚かつ深みのある香りと味わいは存在感があり、深夜の時間帯にゆっくりと香り、味を楽しむというターゲットにマッチしているように感じます。

1956年(昭和31年)の誕生以来、時代の変化を見据えながら数々のリニューアルを繰り返してきた「ブラックニッカ」ブランド。
現在も絶えることなく味わいやデザインを見直し続けるとともに、本流の「ブラックニッカスペシャル」だけでなく、平成時代以降「ブラックニッカ クリア」「ブラックニッカ リッチブレンド」「ブラックニッカ ディープブレンド」など、バリエーションに多様性を持たせたことで、これからも多くの人々に愛飲され続け進化していくことは間違いありません。

2023年(令和5年)には料理研究家のリュウジ氏とのコラボレーション企画から生まれた限定330本の「ブラックニッカ バズブレンド」ボトルが新たにブランドの歴史に名を刻み、2024年(令和6年)にはニッカ創業90周年企画としてまだ見ぬブラックニッカの記念ボトルも準備されていると予想されます。

まだまだ、ブラックニッカブランドの歴史は連綿と続き、これからも我々ウイスキーラバーズに興奮と驚きを提供してくれることでしょう。

名称:「ブラックニッカ」
種類:ブレンデッドウイスキー
販売:アサヒビール株式会社
製造:ニッカウヰスキー株式会社
原料:モルト、グレーン
容量:700ml 37~45%
所見:「ヒゲのおじさん」が有名なニッカの代表的銘柄