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人生に勝ち負けはないと思う

ずいぶん前だと思いますが、「勝ち組」「負け組」という言葉がメディアに出てきて、負け犬のなんとかというようなフレーズもはやったことがありました。
当時まだ独身街道まっしぐらだった私ですが、とにかくそのフレーズに違和感を感じておりました。いえ、別に独身だったことで「負けた」とかひねくれた思想で違和感があったわけではないですが(笑)

まあコロナ(という茶番)が起こる前の世の中、平成のころはまだまだ「競争させられる」社会でしたし、学校もすべて競争で成立していたので仕方ないのかもしれません。その時代のど真ん中をそれはそれで一生懸命みんな生きていました、もちろん私も同じです。
納得していたわけではないけど、きっと納得しきれない自分がおかしいのかな?なんて思いながらそれが「当然」だという空気のなか、それ以外のなにかがあるとも知らずに大人になってきました。

でも世の中は変わりました。変わってから改めて勝ち負けのことを考えると、もうそういう時代じゃないんだよなとつくづく感じるこの頃です。とはいえ、まだまだ余波にのみこまれがちな人たちもいて、まだ結婚について勝敗を意識するかたたちがいるのは否定できないのが現実です。

勝ち組負け組なんて、いったいどういう基準で決められたことなのでしょうか。何をもって勝ちなのでしょうか。
と聞いておきながらそんなの1+1は2より簡単な話、いわゆる「(物質的に)裕福な暮らし」そしてそれを成すためのリソースとして「安定した仕事」「有名企業」で、それを左右する年収がそれらすべての幹となり、あとは枝葉の話題がいろいろ尾ひれをつけて展開していたのかなと感じます。

これは、平成までの価値観。
これからは新しい時代の価値観で出逢っていったほうが心強く生きていけるのではないかなと思います。

そもそも出会いや結婚に勝ちも負けもないです。
もしあるとすれば、何かが作り上げた基準を、勝手に自分に当てはめてしまうところから始まります。
ではその基準がなければどうなの?ということになります。

私たちは小学校のころから成績をつけられ、得意な教科はスルーされ
なぜか苦手科目の強化をやたらやらされてきました。

そうではなくてこれからは人それぞれ得意なことをやれば良くて、それを伸ばせばよくて、苦手なところはそれ以上苦手にならないように注意深くして、それが得意な人に任せる。誰も優劣を感じることはない。

杓子定規の「幸せ像」の呪縛から溶けて(笑)
自分が心の底からリラックスできる状態に目を向けて、それを共有できる
ような人と結婚できるような目線で婚活をする。

比較することじゃないし、そんな必要はありません。
大切なのは、自分自身の「心地よさ」
その幸せは本当に自分が望んだものなのかどうか、ということなのです。

そういう目線で出逢える婚活は、きっと優しい世界だと思うのです。

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