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怖くてもいいけど、「【怖がる】ことで遊ばないほうがいいな」と思った話。


「ありのままの自分を愛する」っていうのは、「自分の全側面を愛する」ということだと思うから、「何かを恐れる」、そういう自分に氣づいて認めるっていうのは過程として全然オッケーだし、むしろ大事なことだと思っています。

でもね、本来の自分に戻って安心感を感じながら生きたいなら、恐れていることをそのままにしておくんじゃなくて、ちゃんとみないといけない。

次へ踏み出すことを決めたとき、そこにワクワクすると同時に恐れや不安も出てきたから、ブートキャンプで集中取り組みしたことを書きましたが、恐れはなんか感じられなくなったけれども、まだ「不安」というものがちょっと残ってました。

そんな自分に寄り添いつつも
不安を感じているままだとやっぱりそちらに向かってエネルギーが動くから
現実の雲行きがちょっと怪しくなるような兆候を感じたので、
不安から自分を一旦切り離す、そして「なんだかわからないけれどうまくいくということを信頼する」ということをしていました。

が、今回は「不安な考えから自分を切り離す」じゃなくて、
そこの根っこにある「本当に解消しないといけない何か(観念とか)」を明らかにしていかないといけないと感じて、
わたし自身もそういう観念全部終わらせたいと思ったので向き合いました。

どんどん深く潜っていき、とある観念がポロリポロリとでてきたので対応すると、
エネルギーが変わり、体もリラックスしてお腹のあたりにどーんと安心感を覚えました。

これこれ、この感覚だった。

その安心感のゆったりモードになっていると、
1時間経ったかどうかくらいの速さで現実にも変化が出てきました。
メンタルケア恐るべし。

今は本当に自分の波動が現実に反映しやすい。。


これまで書いていたアメブロでは「伝わるように」と氣にして書いていたけれど、こちらは日記氣分でゆったりと、いつもの自分モードで書いているから、ブログよりふんにゃりしているかもしれません。笑

今思えば、ブログ中心だったときはメッセンジャーモードになっていたんだなあ。人に伝えるメッセージが必要なときに降りてくるのでそれを言語化するという感じでした。
(ちなみにそういうモードで書いているおかげか、ブログの文章は自分でも硬めだと感じます)

けれど、自分モードでいられるこのnote(きままダイアリー)はそういうことを考えてなくて、一応見返さないと、しゃべり言葉のように意味不明な文章(主語がないとか)になってしまいます。
メッセンジャーモードの自分は何年も言語化をし続けてきたので、「わかりやすい」「言語化がすごい」と言っていただけるまでになりましたが、一方で伝えるモードに入っていない時の普段のしゃべり言葉はボロボロです(笑)
そこは鍛えてないから昔から変わってない〜〜😂


面白いことに、近年感覚で受け取ることが多かった自分へのメッセージは、言語メッセージで受け取ることが増え、
反対に、講座で伝える内容などはビジョンとか感覚で来るようになりました(笑)。
自分自身へのメッセージ的なものは、20代のころ 本当にところかまわずどんどんきていて、小さいノートを持ち歩いていちいち書き留めないと間に合わない、みたいな時期がありました。
直感冴えるとよく夜中や明け方に起こされてメッセージを書き留めたりします。起き抜けのボーッとしているときにくるキーワードや短い文章をスマホのメモに書き留める感覚は、ちょっとなつかしい感じがします。


あ、ここで終わろうとしてた😂
タイトルにもある「【怖がる】ことで遊ばないほうがいいな」と思ったのは、
結局放置したり向き合うのを先延ばしにするほど、その周波数を使って遊んじゃう時間が増えるだけなので、なんかもうそういうのはいいな〜って思った次第です。

楽しい現実つくったほうがいいもんね😊

魂は本当は冒険好きだからね〜
本当は、そこに乗っかってこそ人生を楽しめるのではないかと思います。



ではまた〜✨





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