見出し画像

チー牛=見えざる被差別階級 弱者男性差別は是正されるべき?

はじめに

本記事では元チー牛が弱者男性が外見的理由で差別されている現状について見解を述べた


「チー牛」は優れた情報伝達手段

私は近年「チー牛」という単語は立派な差別用語になったと思う

しかし

「チー牛という単語を使うな!」

「差別用語を使うやつには辟易する。そういう奴こそチー牛なんだろう。」

という論調の意見には真っ向から異議を唱えたい

なぜなら、チー牛という単語が広まったおかげで"見えざる被差別階級が可視化"されたからだ

「チー牛」は便利な言葉で、ああいう感じの見た目の男性(一重、口ゴボ、アデノイド顔貌、眼鏡、芋ヘア、ヒョロガリ)を形容するときに使われ、
当然それは差別を助長する

一方で本人の自己改善にもつながる

例のイラストを見て、自分自身をチー牛であると自覚する人の中から

「俺はチー牛顔だからモテないんだ。じゃあモテる男の顔面と比較して少しずつでも改善しよう」

と思える人が現れるからだ

もしあのようなイラストがなければ、

「自分はモテないけどそれがなぜだかわからん」

「俺は不細工?だけど、どこをどうのように改善すればいい?」

となっているはずだ。

少し誇張したイラストが、欠点を顕著にしてくれている。

実際に私は「チー牛」が流行った2020年、高校生の頃に自分自身がイラストのまんまであることを自覚し、チー牛の分析と改善に取り組んだ。
そして、現在はDT卒業しマッチングアプリや大学で恋愛を満喫するところまできた。

その改善を完璧にまとめたNoteはこちら↓


見える被差別階級

コミュニティで自分ひとりだけ人種が違うと必ずといっていいほど差別を受けることになる。

しかし、その問題は肌の色というわかりやすい特徴があり、本人もなぜ差別されるのかを自覚しやすいだろう。

一方で、”なんか色白でヒョロガリできもい見た目をしている男”(現在で言うチー牛)に関しては今までわかりやすく形容する言葉がなかった。

かつて「オタク」は今の「チー牛」に該当すると言葉と言っていいだろう。

しかし近年かつてのオタク文化は一般人も嗜むようになり、外見が気持ち悪い男を表す言葉が消失してしまった。

そんな痒い所に手が届く言葉が「チー牛」なのだ。

そして痒い所に手が届く言葉だからこそ、これだけ広まった。

だから冒頭で挙げた

「チー牛という単語を使うな!」

「差別用語を使うやつには辟易する。そういう奴こそチー牛なんだろう。」

という人たちは何も考えていないことがわかると思う。

チー牛差別でチー牛が救済される

「チー牛」が広まることによった自己改善のほかにも、見た目による差別を受ける人たちを支援する社会システムが生まれてもおかしくはないと思う。

理由は冒頭で述べた"見えざる被差別階級を可視化"だ。

社会全体が問題意識を持つことにより、精神障害、身体障碍のほかに容姿レベルが一定ラインを下回っている人を支援すべきという考えが生まれる可能性がある。

実際に見た目が悪い人ほど年収も幸福度も下がることが複数の研究で分かっている。

もちろん見た目は「生活習慣」や「清潔感」という少しがんばればできる努力で改善していくことも可能だ。

しかし、チー牛の特徴である眼瞼下垂ぎみの一重、口ゴボ、歯並び、低身長などを治すには高額な医療費がかかり、生活習慣を治すレベルの努力では改善不可能なことも事実である。

例えば歯列矯正は当たり前のように100万円全額負担しなければならない。

この不公正さは今現在定義されている障碍者と同等の支援を受ける権利を持ってもおかしくないと考えている。

センシティブな言葉だとしても「チー牛」を使えば、弱者男性たちがどれだけ不利な状況に立たされているかを世の中に伝えることも容易になるのだ。

もちろん最初は差別意識を生むだけだが、それが徐々に差別に対する問題意識へと変わり、ゲームチェンジが起きると思う。

それでも私はチー牛と言う

最後に以上を踏まえたうえで、今後私がやっていくべき活動を言葉にして締める。

私は本記事のように社会学的な視点で弱者男性について述べたのは初めてだ。

私の俯瞰視点がうまく共有できていたらうれしい。

深夜テンションで一気に書き上げてしまった。

いつも「チー牛顔はこう治す」「低身長一重ヒョロガリチー牛の俺がモテるようになった男磨きの方法」みたいな感じで非モテという属性に向かって
具体的なアクションを提示している。

なので社会学視点での意見はほぼ言わないで、今後もキャラに合わせて「だからお前はいつまでたってもモテない」「筋トレして女にアプローチしろ」みたいなことを言っていこうと思う。

「弱者男性の権利は侵害されている!」みたいに逆フェミニスト的な活動をするつもりは一切ない。

それは別の人の役目だと感じる。

私がやるべきことは非モテの自己改善サポートだ。

もうすでに見えざる被差別階級を可視化は社会でほぼ達成されている気がする。

しかし、「じゃあどのようにしてチー牛を抜け出すのか」 
ここの啓発が足りていない。

だから私は過去に自閉症気味の色白ヒョロガリ一重低身長チー牛から人並の女性経験を得られるようになった過程を公開し、弱者男性が恋愛のスタートに立つサポートをしていきたい。

また今後も私は差別用語だと言われても「チー牛」という単語で冴えない弱者男性たちを形容していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?