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普通日記

某氏の呟きを見て、普通の週末を過ごした当方の日記を書いてみんとすなど。

さぁて、ここからが問題だ。普通の日々とは何ぞやと。


誓ってこれは旧新堀村在住の47歳男性の何気ない週末だし、出来事的には私の毎日の中では普通であろう。普通という概念を「平均」とか「ある程度の幅を持つ、例えば偏差値48〜52ぐらいの日々」とするのであれば。しかし所謂「普通の人」を個別に見て行くと多種多様であるように、普通の日々も解像度を上げて見て行くとそれなりにかけがえの無い「誰かのその日」ではある。

それは決して同じ日ではなく、代わり映えのない日でもなく、やはり代替の無い「誰かのその日」ではあるのだ。


我が家のジンくんさんは同年代の犬友が多数いる。その結果イッヌを通じて彼らの飼い主同士は保護者会じみた交流をしているのである。

で、昨日。結石で手術したコタロウ(仮称)が久々に公園に戻って来て大暴れした日のことだ。何気ない保護者同士の会話の中で、コタロウのウチでは今日生春巻きを作るんだなんて話を聞いた。夕方の散歩時はみんな夕食の献立の話をするものだ。皆、献立に悩んでおる。

でね、とコタロウのウチの奥方はいう。知り合いの田園調布在住の方からパクチー(香菜)を頂いて「しまって」、食べ方に困っていると。あれはどう食べたら良いのかしらと。

パクチーが嫌いではない……いや、むしろ台湾行ってた時期にやたらシャンツァイを食いまくり、偶にあの味が恋しくなる私はこう答える。ありゃ日本食における刻み長ネギじみたものなので、なんでも刻んで振りかければヨカですよ。ラーメンとか。アキバとか都内でもシャンツァイマニアが集まる店だとシャンツァイマシマシメニューあって、結構値段しますからねぇ。

全く話が噛み合ってない(苦笑)

奥方は強烈な異臭(日本人主観)を放つ頂き物の香菜を一般的な日本人の味覚に合う形に調理して食べたいと言っているのだが、私はシャンツァイを台湾人とかシャンツァイ文化圏の人がどのようにして食っているかを述べている。つうかあの香りは簡単に死なんし、香りをどうにかしたらシャンツァイではなくミツバになるのでは……?

すると恐らくは頂き物だが処置に困っているであろうコタロウのウチの旦那がこういう訳だ。じゃあ明日、持ってきますよ。ジンくんさんちのお兄さん大好きみたいだし。

無論、喜んで頂くことにした。

さて。私はシャンツァイ大丈夫というか、それこそドレッシングや塩かけてもしゃもしゃ出来る程度であるが、同居する老母はそうではない。何度かチャレンジしようという素振りは見せるが「圧倒的な、余りに圧倒的な」シャンツァイのシャンツァイたる香りの前に膝を屈している。つまり、都合2束頂いたが、これを可及的速やかに私1人でパクーと頂かねばならない。パクチーだけに(定番親父ギャグ)

先に書いたように、あれはあの文化圏で日本における長ネギの様にして頂く食材だ。ならば……と昼に買い物行った時にあれこれ考え、今回はマルタイの棒ラーメンにテキトーに刻んだシャンツァイ載せてシャンツァイラーメンにすることにした。ラーメンとは微妙に異なるが、台北では麺線という屋台の食べ物で良くシャンツァイがトッピングされている。

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そして屋台のおっちゃんおばちゃんは相手が日本人と分かると身振り手振りでシャンツァイどうする?と問いかけるのだ。あれが振りかけられた瞬間に日本人には食せなくなる事を経験則として学んでいるのだろう。私は毎回どっさどさ乗せろ(3回ぐらい乗せるアクション)と身振り手振りで答え、あっちはそれをニッコニコして了解する。自分たちが好んで食べるものを忌避されると、やっぱ悲しいじゃん。逆に自分たちが美味しく食べてるものを好んで食べて貰えると嬉しいじゃん? なんでも美味しく頂くというのは相互理解や平和に繋がるムーブだと思うんだよね。

宣伝(ダイレクトマーケティング)

しかし、まな板で切ったらかーちゃんに睨まれた。世界平和への道は遠い。

出来上がったラーメンは超シャンツァイ(香菜:中国語)臭がした。正にパクチー(タイ語)、極めてコリアンダー(英語)。各種の名前が示す通りこの植物は多種多様な文化圏で愛されている。実はこの植物、10世紀ごろには既に日本に入ってきていて延喜式には魚を生食する際に添えると記載があったりするらしい。古くは和食食材として利用されていたのだ。原産は地中海沿岸地方で、どうやらシルクロード経由で伝播した模様。ともすれば我々は東南アジア原産と考えがちだが、あいつエジプトとかギリシャ方面の生き物なんな……

オチならないぞ。普通日記だからな!

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!