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投擲兵改稿中

正直8000文字辺りで基本ラインとして物語は終了しているのだが、なんかもう文字が整然と並ぶのが楽しくて楽しくて堪らないので規定文字数1万字以内の限界まで文字を詰め込みたくて仕方がない。

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ひゃっほい!

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たーのしー☆

後半になってようやく文字のマスゲームが終わるのだが、これは意図してやってます。一袋に菓子詰め放題的なミッチミチの文字列からの逸脱…その開放感やインパクトを目立たせたいが為に詰めてるようなものだし。

当初は巷にはこびる「(文字数ではなく一定行数で)改行しろ」という文頭ギザギザ団への対抗処置として「段落含有文字数数百」という偏執的な文字列を作っていたんだけど、毎日の様に推敲して隙間に文字突っ込んで1行41文字縦書きフォーマットの下側も揃えるとかしてたら目が慣れた。今私はこういうのっぺりしたウルトラ文塊もスラスラ読める。他人がどうかは分からないが、この手の文章が読み難いと忌避されるのは、実際のところマッチポンプなのではあるまいか。

簡単な話、行間調整とかしたらこういうミッチリ文字が詰まった文でも我々は読めるのである。この様な文の形式では文字が読めないという人は、紙媒体の辞書や辞典も読めないのだろうか?(大変難儀な事ではあるまいかー?) 筆者は昔ジーニアス英和辞書「通読した」猛者であるが、そんな経緯もあり文字の塊は余り苦では無い。というか、六法全書とか「リファレンスブック」的なものは「文字を詰め込まないと物理的に本の形にならない」からミッチリ文字を詰め込みますなぁ。慣れの問題で、ミッチリ文が読めなかったりスッカスカ文書いてしまうのは「ラノベやごく最近のスッカスカ文に目が慣れた」…つまり、文字の詰まった文章にあまり触れていないというのが原因で、なぜそれらに触れる機会が減ったかというと、ラノベから官能小説から時代劇からエッセイに至るまで、この手のスカスカ文が溢れかえっているから…ではあるまいか。古めの本(芥川とか漱石とか)見たらわかるように、昔ゃー割とそこらのブンガク好きは詰まった文章読んでたのである。また、近年ラブクラフトとか人気ある様だが、御大の文章は形容が豪華絢爛過ぎて(優しさ溢れる表現)たいへん読みづらいのだが、それに文句つけてる人はあまり見かけない。

同じ1万文字作品でも文字の詰まりでページ数変わって来るし、改行しまくり空白行マシマシってのは、本の販売単価を引き上げる口実として使われてないだろうか。

可変剣の話が、41字詰めフォーマットで文字充填率6割ぐらい。アレを基準にするのもなんだが、会話文マシマシで充填率4割まで落としたらページ数1.5倍になるんよな…当然厚みが増せば本は高くなるのではないか。

実際読み難いかもしれないが、それは本を読み慣れていない人の話で「慣れてれば」割と読める様な気がしてきている。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!