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水星の魔女 1話感想

総論

まさか本気でタヌタヌして来るとはこの海のリハクの目を(以下略)

百合だなんだはある程度予測できたというか、スレッタ・マーキュリーは「フレディ・マーキュリー」をモチーフにしてるだろうから「改名」「エリーの頃はママ呼び(プロローグはボヘミアンラプソディの要素を含む)」

「家族と離れて全寮制の学園生活」「騒乱に巻き込まれて移住」「妹がいる」……まぁ、この辺は想定の範囲だ。百合もフレディはバイセクシャル(と、言われている)だからあるやろな、と。

よく見りゃロゴもQUEENっぽい

しかし、問題はタヌキ要素だ。あくまで私は物語のフックとしてタヌキ顔(美人では無い? 可愛げ方向に振りつつ愛されるキャラクター造形)であるだけで、まさかキャラクターをここまでタヌキにするとは思わんかった。

農作物で餌付けされるタヌキ
檻タヌキ
勇気を振り絞って仲間を守るタヌキ
へっぴり腰ポーズが素晴らし過ぎないか御曹司?
それはスペシウム光線のつもりなのかタヌ子。ケツバァーンも実はシン・ウルトラマンの影響だったりするのかタヌ子? まさかコミュ障も……

前にも書いたがタヌキは日本固有種に近い珍獣である。珍獣だが別に日本では保護されてたりせず、日本都心辺縁部の我が家近くでも見かける「里の動物」だ。ウチ、東京駅から25km圏内だぞ……

で、タヌキは緊張すると固まるとか、人間の生息域に降りてきて農作物荒らすとか、狸寝入り(擬死)するとか様々な性質があり、当初私は「偽名使って学園に潜入するから(化け)タヌキって事かな?」と考えてたが、1話見た限りでは本人に「化けてるつもり」は微塵もなく、その意味ではタヌキはエルノラ・サマヤ(スレッタ母)なのかも知れない。本人普通に人里に降りてきたタヌキよね……(まさかここまでとは!)

1話まで見た限りでは、「ようもここまでタヌりおったわ!」が素直な感想。何というポンポコ具合か。


周囲の感想への感想

考察系が実にカオス。というか、基礎知識が足りない人の考察が多くて割とドン引き気味。

先ず第一に……鬱展開や曇らせを期待してる人が多い様だが、シリーズ構成や脚本担当してる人物はターンAからガンダムの脚本書いていて、キンゲなどにも参加してる人物である。どっちかというとシリアスよりコメディというか、明るい作風が多いのになんでまた……と言った感が強い。私的にはバイファムやけものフレンズみたいなホンワカムードの学園ガンダムやると踏んでいるし、タヌ子のタヌっぷり見てて「実はエンディングテーマは……」

とか

「もしも学園にタヌキがいたら
 スレッタヌキになるでしょう♪」

だったりせんやろなと戦々恐々としている。

そも、最近は鬱展開嫌われるのは小説や物語書く人間の中では半ば常識だ。ホンワカ描けるのに態々暗い展開する意味がない。それは考察班的には楽しいだろうが、考察班みたいな一部相手に作品作るわけでも無し。明らかに作品のメッセージとしては

「大人や社会からの要請(作中では「呪い」と表現される)からの脱出」

であり、従来ガノタに対しては「子供の人生だから押し付けや過度の期待はいかんやで」だろうし、若い人達に対しては「君の人生なんだから君の好きにするやで」だろう。世代により送るメッセージが異なってて、中々考えたなと思う。

で、このメッセージを伝える為にYOASOBIだかに曲と歌任せて、作詞のためにこれ書いたら……

「明確に年代が記載されてない。スレッタはエリクト・サマヤの娘なんじゃないか?」

歌詞書いて貰うための資料に、年号要らんだろ? これお前ら向けの話ではなくYOASOBIの人に仕事発注する為のお話だから!

ワイは盛大にずっこけた。小説意図としては「エアリアルは単純なメカじゃなくてスレッタの家族です!」「エアリアルはスレッタをいつも見守ってますよ」「親の期待って重いよねー」だべな。

もう、この話の時点でスレッタは「母の呪い」の更に先まで到達していて、エアリアルもスレッタと共に「それ以上の結果」を掴み取る意志を示してる。てーか、小説見る限りは「母ちゃんの目的はミオリネを嫁にする」で、何というか、その……復讐、なの……?(困惑)

まさか渡る世間は鬼ばかりとか、橋田壽賀子みたいな嫁姑やって、昭和じみた嫁いびりが……

気絶まじかよ

味噌汁が塩辛い、高血圧や心臓病で殺す気?とか、窓のさんを指でなぞって掃除も満足に出来ないの?とか、子供も出来ない石女うまずめとかやるの? やっちゃうの? それこそポリコレでフルボッコされるべな。

この辺の解像度が極端に低いってーか、復讐の内容が不鮮明なのは「書いた人も具体的に何するつもりか考えてない(やる予定はない)」なんじゃねーの?

あくまでも「母には後ろ暗い想い」があるにはあるが、スレッタとエアリアルはそれ無視して更に飛躍する……というのがプロットで、実現もしない(描く予定もない)母の復讐計画を練り込む意味はないんだよ。ワイが作者ならそう考えるし、暗い話にするつもりがあるならYOASOBIのあの歌は本筋に不適合だからリテイクだし、発注文書がこんな話になる訳が無い。根本的に「スレッタはエリクトの娘」説には無理があるってーか、そうしたら話が面白くなるのかよって疑問がある。お話が楽しく刺激的になるならアリだろうが、スレッタをエリクトの娘にしてもテーマがボヤけて話が錯綜する未来しか見えぬ。ジジイがジジイ臭いって部分の整合とか理屈付けにそこまでやる必要はない。いんだよジジイはジジイで。無駄だ無駄。タヌキをタヌキっぽくする方が優先度高いべ。
そも、孫世代の話にしたら「親のエゴの克服」にならんやろ。エリクトがスレッタに改名したのは逃げる際のマストであり、与太的には「フレディ・マーキュリーのオマージュ」ぐらいしか意味なくね?

書いてあることしか考察対象にしないのはイカンでしょ。更に考察内容が作劇にどう生かされるか考えてない。バカの子ではあるまいか。

次、「エリーが乗って操作したのはルブリスなのに、スレッタの愛機はエアリアル」問題。
すごーく単純なのに悩んだり考察してる人がいるが、ルブリスってのはある程度量産化したモビルスーツ(ガンドアームタイプモビルスーツ)である。ルブリスは複数存在するのだ。その中の一機が偶々エリー(後のスレッタ)と深いレベルでのコミュニケーション確立した「成功例」になったから「コイツを標準モデルと区別する必要があり」、ルブリスなにがしではなく「個体名 エアリアル」となっただけだべ。
また、ルブリスは表向き破壊破棄されてるのでパーツなどの供給に難がある(ガンドアームは禁止だからね!)なので入手が容易なモビルスーツのパーツで再構成し直して整備性を上げ、それとは別に「義肢技術としてのガンドテクノロジー」を宇宙の中でも過酷マシマシな水星……つまり「ガンドテクノロジーがほぼ必須で供給量の多い地」で調達してぶち込んだのか「ガンダム・エアリアル」なのだろう。
なお、スレッタ母もこの感じでは「エアリアルという自我の存在」に気付いてなさげであるし、エアリアルがスレッタと深コミュニケーション取れるのが「エアリアルがスレッタを廃人にしない原因」であると言うのが物語の核心だと思うます。

これにより、1話ではエアリアルをまともに扱えないミオリネが、後の展開でスレッタのピンチに「助けて、助けてよエアリアル! 今動かなきゃ貴方のお姉ちゃんが……」と、エアリアルという自我の存在を受け入れて、エアリアルという自我を経由して「ガンダム・エアリアル」をコントロールしようとしたら上手くいったという展開はあり得るだろうし、他のガンダム(ファラクト)などはファラクトの自我を認識出来ずにコントロールしてパイロット廃人にすると思いまーす。

大体ですよ、ガンドアームってのは物語構造的にディズニーの「ファンタジア」における「魔法使いの弟子」なんですわ。聞き齧りの知識で魔法を迂闊に行使して大失敗をしでかすってアレ。ここから「技術はちゃんと習得して使い熟さないとダメ」という本来の教訓と、「新しい技術は危険だから禁止」というアホ極まりない話が出て来る訳。本作におけるガンドアームは後者のアホアホ理論で禁止されておる。(ワクチンとか無農薬栽培とか原始農法とか、類似した問題は21世紀の我々の周囲に遍在している)
つか、水星の魔女関係で「魔法使いの弟子」の話見かけないし、魔法使いの弟子が根底にあるから「水星の魔女」なんて題名にしたのとちゃうの? タイトルロゴはQUEENのロゴ風味だが。

払いのニョロンがネ
意外とシンプル


次、体のラインが見えないからポリコレ……タヌキなんだからフワフワモフモフなの当たり前やんけ。終了!


各種要素を見ると色々ガッチリハマり過ぎて誤解する要素が見当たらない気もしなくは無いのだが、迷走する考察してるつもり班の言説見る限り、なーんか、こー……君らは深読みに向いてないフレンズなんじゃないかなぁ、的な……

もうちょっと、周辺知識やコモンセンスを磨くやで。モノを知らないオタクなんてのは飛べない鳥、泳げない魚、考えない葦に等しいぞ。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!