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推理・考察の話

ちょっと難しい話を書く。若者置いてけぼりですまんな。

水星の魔女のストーリーラインにおいて、私は6話視聴辺りから見方をかなり変えた。これは作劇手法が「当初私が予想していたものとは異なる」と確信したからであり、ここ1ヶ月の私の言及記事読んでる人はうっすらわかると思うが、私はこの作劇方法を好まないのである。

普通、陰謀ものとか推理系の小説では「作中人物が何かいかがわしい計画を立てて」それを主人公サイドが暴いていく形を取る。だから推理は基本「作中人物の知り得る情報やキャラクター周りを中心として考察すると解決できる」様になっているし、叙述トリックなども「あくまで作者は嘘をつかない」前提で「読者が勝手に誤読した」体を装うのが定番である。

が、水星の魔女……これ、露骨にシリーズ構成や脚本、演出が騙しにかかってて、キャラから推理推察、考察できなくなってる感じなんよ。キャラがどんなものであれ、これは確実に「キャラからは」先が読めない。いわゆる定番を外してきたやり方になってる。

ちょっとこれは、ズルい。真面目にキャラ作って動かして作劇してる人から見たら、キャラで騙そうとせず万能な作家側で騙す手口はチート(イカサマ)である。話の展開を意地でも読ませないという硬い意志の存在を感じるである。

そんなわけで、ウチでは6話以降の考察では方針をガラリと変えて「作者さんサイドが意地でも話を誤導するとしたならば」という仮定を置くようにした。実際はエリクト=スレッタであり徐々にそれが判明する筋書きになるが、あくまで「誤導が目的」なので、作家側が任意のタイミングで「そうだと思わせたい」時になるまで脚本その他により誤導は続くだろう。ある意味で今エリクト≠スレッタとしている考察は正しい。そう思わせるように脚本書いて演出して絵を動かし声優が演技する……そりゃあそう思わない方がサイコパスですわ。そういう作りになってるからどんでん返しでひっくり返す都合上、これはハメやな……こんな見方は穿ち過ぎであろう。

推理や考察を促してるように見えて、実は本作……それを拒絶しているのである。

じゃけん、マトモに普通の考察するのは時間の無駄だ。やらせるような形式になってないもん。

ゴールデンラッキーで展開予測しないだろ? 

作家の万能性を使い倒した作劇はご都合主義になり易い。無論「それでも」結果的に秀作になることもあるし、私もそれを望んでいるが……このままだと「散々そう思わせておいて」、作中のあるタイミングで真実はこーでした!やって「脚本や演出が信じられない」という最悪の結果を産みかねない。物語の入出力を担う「そこ」が嘘つきに見えるのは致命的な悪手だ。誰がそんな嘘つきの妄言を読むというのか。騙されると分かってて詐欺師の話を聞く馬鹿は居ない。詐欺師が詐欺師とバレたら詐欺は成立しないのだ。そこに重きを置かないのは詐欺師として失格であろう。下手すっとどんでん返しが唐突過ぎて話がコケる可能性すらある。皆が誤導に引っかかり過ぎると、それを盲信して真実語っても「そんなわけはない!」ってなるからね。ちゃんと誤導の積み重ねを「綺麗にひっくり返せる」展開練れるの? 作者が真実だと声高に叫んでも、作者が嘘つきだって見方されたら信じて貰えなくなるんやで? デカ過ぎるお好み焼きはひっくり返す時に崩れてしまう……物語の展開も、これに似る。

例えばデカいお好み焼きをひっくり返すに当たり、デカ過ぎてひっくり返せないから分割してひっくり返すとするじゃない? 一回小さくひっくり返したら「次もひっくり返るのだろうな」とみんな予期するぞ。結果的に話をデカく広げた意味が薄れて「ありきたりな展開」になってしまう。

作家が騙しに行ったらあかんのよ、あくまでも物語中の登場人物が騙しに入り、その登場人物の騙しを正確に描き出す……作家の仕事はここではないか。当てさせない様にするのではなく「当てた人をきちんと称揚できる範囲で」話組まないといかんやで。

(大体8話視聴前に書きました)

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!