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野良物書きが見た水星の魔女

まぁ、野良であるしバズりもしない。最終話まで読んだ人が200人くらいの物書きの末席にギリ居るぐらいの人から見た「水星の魔女」について書いてみたい。

1.主人公とは何か?

小説とか書く時に大体主人公って置くじゃない? あれは何かというと「作品世界を覗くカメラ」なんですよ。読者視聴者は主人公の主観視点で世界を見る。だから物を知らぬ若者であったり田舎から出て来て「現場を知らない」状況から始まるの。仮にそいつが世間を良く知り作品世界を知悉してると「主人公は知ってるが読者は知らない」になるから説明がめんどくさく、白土三平メソッドが炸裂するわけさ。

また、主人公が物知らずを連れていてそいつの為に解説するなんてやり方でもいい。物を知らなきゃいいので、記憶喪失なんかもありがちなパターンですな。
で、主人公は主人公だから?作品世界を何らかの形で改変していくのだけど、もしこれが人里離れた庵に住まう仙人で、彼とは無関係に世の中の変わって行ったらどーか?
仙人は変化を気にしないのである!
主人公の仙人は仙人だから下界の連中がトランシーバーからPHS、ガラケーからスマホと携帯端末乗り換えても気にしない。霞美味しいですもぐもぐ。

話にならんのんじゃい!

という訳で、余程のアホが作劇しない限り、物語には物語のストーリーラインを見続け、変化を自ら起こすか、起きた変化を確認する主人公が必要になる。

で、だよ。
視聴者や読者は自分と同じ「物を知らない主人公」を通じて世界を見る事で、主人公に共感したり自己との同一視をして物語を楽しむ。時には無力感に呆然とし、力が無くとも何かに挑戦する姿に声援を送る。水星の魔女でも第一クールでは物を知らないスレッタがアワアワしながら「学園という舞台」を理解して行き、仲間が増え決闘に勝ちミオリネの傍に立ち続けた。まぁこの辺までは王道や。克服するべき母親の呪縛とか、謎の味方エアリアル……ここまでオーソドックスね。

が、第二クールから制作側が「主人公とはどんな装置でどの様に作用するか」

忘れてねぇか?

簡単に言えば、世界がスレッタほったらかして勝手に動いているのである。スレッタからは世界に対してアクションを起こさず、世界や情勢の変化に対してリアクションばかりするし、時にはそのリアクションすらなくなってしもた。

2.主人公の主人公性が消えた時

完全にアホの所業にしか思えないのだが、第二クールからは話の視点がとっ散らかるのよ。グエルだったりプロスペラだったり視点がクルクル変わる。すると各人の持っている情報が異なるから見えてる物の解釈が異なったりする訳で「物語はキョーレツに分かりにくくなる」

ここで注意が必要なんだが、複雑でも分かり易い物語はあるし、単純でも分かり難い話もある。分かりやすさと物語構造の複雑さはリンクしない。水星の魔女は構造的には割と簡単なんだが、演出と叙述の仕方が「謎や不明点を作るため」ワザと分かりにくくなっているのだ。だから「水星の魔女が良く分からん」と言うのは当たり前だし「そうしたくてそうしているし」、こんな作りをしておいて視聴者が理解してくれるに違いないと考えてるなら制作側は頭がおかしい。都合良くアホで肝心な時だけ頭が良いミオリネみたいな変態は例外的な存在だ。

普段から他人はどう見てるか、あの人は何考えてるかとか気にしまくる人は良いが、そういう「気配りのできる奴」ナンてのは少数派でしてな! みんなも欲しいだろ? 周りの意見を即座に察して当意即妙で動く奴! つまりそういう都合の良い生き物はツチノコ並みに見つからんってこった。

そして、水星の魔女製作陣は完璧に「気配りが出来ない連中」である。大体だな、物語書いてる連中が「話の展開が分かりにくいだろうから総集編で解説する」というのが負け犬ムーブな訳ですよ。総集編なんか第二クール開始前に「3ヶ月空いたしなぁ」で一回やりゃ十分だ。特に第二クールから話の展開構造変えて異様に分かりにくくなってるのに新情報をバカバカ撒く。

これ、ウチのnoteのアクセス状況だが、私の体感として2〜3000人ぐらいが「オックスアースってなんやっけ?」でGoogle検索してウチに来てるやで。何故かというと公式側でオックスアースを分かり易く解説してないし、ワザと印象に残らない様にしてるからだ。
しかもこれ、分からないから調べるという「最低限の知的好奇心」持ってる人間で、この下に「なんか良く分からんがわかんないままでいいや」とか「調べ方分からない人」居ますからね。マスに見せることは成功しててもマスに話の筋理解させる事に失敗してるし、頭の悪い子にも話を理解させようという意思が無い。
いや、同人作家ならえーで。ありゃ同人という「同好の士」向けだから。でも商業展開してマス相手に「ご商売」するのにそりゃねーべ?

例えば私は出力文字数としては作劇より遥かに多くの「解説文」ぶっちゃけパソコン部品のマニュアル書いて来たおじさんであり、サポートコールも受けてたから「利用に躓く奴は何にどの様に引っかかり、何が分からなくて困るか」日々の業務を通じて熟知している。だから分かりやすく書けるし、分かりやすくする様修練してる。(これが我が社がマニュアル作成を外注しなかった理由)

はっきり言って、水星の魔女クラスに「分かりにくい商品」にサポートセンター設置したらサポセン大爆死ですわ。サポセンの管理者やってた頃ならR&Dとか経営陣に文句言いに行くレベル。(そういう商売で無くて良かったな、ヒロシ!)


3.問題点を数えろ

先に言うともうこの時点で最終話のプロットは組んでるだろうし、今更慌ててシナリオ書き直しても手遅れだ。全24話の話で20話超えたら「もうここからは着地に向けてのアプローチ段階」だから、下手に変えたら墜落する。
故にこれは水星の魔女ではなく、幸運にもそれなりのセールスに成功して水星の魔女製作陣が「次回作を作る機会」があった時の話になる。
まず諸君は作劇が下手だから難しい話の展開は諦めろ。主人公がどう言うものか理解した上で視点を定めた王道をやれ。逆に言えば王道できちんと耳目集められないのは作劇とか演出がど下手くそだからなので、基本が出来ない内からアクロバティックな事しないで欲しい。先ずは王道展開できちんと盛り上げて話を締める事が出来る地力を涵養せよ。そしてそれらが出来るようになった上で王道を崩すべきで、常識知らん奴が常識を破壊すると「非常識」にしかならんのだ。常識破れるのは常識を知るものだけなんよ。
私が今見る限りだと、展開要求に対して1番「普通の」話を書けて、それでいて盛り上げが出来るのは「中西やすひろ」氏ぐらいである。話全体の流れを決定した大河内と小林「ひろしぃ〜!」、そして恐らく陰惨な筋を望んだ小形尚弘Pはもう話に噛むな。NTといい本作といい、なんか衒学的つーか、教養を見せびらかそうと言う姿勢が気に食わん。そのムーブは寧ろ浅学さを印象付けるから、楽しんで古典名作を楽しめないなら諦めて富野にバカにされているべきである。

また、主人公は基本的に「能動的に世界に関わり改変する」生き物であるべきだ。それはかなりキてる無敵のパワーでもいいし、効果は少なくともバタフライエフェクトで大きな変化になってもいい。主人公により世界が何らかの変化を見せるのが「物語」であり、主人公が傍観者でしかないってのは「基本的にウケない」
ボトムズでロッチナを主人公に据えるようなもんだ。水星の魔女はここが致命的に下手で、2クール目から「驚くほどスレッタが物語に「能動的に」関与しない」これが人気失速のポイントなんだけど、見た感じこの弱点にすら気付いていない。やはりナノ河内なんである。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!