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橋下のアレと魂魄の死

 まず、2つの事を考えてみよう。なんで橋下はウクライナに降伏を勧めるのか? 私は生存バイアスであるかと思う。

 橋下氏、幼少時は貧乏だったらしい。それがどの程度のモンだったかなどは推察し難いが、とりあえず彼は貧乏生活から勉強頑張って弁護士になり政治家になり、下野してTVコメンテーターになった。まずまず人生を上手く泳いでいる方だろう。
 で、人生上手くいった人にありがちなんであるが……苦労して成功すると「運の要素を軽視して」苦労して頑張ったから今があり、皆も苦労して頑張れば成功すると錯覚するのである(ブラック環境で成功した奴はブラック環境を拡大再生産するである)
 橋下氏が「生きること、生存すること」に重きを置くのは「生きてさえいて、頑張ることが出来たら成功できる」という自らの経験や信念に拠るものだろう。残念ながら彼には「天の時」という要素を軽視する傾向がある様に思える。
 私などは人生の一時期においてかなり成功した方であるかと思うが、大体それは(無論仕事は頑張ったよ! 勉強もした。しかしそれでもだ!)偶々私が時代の流れの中である種の選択したことが「運良く」良い方に転がり、その時それをやるべき場に私しか適当な人間が居なかったという「くじ引きの結果でしかない」と自覚している。人生泳いで行くに当たり、勉強や努力は必要だ。「偶々当たりを引いた時に」チャンスを活かせるかどうかという部分で地力が求められるんな。世の中には学校の勉強が人生で役立たないなんて主張する人も居るが、多分彼らの人生には勉強や努力を活かすチャンスが訪れなかったか、チャンスに気付けなかったのであろう。勉強や努力は必ず報われる訳ではない。運が良ければ報われる……我々は僅かずつ成功確率や成功のレベルを上げるために努力や苦労をするのである。長い人生の中で何度も何度も挑戦していればいつの日かチャンスがあるかもしれない……勿論無いこともある。無常じゃ。諸法無我。如是我聞。
 つまり、橋下氏は自分の成功体験が強過ぎてあーなってんだと思うのさ。中々他人の人生生きたり人生2回目やる機会は無いからな。私の創作作品で「ただの人が誤解や偶然で英雄化する」という筋が多いのも、大体私の人生の反映というか経験談に基づく。ただの人も選択と「天の時」を得れば竜の様に飛翔することはある。それを己の積んだものと錯覚せず、きちんと「天地人の三要素が絡んでる」と認識出来るか……まぁ、それ理解すると人は謙虚になるもんだが。

 次。魂魄こんぱくについて。概念自体はググれば解るが、魂魄は中国から伝わる「人が生きてるって状態」に関する概念だ。魂は魂であり精神的な「生きてる部分」で、魄は身体的な「生きてる部分」 この二つの要素が一つに纏まってる状態が「生きてる」って状態で、これが別れると魂は天に、魄は地に還る。日本だと人が死んだら墓建てて仏壇とか神徒壇(神道版の仏壇だ)置きますな。ありゃ魂魄が分かれてしまうから「それぞれを別々に安置している」という訳だ。
 これが橋下氏の話とどー絡むかって悩むと思うが……つまりだ、アジア的な感覚では「生きている」というのは、単純に身体が生命活動してる事を意味しないのよ。勿論身体が生きてないとアカンのは自明だが、魂が生きてないと生きてる事にならんの。植物人間状態で精神活動が停止しちゃうと「身体が生きてるだけ」になっちまう。中国から魂魄の概念が伝わった地域では「精神活動が自由に行われてない状況」は生きてるって言えないんだよなぁ。キョンシーなんてのは当にこの「身体だけ生きてる」状態ね。
 で、勿論生命活動が停止すると人間は死ぬ訳だが、魂が死んでも人としては死んでまう訳ですよ。ウクライナでは「ロシアに降伏したら命(生命活動としての生)は助かるが、割と真顔で「魂は死ぬ」
 これじゃまるでロシア人がゾンビみたいになってしまうが、ロシアで生まれてロシアで育てば「ロシアの規定する自由」という範囲しか知らんのだから「自分の自由が阻害されてる」なんて思えんのだわ。私たち日本人だって日本に居るから自由であると思ってるだけで、他国に住んだら「日本では自由で無い部分」に気付くことあるし、逆もまた然りであると。
 ウクライナの場合、ソ連に属してた時期もあり、今まで割と苦労してその軛をぶっ壊して自由を広げて行ったという経緯があるから……そらまぁ制限が多いロシア式は嫌であろう。彼らは実体験として、そして歴史として「ロシア式の不自由」を熟知している。その状況では魂が自由でないと感じるし、生きた心地がせんであろう。魂魄二つが共に自由でなければ割と人間死んだ気がするである。今ウクライナは魂を自ら規定する範囲内で自由にする為に魄の死を厭わず抵抗していると。生きてりゃ勝ちだ式の奴は中共支配下の土地でもシベリアでも好きなところに行けば良い。魂の死を軽んずるよーな奴は一回不便を味わうべきであろう(まぁ、一回味わうと脱出不能ってのがキッツイんですけどね!)

 過去、GHQの占領政策において、超大国アメリカさんに喧嘩売るよーなアホアホ国家を再教育するに当たり「人命を可能な限り重く設定して、それを論拠に戦争放棄させる」って実験したんだけど……

私、これ「実験」だと思うぞ。当のアメリカは人命割と軽いじゃん。直ぐ平和(=自由)維持目的で戦争するし。
尚、戦前戦中の日本は命がめっちゃ軽かった。鴻毛より軽いとか言われてた。(軍人勅諭に由来するが、それも司馬遷の「死はあるいは泰山より重く、あるいは鴻毛より軽し」の改編版) その分精神的な部分が重いのな。日本って国はどーして極端に振れてしまうんかなぁ(苦笑)

 このプログラム組む時に日本的な「魂魄」という概念組み忘れたんやろなぁ……アメリカ的には魂の自由なんてのは自明であって、そんなん言わんでも解るやろって感じだったんちゃうか?
 その結果として、アメリカすら予想しなかった「生きてりゃ奴隷でもオッケー」的な概念が爆誕してしもたと。重ねて書くが、アメリカとかだと「魂の自由が損なわれるなら生命活動停止の危機すら乗り越えて戦うやで!」って、フツーに考えてるぞ。バイデンはこの辺少し弱いが、トランプの支持層って割とこんな感じ。
 そも、自由主義国家に生まれて「魂の自由」を軽視するってのがよく分からんのだが……テリーとかW徹はこの辺の矛盾に気付かないのであろうか。あの界隈の「生命活動だけ最重視」は軍人勅諭のネガポジに過ぎず、却って危険思想に過ぎる気もするんだが。

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