微妙に悲しい

出来は悪く無いと思うんだがなー。四年に一度というワードを使ったコンテストですわ。

柳日堂なんとかー

 思えば遠き道のりであった。
 事の始まりは関ヶ原。東軍に属した関本権左は手負いの西軍武将、柳日堂を峠道から逸れた獣道で追い詰めた。将兵の首取ったりと槍をしごく権左に対し、柳は切々と己の身上を語り「首代くびだい」で手打ちにしてくれんかと頭を下げる。
 首代--身代金の様なものである。首の代わりに銭金を払い助命を嘆願するものであり、侍としては恥辱の極みとも言える無様な命の繋ぎ方であった。多くの場合戦場に銭金を持参するものはなく、手形にて証文を認したため後に換金する事になる。柳が示した金額は五十両。これを権左は即座に断り百両を提示した。柳はその様な大金を払える宛も無いのだが、背に腹は替えられぬと首代手形を認めた。

 そして3年。時代は移り変わり徳川とくせんの治世となる。柳は名を捨てて商人となり、必死で首代を掻き集めた。関本は母が病に倒れ出仕もままならぬ状況に陥った。
 元来、関本は心優しき好漢である。母が健在の時は楽では無いが生活も安定しており、侍に頭こうべを垂れさせて助命嘆願をさせてしまった事を悔いていた。あれは侍にあらず……柳ではなく金で助命を請けた自分を恥じた。あの時俺は情けを掛けたのではない、欲に目が眩んだのだ……関本は自ら育てた菊の花を愛でながら、その時の己の浅ましさに腹を立てていた。母が病に倒れた時も、あの浅ましき男に神仏がばちを当てたのだと悔いる程である。
 しかし、母は涵養せず日に日に痩せ細っていった。疲弊した精神は関本の思考を蝕み、遂にはこの日の為に首代があったのだと信じるに至り、元服を迎えた長子太郎丸に手形を託し、柳の下に取り立てに向かわせたのである。
 柳も元来、首代手形を精算するために商いを始めたのであり、手元にはあの日約束した百両が用意されていた。
 関本太郎丸が来訪した時には、何も恐れる事は無いのだが……柳の心胆が震えた。遂に来たかと。そして奥の間に通された太郎丸を見て、一度は安堵した。これで矢傷で熱を出し、山中を彷徨い歩いたあの日が精算できると喜びもした。聴けばかの日の好漢も今や家人の大事に憔悴しきっているとの事。苦しみ抜き、僅かな元手で始めて貯めた百両が命の恩人を助ける。何とも良い話ではないか! 命に命を以って報いる。これぞ神仏の導きであろう。

 然しながら、金子は権左の下には届かなかった。太郎丸は迂闊にも百両を担いで持ち帰ろうとし、傍目にも「異常に重そうな荷物」は怪しげであった。太郎丸は受領してから4里も歩かぬ内に野盗に襲われ、命を散らした。その凶報が権左に届いたのは母の死の2日後のことである。
 言ってしまえば、単に巡り合わせが悪かったとも言える。筆者や読者はこの物語を知るが故にやりきれなさを覚えるのであるが、権左は委細を知らない。柳の感謝も、恩人に報いる事が出来た喜びも知り得ない。只々凶事が重なり、疲弊した精神が「金が惜しくなった柳が約定を違えた」とありもせぬ仮定を実情と勘違いして激怒しただけの話に過ぎない。権左は狂った。怒りに狂った。最早柳は犬畜生にも劣る下郎に成り下がった。侍として誅さねばならぬ。何が首代だ、何が家族だ! お前は太郎丸に何をした、母に何をしてくれた! その首百両の替わりに貰い受けるっ!

「四年に一度う!」



「なんだこのタイポ?」

ワードの画面を前に自作の推敲をしていたら、随分愉快な文字列が並んでいた。何だよ「四年に一度う」って……オリンピックか、閏年か。

あ、死ね日堂!がshinenniichdouで、shinen ni ichido uと誤解されて「四年しねんに一度いちどう」になったのか。nとiが一個多かったんだな。
やー、徹夜でタイプするとダメだわぁ、夜更かしして創作はいかんやねー☆


死ね日堂 蜜柑

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!