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深掘りしないと出て来ない

藤ゴン作品でウチの比較的近所にある「安行原の蛇作り」が出ていた。
出ていたのだが……深掘りはされていない。

当方、イングレスのエージェントとしてこの辺のポータルの解説文を充実させてた時期があるのだが……安行原の蛇作りは当地で惨殺された武士の慰霊であるとの話を聞いたことがある。

まず、安行原だが……鎌倉時代にはこの辺鎌倉の鶴岡八幡宮の荘園であり、安行には前線基地というかレーダー基地じみた武士の砦があったのだ。一応安行はこの辺の平地において1番標高が高いのである。そして鶴岡八幡宮の所領だから当然現地は源氏万歳派であり……

敵は古河公方だ(真顔)
現在は密蔵院という真言宗系のお寺になってるとこが源氏の砦跡と言われており、朝のニュース「グッドモーニング」のお天気コーナーで良く安行桜が満開だと紹介される所でもある。

この裏の九重神社の裏に「川口市の最高標高」であるポイントがあるの。ここからだと筑波山辺りまで望むことが出来るし、ここは最前線基地に最適な立地なんよ。

安行の蛇作りは大体300年前、江戸中期に始まったという話だが、当時東蝦夷ヤッターエリアだった当地の地侍は家康の江戸入り前後に家康と面会して帰農させられてる。ごく近所の某旧家(800年以上続いてる)も直々に農民に戻れと言われた口で、代わりに代々名主やってたし明治時代には村長やってた。つまり江戸期に天領だった当地で武力衝突は考えにくいし、この辺での揉め事は安行みたいな高地ではなく、低地での水争いである。
すると、安行原で武力衝突があるとしたら鎌倉〜室町時代辺りの鎌倉方と古河公方の争いでは無いかと推察される。また、この辺はお米大好き8代将軍吉宗の時代(将軍在籍期間は1716〜1745)に開墾されまくったので、古戦場だから気味悪がった住民を無理矢理送り込む為に蛇作り始めたんじゃ無いかと思われる。鎮魂したから大丈夫だ、的な。

そもそもだ、安行は川口では珍しく少し小高いエリアだから水耕に適さない。だから植木とか畑やってたんよ。巨大な藁作りの竜を作る稲藁は周辺の新堀や本郷から分けてもらわねばならぬし、元からこの辺のエリアで栄えてたのは安行の方なんよ。鶴岡八幡宮の遥拝所である峯ヶ岡八幡神社も安行の山の南端(現在の地名としては峯)にある。

この辺が鎌倉公方とバチバチやってた頃の武蔵国源氏万歳派閥の長が太田道灌である。彼は石神井や練馬辺りからこの辺、更に江戸城を建築したメタクソ活躍した武将であり、石神井公園の三宝寺池にある身投げして竜になったお姫様の伝承で姫様側を滅ぼしたのも太田道灌と推察される。だもんで蛇神信仰とか龍神信仰が当地にもあったと考えるのが自然であり、氷川信仰とかと蛇作りは同根の可能性がある。

と、深掘りして読み解けばただの藁の蛇にも色々と来歴があるのだなぁと思えるし、なんでこの安行や新郷地区に庚申講の青面金剛像が多数残されているかというと、鶴岡八幡宮関連で源氏の貴人が持ち込んだという可能性が極めて高いのである。まぁ、不動明王に姿が似てるというのもあるだろう。蛇作りの近くにある「地蔵」と言われてる石像も、実は青面金剛像である。

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