難しいと簡単と

「【悲報】ガンダム水星の魔女、話が難しくて分からないと不満が続出してしまうwww」なんて文字列を見たのさ。

まず前提として、水星の魔女は段階的に真相が見えて来る作劇方法なので、内容が分からないのは「難しいから」ではなく、「単純に明かされていないから」である。

なので、水星の魔女が「分からない」のは正しい。逆に展開読めてたらおかしいと言うか、頭大河内だよ。

このアングル採用する辺りにある種の意図を感じる

更に割と多くのガノタが富野由悠季作品を沢山視聴している場合には「その弊害」が出る。富野は難しかったり複雑な筋書きをやるが、それと同時に絵で、動きで視聴者の印象をコントロールして「誤解を最小にする」テクを用いる。しかも明らかに後年の方がそのワザマエが鋭くなってる!
が、水星の魔女は「考察バズらせ」をやる関係上、ワザと誤解や別の可能性を考えさせる余地が残されている。誤解を生みやすい物語構造になっているのだ。

結果的に申せば、水星の魔女はガンダムの中でも難解な方に敢えて舵を切り、みんなでワイワイやる作品になってる。富野が監督してたらチョー怒りそうだし、怒りつつも「上手く出来たら褒める」し、失敗したらかなり冷徹な批評をしつつもチャレンジ精神を愛でるであろう。富野はチャレンジしない奴を心底嫌うである。

それはそうとして「そういう意図ならこのカットはこうあらねばならぬ」とか、「ここで0.5秒止めろ」とかめっちゃ指摘はする。富野は天才ではなく、秀才が努力して天才に近付こうとした「努力の人」であり、だから故に言語化センスが異常発達している。

Gレコとかは「富野由悠季というちからの発現が強まっているから」富野のテクを最大に利用してマジで高密度の作劇してるだろうし、熟練の富野ぢから信奉者なら読み取れる機微を富野ぢからが弱い視聴者は読み取れぬであろう。実は少しボケて富野ぢからが弱まった方が新規に優しいかもしんない。

本来私は二次創作する時に、作品世界の裏とか理解を助ける作劇手法を取る。アレは実は裏でこんな事があり、こーでこーでこーだからこうなったんだよ!

──つまり、伝奇という与太だ。

が、天狗という劇薬を入れたものの一応伝奇的手法で書き出したガンド天狗は第一クール後半で水星の魔女の裏を読みきれなくなり──てか、端的に言うと「本筋がバカっぽい」ので独自路線に舵を切りつつある。

本来の「製作陣が期待する理想のハナシ」であるならば、ヴァナディース事変とやらが13年前ではなく21年前であると言う事実は「普通に視聴者間のコンセンサスになっているべき」なのである。深読みしたら「それが引っ掛けなのかもしれない」なんて考察は21年前と明言する前に棄却されてないといけない。

で、一応手のひらクルクルさせる準備をしつつ書いとくが、13年前ではなく21年前にする【作劇意図】が不明過ぎる。
要するにそれって「スレッタはエリクトなのか疑問に思え」ってそれだけの話なんだが、スレッタがエリクトでもエリクトでなくても「別に話は変わらない」のである。だって本筋にエリクト絡んで無いもの。
そも、プロローグ自体が「見なくても良いもの」だから前日譚として独立存在してるわけで、水星の魔女がスレッタとミオリネの話なんだからエリクトはどーでもいーのである。初代ガンダムでアムロが4歳の時に実兄を亡くしてるとか、別にそれをネタにドラマやらないなら「不要な設定」だろ?
終盤に何かドラマぶち込むならまだ分かるが、現時点で「8年間の空白」作ってそこにドラマぶっこむのは蛇足にしか見えない。話の尺的にも「こんな事がありました」と雑に説明して終わりだろうし、ヴァナディース事変が21年前って話と同じで

「だから、何?」


でスルーされちゃう奴ではないか。
例えばかなり簡単にスレッタの「劇中内経過時間(25年)とスレッタの戸籍上の年齢(17歳)を擦り合わせるだけなら、冷凍睡眠でもなんでも「辻褄合わせ」自体は出来る。出来るが……冷凍睡眠したから何がどう変わるんだ?

TRPGのキャラ設定や趣味の物書きがよくハマる奴だから注意喚起しとくけど、回収する気が無い裏ネタや、使いそうに無い設定は要らんのである。

しかもその目的が「視聴者が予測しないものをやる」だけなら、作家は自分の組み立てたプロットが腸捻転起こしてないか確認すべきだろう。そこでドラマをやる気が無いならヴァナディース事変がいつあっても良いし、説明だけで済ませるなら無駄な設定であるとしか言いようがない。なろうやカクヨムで創作始めたばかりの高校生なら仕方ないが、50超えて職業作家やってるのにコレだとかなりキツいぞ。(まあ、タトみたいなのも居る界隈だからなぁ……)

ここに私の短編ファンタジー小説がある(約1万字)

この物語の主人公である「ロマーニュ」には無駄な設定が殆どない。身の丈、体型、肌や髪や目の色……全く書いてない。話の筋に全く不要だからだ。逆にシリーズの次の作品である「吟遊詩人の歌」では容姿の描写がある。そっちでは話の展開の都合上、中性的な美少年である必要があるからである。
ヘンケン・ド・ロマーニュの可変剣という話は、話の冒頭にあるロマーニュの願いがどうやって結実するかって部分だけに絞って書いた話であり、粗筋的には「自らが望まず生み出してしまった存在しない英雄をぶっ殺す話」である。全く嘘は書いてない(真顔) D&D映画でも言及したが、我々の世代の一部趣味人は「データがあるなら殺せるやろ」が共通認識であり、逆にいうと「データが無いやつは倒せない」のである。
居ないやつは死なん。

が、結果的にはロマーニュは「存在しない奴を倒した」ぶっ殺したのである。そして(色々あったが)彼は大望を果たしたのである!

割とドンデン返し物語のテンプレートに出来るぐらい練り込んだので、皆も手本にすると良い。つかこの話は話をどうやって組み立てて書き上げるかを説明する為に1日で書いた習作である。

大体物語ってのは、主人公が何かをやろうと決めて成功したり失敗したりする

「色々あった」

という中間プロセスを描くものだ。あった事を面白おかしく描くのが作劇であり、ただ説明するのは作劇では無い。

プロットと主題がしっかりしているから、本来は盛り上げ要素であるオーガ殺しだのロッティングコープスぶっ殺しは端折った。描く意味が無いからだ。そこは「頭おかしい武器を所望してるがケルベロスタイマンで殺せるからこいつらも殺しました」で良い。編集なり読者なりが書けと言ったら書けばいい。ただ、ワイの戦闘描画はねちっこいし長いぞ!

水星の魔女のクワイエットゼロなんかも、説明だけで終わらせてるから「普通の感性を持つ作家なら」本筋に余り関わらず、借景みたいな「話の外側」に存在するものの筈なんだが……

だめがね

このメガネ、富野と仕事した割にはその辺分かってないアトモスフィアを漂わせている。また突然実はxxでした!して視聴者置いてけぼりにするのではないか。予想としては本作のラスト6話ぐらいは当人の脚本になってそうだが、降ろした方がいいと思う。お前はプロットだけしっかり組んで、細部は他の脚本家に任せろ。
というか、何でシリーズ脚本引き受けたのか。


という訳で、水星の魔女は構造的にも理解しにくいし、謎の「だメガネ」のざっくり脚本により更に良くわからない展開してる。つまり分からないのは普通であり悩む必要はない。分からないのは……分からない物を解ろうとする視聴者の背伸びにも問題があるかと思うが、割と半分以上「製作陣の問題」だと思います。

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