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ハードボイルド式

筆者は高校時代からチャンドラーが好きで、憧れて、ハヤカワの文庫は通算2セットちょい買うぐらいに愛好している。なので(自分では要素は取り入れるものの「そのものズバリ」は書かないが)ハードボイルド文字列は大好物である。なんかいい作品があれば教えて欲しいのでコメント宜しく。

で。ハードボイルド文字列振興会としてハードボイルド文字列の書き方を例示してみたいと思う。異世界転生で、異世界物語で、詩で、現代ファンタジーで、そしてミステリで…その様なハードボイルド文字列が僅かなりとも…木枯しが巻き上げる旋風の様に…盛り上がってくれればいう事はない。

ハードボイルドの定義や在り方に関しては100年戦争の引き金になってしまうから触れるのはやめよう。多くの場合それはタフガイの話でタフガイがタフガイを気取る為に主人公はタフだが無敵ではない。マフィアの顔役と軽口を挟みながらも対等に話すのは腕力の背景があるからではなく、単にタフガイだからだ。彼らは権力や暴力には動じない。敢えて言えばその精神性が彼らをその様にするのである。

また、多くのハードボイルド文字列では内面描写は重視されない。悔しがった、悲しんだ、喜んだ…これらは地の文の情景描写や「主人公の観察したもの」の描写により察せられる。

"部屋は広すぎたし、天井は高すぎたし、ドアは丈《たけ》がありすぎた。"

上記はハヤカワ文庫「大いなる眠り」(レイモンド・チャンドラー著 村上春樹訳) 第三章冒頭部分だが、描写の段階、もうその初手からマーロウが超絶気に入らない顔をして部屋に入ったのが窺える描写だ。もしこれが美人が5000ドルの小切手を片手に待ちわびている風景なら…「聖堂の様に厳かな広い部屋、ドアは教会の扉の様な偉丈夫だった」…と、幾分洒落た言い回しをしただろう。

ハードボイルド文字列とは、言い換えれば情景描写の文字列である。感情を排してひたすらに「見えたもの」を描写し、そのメタファーで状況、雰囲気、感情の描写をする報告書《レポート》だ。主人公の口調はぶっきらぼうだが、その口調の中に彼の感情や印象が詰め込まれている。

"「背が高いのね」と娘は言った。
「それは私の意図ではない」"

(同じく大いなる眠り、1章から)
「それは僕のせいじゃない」の方が好みだが、明らかにマーロウは娘…美しいが金持ちの娘で、しつけがなってない…をメタクソ嫌ってますな。(マーロウは身長6フィート)
これがハンフリー・ボガート(背は高く無い)演じる映画になると
「背が高く無いのね」
「努力はしたんだがね」
というセリフにすりかわる。いい切り返しだ。

ハードボイルド文字列は詩人である。直接的な表現ではなく洒落た言い回しで読者の想像力を刺激し、より詳細に状況を描写する。

"30フィート離れたところからはなかなかの女に見えた。10フィート離れたところでは、30フィート離れて見るべき女だった。"

(チャンドラー「高い窓」より 多分清水訳)
酷い描写だが、原文ではさらに「睫毛の上のマスカラが濃すぎて、鉄柵のミニチュアのように見えた」などとぶっちゃけてしまう。ボディーラインは魅力的で脚も素晴らしく…が、寄って見たら残念というあるあるの風景を随分と面白い変化球で表現している。


こんな文章書く羽目になったのは、ちと他の人の作品読んで違和感を感じたからである。上記のハードボイルド文字列の「文法」的なものはある程度その手の小説読んで考えたら出て来る程度の話でしかない。ヘミングウェイからこっち、所謂アメリカのハードボイルド小説読んで、大沢の新宿鮫とか鳴海章とか経由してサイバーパンク系統行って…「ハードボイルド文字列」は実は今かなり広範に「それとなく」広まっている。ただ、作品をなんとなく読むのではなく、この文体は何に似てるか、技法的な特徴は何か、もしも作風を模倣するならどの辺を持って来ると分かりやすいか…などの作家として作品を養分にするつもりで読まないと見えて来ない部分がある。この視点を欠いたまま何百何千本読むのときちんと視点を定めて10冊読むのとでは得られる経験値が違ってくるのだ。大体乱読癖があり〜冊読んだと冊数の自慢する奴は疑った方がいい。読んでる奴はそんなこまけー数字は覚えてない。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!