読書代行

モッチーがまた変なこと提唱してた。

ここで「図書館行けば」という一節があるのだが、実はこれ致命的な欠陥が……

図書館には最近のトンチキ大衆小説が入っている事が少ないのである。

例えば「日本三大伝奇」としてオールタイムベストで入り続ける半村良の「妖星伝」は図書館にあるかもしれない。また、トンチキの度が過ぎる超朝鮮伝奇小説家「荒山徹」作品は、後々日韓友好の架け橋をにっこり笑ってディスインテグレートとかティルトウェイトで破砕しかねないから図書館蔵書として保管せず、歴史の闇の中にポイ〜した方が国益にかなうのでは無いかなんて

割と真剣に

考えてしまうのだが、荒山徹氏は恐るべき事に「売れっ子作家」で何を考えたか「歴史小説家として」割とオススメされちゃう魔神である。新聞社とかの書評欄選考者は一体何を考えているのだろう? 何も考えていないのか。荒山徹が歴史小説家ならシグルイは歴史マンガだし、怪傑ライオン丸は歴史ドラマになってしまう。そんなバカな話があって良い訳がない。しかし内容精査せずに何となく世間に流布する「荒山徹は有名歴史小説家」という、SANチェック失敗して狂気に陥った人々の妄言を信じてうっかり蔵書している図書館は割と多い。まぁ、更に高尚なる理由で蔵書している可能性もあるのだが。(荒山徹作品に限らず、大衆小説関係を精力的に集めている図書館は実は大変有能である可能性がある。皆も地元図書館がなんか高尚「そうな」お題目で運営されてるか、真に文化のアーカイブとして機能するべく活動しているかの指標にすると良い。まおゆうや転生したらスライムとかも、「内容の是非とは別に」アーカイブしとかないと後々ラノベの歴史を辿る際に難儀する。良い図書館は利用者の声を寄せないと維持できないから、皆も図書館に着目し、声をかけよう)

ニンジャスレイヤーも図書館に入れておくべきだぞ。あれは出版や文化のエポックメイキングになった「転換点の」作品だ。

ある時期、図書館界隈は熱にうなされた様に「良著を集めたい」とか「良著を市民に提供したい」と願い、俗悪で、エログロで、低俗かつ野蛮な書籍に背を向けた時期があった。そしていつの時代も大衆小説……note界隈ではダイハードテイルズが人気であるが、あの辺のパルプ小説なんかは……

常に文化的に低俗かつ猥雑で良著とは程遠いものであり続けている。

はっきり書いとくが、妖星伝なんて冒頭から女性を逆さに吊るして油塗りたくり性器を集団で弄ぶシーンから始まる。エログロサドマゾ重点である。これが一般小説としてシレーッと青少年の手の届くところに納められており、なんと市民の税金で購入されて良き市民に無償で貸し出されているのだ。これをもってンマー!なんて事ザマしょ!と目を三角にするなら少しだけ待って欲しい。

エログロサドマゾなんて序の口だ、

妖星伝では咲き誇る美しい花の園(暗喩や比喩ではなく、具体的に美しい花園だ)をこの上なく醜悪で酷いものであると理論的に証明する悪魔の如き視点を提示してくる。あの一作が提示してくる世界観や視点はエログロ描写の何十倍も刺激的であり、そっちの方が青少年に悪影響を及ぼしかねないのは間違いない。その視点ひっくり返しと壮大な……江戸時代の飢饉頻発の頃の話をしていたはずなのに、何故か世界創生の秘密や宇宙論に話が飛び、冗談抜きで光の速度を超えて宇宙に向かうという仰天の展開により、本書は凡人には到達不能な「歴史的伝奇小説」の名を勝ち取った。

世の中には稀に、大衆小説という「楽しければなんでもいーんだ」という自由の荒野からとんでもない傑作が飛び出てくる事がある。蛮族コナンやシャーロックホームズ、クトゥルフ神話なんかも今ではシレーッと良著の顔して本棚に収まっているが、奴らは低俗で、荒削りで、大衆的なパルプマガジン出身のヤンチャ坊主だった。日本におけるパルプ小説として、70〜90年代の大藪とか西村寿行のハードロマン(大体人が湯水の様に死んで消えて、女性は犯され主人公は無敵の傭兵とかエージェントだ)があるのだが、大変ヒットしたにも関わらず図書館蔵書は驚くほど少ない。例えば私が現代ラノベに至る道筋を研究したいと願い、過去の大衆小説を図書館に借りに行こうとすると……無いのである!

https://calil.jp/book/4198939209/search?pref=埼玉県

上記は埼玉県内図書館における「赤い鯱」という書籍の蔵書状況を検索した結果だが、埼玉県下に佃煮にする程図書館があるにもかかわらず、なんと蔵書してる所は8館しかない!(鯱シリーズは赤、黒、白、碧、緋、遺恨、幽鬼、神聖、幻覚…とかなりの冊数がある) 全部読むには埼玉県だけではなく首都圏全域から相互貸借で借りねばならぬかもしれない……

西村寿行なんてマイナーな……と思われる方も多いと思うが、作家部門年収ランキングで天辺取った事もある超売れっ子である。

このクラスの作家の本ですら、実は図書館では読めない。存在すら下手したら知られていない……世の中には本になれば永遠に作品が残ると考えている人もいるかと思うが、

書籍の命というものは意外と儚い。

ベストセラー作家や小説であっても、100年持つものは稀である。更に大衆小説と呼ばれる書籍は短命だ。我々は荒山徹という一代の作家と同時代に生まれ、氏の著作に巡り会えたことを神に感謝しなければならない。マジな話生まれた時代が10年20年ズレたら出会える作家はガラリと変わる。チャンドラーの様に何十年も書店の棚で出会える名著と言うものは毎年出版される本の中で…いや、数十年に一作出るか否かの奇貨なのである。

それらの奇貨ではない書籍は、人々の記憶の中で消えて行く。ひととき、眩い光を放って、思いの外あっさりと、潔く。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!