見出し画像

11.料理ができない嫁の話

私はヒロコ、68歳。
半年ほど前に、35歳になる一人息子が結婚した。
夫亡き後、女手一つで育ててきたので、ようやく肩の荷が降りた。お嫁さんにバトンタッチすることができてホッとした、というのが正直な気持ちだ。
息子も結婚したし、そろそろのんびりしようと、3ヵ月前に仕事を辞めたので、現在は年金暮らしということになる。

「ダメですよヒロコさん!仕事を辞めたら急に老け込んじゃう人多いんですから」
私の経営していたお弁当屋さんを引き継いでくれたマユミさんが、持参した手作りクッキーをつまみながらそんなことを言う。
39歳の彼女は息子より少し年上で、娘といってもいいくらいの年齢だが、高校時代からうちの店でバイトをしていて、すでに勤続20年超えの大ベテランだ。
「お店を閉めるなら、私が跡を継ぎます!」
マユミさんがそう言ってくれたので、私は喜んで彼女に任せることにした。

安くて美味しいおふくろの味のお弁当ということで、長い間地元で愛されてきたお店なので、やはり私も閉めてしまうのは寂しかったのだ。彼女なら完璧に味も引き継いでくれる。
「ヒロコさん、まだまだのんびりなんてさせませんよ!秋の新メニュー、一緒に考えてください!」
そう言って彼女は机の上に分厚いレシピノートを広げた。正直頼りにされるのは嬉しい。
「息子さん、結婚生活はうまくいってるんですか?」
20年来の付き合いなので、当然息子と彼女は顔見知りだ。
私は内心2人が付き合ってくれればいいのにと思っていたが、残念ながらそうはならなかった。
「さあね。私はうるさい姑にはなりたくないから、ほとんどノータッチなのよ」
私と息子が2人で住んでいた2 DKのマンションは新婚夫婦に譲って、私は今のワンルームのアパートで一人暮らしをしている。

息子のお嫁さんのミホさんは32歳、息子の3歳年下だ。共通の知人の紹介で知り合って交際に発展したとのこと。
初顔合わせの挨拶を終えてすぐミホさんが、
「このマンション、お義母さんが所有者ですよね? 3人で住むにはちょっと狭くありません?」
と言ってきた。
「そうね。かなり古いし…新婚さんは近くにマンションを借りて住んだ方がいいかもしれないわね」
私がそう言うと、
「それより、お義母さんが一人暮らしをされた方が家賃も安く済むし経済的じゃないですか?」
と、ミホさんが言うのだ。

私は結婚が遅く夫も10歳年上だったので、2人とも子供はもう持てないんだろうなと思っていた。夫は元々独身主義で、結婚前に買ったマンションは2人暮らしにちょうどいい広さ。
夫婦でのんびり暮らしていたのだが、思いがけなく息子を授かった。
いざ生まれてみると、我が子がこんなに可愛いものかと夫婦で感動したものだ。
息子のために定年後も働かないとな…とか、もう少し広い所に引っ越したいな…と言っていた夫は交通事故で亡くなった。息子が中学に上がったばかりの頃だった。
夫は自分に万一の事があった時のことを考えて生命保険に加入していた。事故も夫が完全に被害者だったので、慰謝料と合わせてかなりまとまった額のお金が入った。
とは言え、この先息子と2人で暮らしていかなければいけないことを考え、私は唯一の取り柄と言える料理の腕を生かして、小さなお弁当屋さんを始めることにしたのだ。

亡き夫との思い出の詰まったマンションだが、ミホさんの言う通り、新婚の2人がマンションを借りるより、私が一人暮らしをしてワンルームを借りる方が経済的だ。
彼女が帰った後、息子に言った。
「ずいぶんハッキリものを言う人なのね」
すると息子は、
「そうなんだ。俺はあんまり察しが良くないから、彼女のハッキリしたところがいいなと思って」
そう言って笑う。

息子がいいと言うなら、私に異論はない。
息子夫婦はちゃっかり家賃がタダの住まいを手に入れた上に、姑との同居も回避したことになるのだが、そこは息子も気を遣って、
「母さんが住むアパートの家賃は俺が出すよ。引っ越しも全面的に手伝うからさ」
そう言ってくれた。
「ありがとう。でも大丈夫よ。あなたたちだってこれからいろいろと入り用だろうし。引っ越しのお手伝いは頼むけど」
そうは言ったが、それでも今日顔を合わせたばかりのミホさんに、追い出されるようなモヤモヤ感が残った。

ある日、息子から電話があった。
「母さん、近いうちにこっちに夕飯食べに来ない?」
息子夫婦からお誘いがあった。これ自体は喜ばしいことだが、この後に続く話に私は頭を抱えてしまった。
「実はさ…ミホの料理がさ…」
息子が言いづらそうに話してくれたところによると、ミホさんの料理ははっきり言って、かなり不味いそうだ。
そもそもあまり料理が好きではなく、スーパーやコンビニのお惣菜や冷凍食品で済ませることが多く、それでも彼女が作る料理よりははるかにマシなのだそうだ。
息子も最初は、あれが食べたい、これはこうした方がいい、何なら俺が作ろうか?と、いろいろ提案したそうだが、そのたびにミホさんは超不機嫌になるらしい。
「うちはずっと朝はご飯に味噌汁だっただろ?嫁はパンかシリアルなんだよ。朝はご飯が食べたいって言ったら不機嫌になって、じゃあせめて味噌汁だけでも…と言ったら超不機嫌になって、翌朝無言でカップスープが出てきたよ…」
息子の嘆きに、なんと言っていいやら。食の習慣や好みは難しい。新婚夫婦が最初にぶつかる壁かもしれない。
それはともかく、息子がこう言い出したので私は頭を悩ませてしまったのだ。
「それでさ。夕食食べに来た時、それとなくミホに料理を教えてやってくれないかな」
気が進まない提案だった。

そして、ある日の夕方、息子夫婦にお呼ばれになって、ちょっと懐かしい元我が家にお邪魔したのだが、数カ月ぶりに会う息子を見て驚いた。
かなり痩せてしまっていたのだ。思っていたより事態は深刻なのかもしれない。
結婚して半年余り。その間、息子なりに何とかミホさんとの食生活を改善しようと努力してきたに違いない。
私に電話してきたのは、SOSだったのだ。
マンションは私が住んでいた時とは違う形にプチリフォームされていて、なんだか不思議な感じがした。
「いらっしゃい、お義母さん」
ミホさんはにこやかに出迎えてくれた。手土産のさくらんぼを渡すと喜んでくれて、
「座って待っててくださいね。すぐ食事を用意しますから」
と、いかにもできる嫁という感じを醸し出していたのだが…。
食卓に並んだ夕食のメニューを見て、私は変な汗が出てきた。
エビフライ…スーパーのお惣菜
ハンバーグ…手作りのようだが微妙に生焼け
付け合わせ…スーパーのお惣菜のポテトサラダ
味噌汁…豆腐と油揚げ
お新香…スーパーのぬか漬け
まず、義理の母を夕食に招くというのに、スーパーのお惣菜が大半だというのが私には理解できない。そもそも70歳近い年寄りにこのメニューは重過ぎる。
エビフライも、せめてクッキングシートでオーブントースターで焼くようにすればカリッと仕上がるのに、レンジで温めたのでベッチャリしている。
ハンバーグは案の定中心付近が生焼けで、味噌汁は顆粒だしを入れすぎて舌が痺れそうな味になっている。

極力ソフトに「こうするともっと美味しいわよ」とやり方を教えたのだが、ミホさんはどんどん不機嫌になっていく。
「ハンバーグは焼き直した方がいいわね。生のお肉はお腹を壊す可能性があるから」
私がそう言うと、ミホさんはひったくるようにお皿を回収し、ハンバーグを強火で再加熱。真っ黒焦げにして「これで文句ないんでしょ?」とばかり乱暴に皿を置いた。
「そうだ。よかったら私のぬか床を少しおすそ分けしましょうか?」
良かれと思ってそう言ったのだが、これが彼女の逆鱗に触れてしまったようだ。
「この人がぬか漬けが好きだから、わざわざスーパーで買って出してるんです!私は大嫌いで触りたくもないのに!それなのに私に臭いぬか床を毎日かき混ぜろって言うんですか?!」
そうか、ぬか漬けが嫌いな人にはハードルが高かったかもしれない。
「お義母さんだって、しょっちゅうお弁当を食べさせてたらしいじゃないですか!スーパーのお惣菜と変わらないでしょ?!」
何だか話が誤って伝わっているようだ。
確かに私が経営していたお店のお弁当を食べさせる事はあったが、実際のところ私の手作り料理と何ら変わりのないものだ。
「スーパーやコンビニの弁当じゃなくて、母さんが自分でやってる店の手作りのお弁当だよ。ちゃんとそう言ったじゃないか!」
思わず説明に走る息子。
「そうやって、あなたはお義母さんの味方をするのね!もういいわ。食べたくないなら食べなくて!!」
そう叫ぶように言って、彼女は寝室にこもってしまった。
残された私たち親子は、ため息をついて食卓の上の料理を眺めた。
「ごめんなさいね。ミホさんを怒らせてしまったわ」
私が謝ると、息子は、
「俺が贅沢なのかなぁ?でも毎日の事だから辛いんだよ。本当に限界なんだ」
半泣きの顔でそう言った。
いったい私はどうしたらよかったのだろう?とにもかくにも息子の食生活は改善される見込みはなさそうだ。
心配だが、どこまで口出しして良いものやら判断に困る。

その数日後、突然ミホさんが私のアパートを訪ねてきた。
「先日はどうもすみませんでした」
完全に嫌われてしまったと思っていたので、ミホさへの訪問を私は喜んだ。
とっておきの紅茶とお茶菓子を振る舞い、ミホさんとの親睦を図ろうとした。
「お義母さん、お金持ちなんですってね」
いきなりミホさんにそう言われて私は面食らった。
息子に何を聞いたのか知らないが、確かに貯金はある。
亡くなった主人の遺してくれたお金と、弁当屋をやってコツコツと自分で貯めたものだ。
「私、妊活したいんです。お義母さん少し援助してもらえませんか?」
彼女も32歳。厳しい年齢にさしかかるので、その気持ちはよくわかる。
頼られたら断ることができなかった。
私はタンス預金から50万円を渡し、
「大変だと思うけど、夫婦で頑張ってね。私も息子を授かったのは33歳の時だから、気持ちよくわかるわ」
私がそう言うと、ミホさんはムッとした顔で、
「お金出したからって、 プレッシャーかけないでくださいよ!」
そう言ってきた。なんでそうなるのかよくわからない。
「嫁と姑が上手くいくわけないって聞いてたけど、やっぱり本当なんですね。私SNSやってるけど、お義母さんものすごく叩かれてますよ」
そう言って彼女がスマホの画面を見せてきた。
先日の夕食の時の話だろう。彼女を応援するコメント、私を口汚くののしる内容がたくさんアップされていた。
私はショックだったが、チラッと見えた書き込みから、ミホさんが自分の都合の良いように被害者として書き込んでいるのが分かった。

「嫁と姑が上手くいくわけない…か」
そんな事はないと思うのだが、実際に彼女とこれから上手くやっていけるのか自信がない。
何よりSNSのあのようなやりとりを私に見せてきたことに強い悪意を感じて気持ちが落ち込んだ。

しばらくして、息子に電話で彼女の妊活の話をしたら、驚くような反応が返ってきた。
「妊活なんてやってないと思うよ。あいつ子供が嫌いだし。俺もどうしてもってわけじゃないから…」
妊活費用を無心されたのでお金を渡した、と話したら、息子はかなり驚いていた。
息子は、私がお弁当を食べさせていたという彼女の誤解を解くため、私が夫の遺してくれたお金でお弁当屋さんを始めたこと、地元では人気のお店で繁盛していたことなどを話したそうだ。
それを聞いた彼女は、
「へぇー。お義母さんってお金持ちなんだ」
と興味津々で貯金額などをしつこく尋ねてきたという。
息子は困惑しつつ
「さぁ?多分1億くらいあるんじゃない?」
と言ってしまったらしいのだ。
「ごめん。俺余計なこと言っちゃったみたい。妊活のことはちょっと確認してみるよ」
そう言って電話を切った。

息子からの返事がないまま、モヤモヤした日々を送っていた私にさらに衝撃の出来事があった。
カード会社から身に覚えのない請求が来たのだ。
私は普段カードは使わない。慌てて確認すると財布からカードがなくなっていた。財布を落としたならともかく、普段使わないカードが財布から落ちることは考えづらい。
何よりそのカードで買われたものがブランド物のバッグと財布だったので、自分の疑念は間違いないと思った。
この前彼女が来た時、こっそり私の財布からカードを盗んだのだろう。
妊活をするという嘘をついて、私から50万円を騙し取っただけでなくカードまで盗むとは…。料理が不味いどころの話ではない大問題だ。
私はすぐに信販会社に連絡してカードの利用を停止した。家族が勝手にカードを利用した場合、罪に問われることはあまりないようだが、これ以上勝手に買い物をされてはかなわない。
私に貯金があることを知って、お金に目がくらんだのだろうか?もともと財産目当てだったわけではないだろう。
なんだか悲しかったが、このまま黙っているわけにはいかなかった。

彼女の料理はこりごりなので、事前に息子に連絡を取り、
「たまには母さんの手料理を作りに行ってあげようか?」
そう打診すると、予想以上に息子は喜んだ。
「ミホさんはまた不機嫌になるかもしれないけど、構わないかしら?」
私がそう聞くと、
「うん。ちょっと俺も限界だし…覚悟はできてる」
と諦めたように言う。

その日私は材料も全部持参して息子夫婦のマンションを訪れ、かつて慣れ親しんだキッチンで腕を振るった。
ミホさんは寝室にこもって、私を手伝うことはなかった。
きっとまたSNSで私の悪口でも書き込んでいるのだろう。
「あー!うまい!これだよこれ。お前も食べてみればわかるよ!」
ちょっと感動しすぎだろうというくらい、息子は私の料理を食べて喜んでいる。
もっとも、息子の好物ばかり作ったのだけど…。
しかし、味噌汁をひと口すすったミホさんは、
「このお味噌汁って味が薄いんじゃない?」
と眉をしかめている。
「それはね。あなたが顆粒だしを入れすぎるからよ。顆粒だしが悪いんじゃなくて、入れすぎが問題なの」
少し厳しめの口調で言うと案の定、
「いっぱい入れた方が美味しいんですよ!」
とムキになって言い返してきた。
「スーパーのお惣菜だって、一手間加えれば全然違うし、忙しい主婦にとってはとってもありがたいものよ。私だって忙しい人たちのためにずっとお弁当を売ってきたんだもの。でも、ミホさんは働いてるわけじゃないし、調理の時間はたくさんあるでしょう?」
私がそう言うと、彼女はちょっと黙り込んだ後、
「こんな薄味の年寄り臭い食事なんて、私は作れないわ!」
吐き捨てるようにそう言った。

さすがに息子もこれには腹を立てたようだ。いや、もうずいぶん前からうんざりしていたのだろう。
「君が作れないと言うならもういい。そもそも作る気なんてないんだろ?この煮物も焼き魚もピーマンの肉詰めも、味噌汁だってぬか漬けだって、君の作る料理の100倍美味しいよ!!」
息子に激しく文句をつけられた彼女は、勢いよくその場を立ち、
「あー!やってられない!!あなたがマザコンだなんて知っていたら結婚なんかしなかったわ!!」
と口汚く叫んだ。
母親の料理が美味しいと息子が褒めたらマザコンなのだろうか?

私は、バッグをつかんで部屋を出て行こうとする彼女を呼び止めた。
「ちょっと待って!そのバッグって、あのブランドの新商品よね?」
一瞬ギクッとした彼女だったが、
「えっ?そうですが、それが何か?」
シラを切り通すことに決めたらしい。
「私のカードで、そのブランドバッグが購入されたと請求が来たの。私は心当たりがないし、変だなぁと思っていたのよ」
ズバッと切り込んだが、彼女は怯まない。
「えっ?お義母さん、自分のお買い物を忘れておられるのでは?お年をめされるとありがちですよね」
言うに事欠いて、私の認知能力のせいにしようとする。事情がわからず黙っていた息子が、
「なぁ?そのバッグと一緒に財布も買ってきてたよな?」
と、渡りに船のツッコミ。
「そう、信販会社の請求もバッグとお財布だったわ。合わせて35万円…」
「おい!どうして君の買い物の請求が母さんのところに行くんだ?」
「私のお財布からカードを盗んだからよ」
私が種明かしをすると、息子はがっくり肩を落とした。

「カードを盗んだのか?何考えてるんだ?身内とはいえ、犯罪行為だぞ!」
息子に責め立てられても彼女は悪びれることなく、
「やあねえ、盗んだなんて人聞きの悪い。ちょっと借りただけよ。お義母さんは年金があれば十分でしょ!?お金なんてあの世まで持っていけるものじゃないんだから、使った方がいいじゃない」
全く言い訳になっていないが、本人は悪いことをしたとは思っていないようだ。
「それで妊活をするという嘘までついて、母さんから金をせしめたのか?」
「嘘じゃないわ。本当にしようと思ってたのよ。でもなんだかすごく大変そうだし、男性も大変みたいだから…あなたも嫌じゃないかなって…」
まるで息子のためを思ってやめたかのような物言いだ。
「俺は何も聞いてないぞ…」
彼女との話し合いが不毛だということに息子も気づいたようだ。
息子夫婦に子供がいてもいなくても、私はどちらでもいいと思っていた。
息子がミホさんと幸せに暮らしてくれればそれでいい。
しかし、どうやらそれは無理な願いのようだ。

「私が暮らしていくのは年金で十分かもしれない。確かに貯金もある…」
と私が言いかけると、彼女は自分の指摘が間違いではなかったとでも思ったのか
「えっ?そうでしょ?そうですよね?だって…」
と、目の色を変えた。私はそんな彼女を抑えて話を続けた。
「私のためのお金じゃない。息子と息子の家族のためのお金なの」
これを聞いて、彼女は目を輝かせた。
「でも私はあなたを家族とは認めない。あなたが使えるお金じゃないのよ」
彼女は赤くなったり青くなったりしていたが、
「何言ってるんですか?私は嫁ですよ?家族じゃないですか!!」
と口をとがらせる。
よくもまぁ、そんなことが言えるものだ。
おもむろに息子が切り出した。
「俺はもう君と夫婦でいたくない。離婚しよう」
その言葉を耳にした途端彼女は逆上し、
「ちょっとおかしいんじゃない?なんでいきなり離婚って話になるのよ!!」
とわめき散らしている。
「いきなりじゃないよ。この数カ月ずっと考えてた。君が料理が得意じゃないのは仕方ない。でも何の努力もしようとしなかったじゃないか」
息子はよほど嫁の料理に辟易していたのだろうが、料理下手という理由で離婚はできない。
「私が何の努力もしなかったという証拠はあるわけ?!」
彼女は小学生のような理屈をこね出した。

私も黙っていられなくなった。
「あのね。料理は食べてくれる人のことを思って作るものなの。上手いとか下手とかじゃない。誰でも味を再現できるようにレシピってものがあるの。あなたは私に息子の好物を尋ねたこと、一度もないわよね?」
好きな人に美味しいものを食べさせてあげたいという気持ちが大切なのだ。
「それと、料理は離婚の理由にならないかもしれないけど、あなたが嘘をついて私からお金をせしめたことや、カードを盗んで買い物をした事は犯罪よ?立派な離婚の理由になるわ!」
息子が離婚する気なら、私は全面的に息子の味方をするだけだ。
「何よ!親子そろって!!バカ親にマザコン息子が!!」
ミホさんは癇癪を起こして聞くに耐えない言葉を口にしたが、
「これ以上嫌いになりたくないから、静かにしてくれないか」
息子が冷たく突き放すと、ようやく静かになった。
「君が離婚したくないと言うなら、調停でも裁判でもやったらいい。君に勝ち目はないと思うけど…おとなしく別れるならそのブランドバッグと財布はあげるよ。母さんには、妊活詐欺の被害金も含めて俺が返済する」
息子の決意は固いようだ。別に私は息子から返済してもらわなくても良いのだけど、ここは黙っていることにした。
「何よ、詐欺って人聞きの悪い!これっぽっちで手切れ金にするつもり?冗談じゃないわ!!」
彼女はなおも食い下がろうとする。
「わかった。それなら全部君に請求するから、待ってろ!」
息子の捨てゼリフを聞いて、ようやく彼女も自分が不利なことに気づいたようだった。

そんなことがあって、しばらくして、私の店を引き継いだマユミさんがレシピノートを抱えてやってきた。
来訪の目的は、お正月メニューの相談。
嫁との修羅場を話すと「それは大変でしたねぇ」と心から同情したように言った。
息子の離婚は無事成立、ミホさんは荷物をまとめて出て行った。
結局私は元のマンションに戻り、再び息子と2人で暮らすことになった。
元嫁を紹介した知人は、後ろめたさがあるのか彼女のその後のことを息子に教えてくれた。
料理がまったくできないことや、義母の私にやらかした犯罪行為や暴言の数々が噂になり、友人もいなくなってしまったという。
まあ、今回だけでなく元々の性格に問題があったのだと、今さらながらに思う。
彼女は婚活に励んでいるらしいが、お金持ち狙いの魂胆が透けて見えるのか、全く交際に繋がらないのだとか。
私たちのような被害者が二度と出ないことを祈るばかりだ。

「でも、お母さんが料理上手だと、お嫁さんはちょっと大変かもしれないです。地方によっても食習慣が全然違ったりするし、難しい問題ですよね」
マユミさんが痛いところを突いてくる。
「そうねえ。あなたがお嫁さんだったらこんなことにはならなかったでしょうねえ。なんせ完璧に私の味を再現できるんだから」
私がなんの気なしにそう言うと、
「やめてくださいよー。純情な40歳1歩手前のおばさんをからかわないでください!」
と、彼女はちょっと赤くなった。
隣でコーヒーを飲んでいた息子が
「マユミさんはおばさんじゃないよ。実は俺の高校の頃の憧れだった。美人で料理が上手いなんて最高!って思ってたんだよ」
と言い出して赤くなったので、妙な空気になった。
「えーっ?その時言ってくれればよかったのに!」
「いや、だって年下の高校生なんてほとんど子供扱いだったし…」
そんな軽口を言い合う2人を見ていたら…これはもしかしたらもしかするかも?と思えてきた。

この3人なら家族になってもきっと上手くやっていける。
ならば、キッチンはもっと広い方がいいわね。
そんなことを考えていると、自然に口元がゆるむ。
男の人を捕まえるにはまず胃袋から…案外本当なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?