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13. なんちゃってグルメの夫の話

私の名前はリエ、28歳。
夫のシンジとは、小学校のクラス会で再会して結婚した。
クラス会で、たまたま隣の席に座ったのがシンジだった。
「リエちゃん変わらないね。すぐわかったよ」
「ちょっとぉー!この場合『変わらない』は褒め言葉にならないわ。これが40、50代だったらそうなんだろうけど…」
私が怒ったふりをしてそう言うと、
「ほら!そういうところがやっぱり変わってない」
と彼が笑った。

小学校の同級生というのは、幼馴染みともちょっと違って不思議な感じだ。
年齢が同じだけあって、思い出の共有部分が多い。
シンジとは席が隣同士になったことがあって、消しゴムや鉛筆の貸し借りをしていた。
うん…全然大した仲ではなかったけど…

私はハッキリ意見を言う、体育会系女子。
シンジは小柄でおとなしい文化系男子。
小学生の頃は、友達グループが違う感じだった。

でも大人になってみると、そんな事は全然関係なくて、シンジはスラッと背が伸びて大人っぽくなっていたし、私は…あまり変わっていないかもしれないけど、とにかくなんだか話が合って盛り上がってしまったのだ。

互いに食べるのが好きということで、お食事デートをすることになった。
シンジが連れて行ってくれたのは、高級なフレンチレストランだった。
「こんなとこ、よく来るの?」
私だって食べ歩きは好きで結構いろんなお店に行ってはいるが、あまり高級な店には縁がない。
「うん。時々ね。ここはワインの品揃えも最高だし、特に肉料理が絶品なんだ」
こんな風に言うシンジを頼もしいと思ったものだ…その時は。

「うーん。なんだか少し味が落ちたな。いつもよりちょっと肉を焼きすぎてて硬くなっちゃってるし」
シンジはそう言うが、私には十分美味しいお肉だった。
「やっぱりテレビで紹介されてから、味のわからない客が増えて、味が落ちたんだな」
いかにも自分は味のわかる男といった感じで、この後料理に関するうんちくが続いた。
私は多少うんざりしたが、この人は本当に食べることが好きなんだなと思ったし、下町の定食屋の娘としては、食べるのが好きな人は好印象だ。

私の実家は祖父の代から下町で定食屋をやっていて、私は調理師専門学校を卒業後、父と母がやっているそのお店を手伝っている。
親子とはいえ、従業員扱いできちんと給料をもらっている。
地元の人たちに愛されている、安くて美味しい定食屋さんが私は大好きだ。
「リエのとこは定食屋だから、こんな高級な店で食事しても参考にはならないかな?」
ちょっとうちの店を馬鹿にしている?と思ったけれど、この時はまだ深く考えていなかった。

順調に交際が進み、私たちは結婚した。
元々小学校の同級生だったので互いの実家も近い。
私が実家の仕事を手伝っていることもあり、結局地元でマンションを借りて住むことになった。
話し合いの結果、お互いに生活費として10万円ずつ共同口座に入れて、家賃や光熱費、食費などはそこから賄う。
個人の服や通信費、趣味のものはそれぞれ自分で出すことになった。
シンジは名前の知れた企業のサラリーマンだし、ちょっと10万円は甘いかなと思ったが、家事も進んでしてくれると言うのでまぁいいかと納得。
「なるべく無駄遣いしないで、お互いに貯金しようね」
という、結構ゆるい取り決めで新生活はスタートした。

実家の定食屋は朝10時から夜8時までの営業。
昼の仕込みは父と母がやってくれるので、私は11時前に出勤すればいいことになっている。
父は市場で仕入れをするので朝が早い。
私の担当は遅番なので、帰宅はどうしても夜9時過ぎになってしまう。
朝は朝食を作ってシンジを会社に送り出し、仕事に出るまで少し時間があるので朝のうちから夕食の準備をしておく。

お互い実家に住んでいたので、結婚前はお弁当くらいしか私の手作り料理を食べていなかったシンジ。
一緒に暮らし始めて初めて作った私の手料理を褒めてくれた。
でも、自分の母親のことに話が及ぶと「冷凍食品だらけの手抜き料理」とけなし、私にも冷凍食品だけは使わないよう求めてきた。
こんな言い方をされたらお義母さんが気の毒だ。
最近の冷凍食品は味も良いし種類も豊富で、子育てに忙しい主婦にはありがたいのに…。
私だって、もし子供ができて忙しくなったら、冷凍食品のお世話になりたい時があるはず。
でもシンジはそれを許さないのだろうか?
将来への不安を少し感じた。

「私帰りが遅いから…我慢できなくなったら、夕飯は冷蔵庫に入れてあるのを自分で温めて食べてね」
と言っておいたのだが、シンジはいつも私の帰りを待って夕食の用意をさせた。

ある日の夕食にすき焼きを出した時。
「この牛肉いくら?」
鍋に入った肉を見るなりシンジが言った。
「100グラム1200円くらいかな?割引価格だから、本来ならもう少し高いと思う」
国産和牛だし、私は奮発したつもりだった。
ところがシンジは、
「すき焼きならA5ランクの霜降り肉じゃなきゃあ!」
とか言い出した。さらには、
「いつもの料理みたいに、ごまかしがきかないんだからさ」
と、引っかかる物言いをする。
私の料理はごまかし?…
手頃な食材を使って美味しく調理するのが、主婦の知恵というものではない?
味にうるさいのはいいとして、食材にまでこだわりすぎるのは考えもの…。私はそう思い始めていた。

ある日、私が帰宅して夕飯の準備を始めると、
「あーごめん。俺先に食べちゃった」
とリビングからシンジの声がした。
ふとゴミ箱を見ると、食べ終わったお弁当らしき空の容器と包み紙が捨ててある。見るからに高そうな容器…包み紙には『高級黒毛和牛贅沢御膳』と書いてある。
「お弁当買ってきたの?ずいぶん高そうね」
別に責めるつもりはなくそう言ったのだが、
「うん。4千円。たまには美味しいもの食べたくてさ。キミ帰ってくるの遅いし」
と聞き捨てならないことを言う。しかも4千円?!
「どういうこと?私の料理が美味しくないってこと?」
私の声に怒りがこもっていることに気づいたシンジは、
「いやほら、キミの料理は美味しいけど、食材自体が安っぽいじゃん」
と全然フォローにならないことを言ってくる。

確かにそんなに高級な食材は使ってないが、父が市場で仕入れたものを安く分けてもらっている。
新鮮な旬の食材も多い。
「あのね。高い材料を使ってればいいってわけじゃないでしょ!家で使っている食材は、父が市場で仕入れたものがほとんどなのよ!」
私が少し喧嘩腰になってしまったのも悪いんだけど、
「下町の定食屋じゃ仕方ないよな。大体毎日夕食が9時過ぎって、体に良くないだろ。だからキミ太ってるんじゃない?」
確かに太めではあるけど、ここでそれを言う?
どこに腹を立てていいかわからないくらい腹が立った。
「確かに夕食が遅くなるのは申し訳ないと思ってるけど。だから支度してあるでしょ?別に外食してきてもお弁当買ってきても構わないけど、だったらあらかじめそう言っておいてよ!」
そう言いながら2人分の夕食を明日の朝食にアレンジすることを考えていたら、
「だってその日の気分なんだから、事前に言うことなんかできないよ」
と、こちらの都合なんかまるで考えないシンジにますます腹が立った。

これが初めての夫婦げんかだったが、その日以降シンジが外食をしてきたり、高級弁当を買って帰ることが多くなった。
私が帰宅すると、玄関前に寿司桶が置いてあることもあった。
近所では有名な高級寿司店のものだ。
そしてシンジは、ただの1度も私の分のお弁当を買ってきてくれたことはなく、私の分の出前をとってくれたこともない。
そのことも私の心にわだかまりを作った。
そんな日々を繰り返しているうちに、私は夕食の支度をするのが馬鹿らしくなってしまった。

一緒に暮らし始めて半年が過ぎた頃、
「じゃあ、夕食は各自勝手に食べることにしましょう」
私がそう提案すると、シンジは不満そうにこう言った。
「えっ?だったら共同口座に入れるお金少し減らしてくれよ。食費が自腹になるんだから」
いくらなんでもちょっとせこすぎる。
私はいつも夕食の支度をしておいたのに、それを食べずに勝手に外食をしたり、お弁当を買ったり、出前を取ったりするのは自分じゃないか。
もちろん、私はその意見を却下した。

ある日のこと、シンジが少し神妙な顔でこう言いだした。
「あのさ。すまないけど今月共同口座に入れるお金、パスしていいかな?」
これは2人で最初に決めたことで、そう簡単に認めることのできる問題ではない。
私がそう言うと、
「だって金がないんだから仕方がないだろ!」
逆ギレ?という勢いでシンジが言い返してきた。
「有名企業のサラリーマンなのに、どうしてそんなにお金がないの?浮気でもしてるの?ちゃんと説明してくれなきゃ納得できないわよ!!」
負けずに気合を込めて言い返すと、意外にもあっさりとシンジは白状した。
実は勤めている会社は有名企業ではなく、有名企業の下請けの小さな会社で、給料は手取りで15万円だそうだ。
昨今の景気低迷でボーナスはなし。
私が呆れて「なんでそんな嘘を…」と聞いたら「馬鹿にされると思って」と言う。
せめて「君と結婚したくて嘘をついちゃった」とか言い訳すれば、もしかしたら許してあげたかもしれないのに…。
そりゃあ15万円の給料で、共同口座に10万円入れて、しょっちゅうあんな高いお弁当とか食べていたら足りなくなるに決まっている。
「なんでお金がないのに、あんな高い弁当を買って食べたりするのよ!」
私がそう言うと、
「仕方がないだろ!俺は味覚が鋭敏なんだよ!定食屋の娘のお前みたいな貧乏舌とは違うんだ!」
開き直って自画自賛した上、うちの定食屋を馬鹿にしてきた。
これには、堪忍袋の緒が切れた。

グルメ気取りのシンジだが、実際それほど味のわかる男ではないと、一緒に暮らしてまもなく気づいていた。
朝食は和食で毎朝お味噌汁を作るのだが、鰹節、煮干し、昆布など、具材に合わせて出汁をとっている。
うんちく好きのシンジの事だから、
「おっ。今日の出汁は煮干しだな。コクがあって美味しいよ」
とか言うと思ったら、何の材料で出汁をとってもノーコメント。
ある日、いたずら心で顆粒出汁で味噌汁を作って出してみたのだが、この時もノーコメント。
つまり、彼は料理の味がわかるわけではなく、高級な食材を使った料理を食べる自分が好きなだけなのだ。
そして、そんな自分は安い食材を工夫して美味しい料理を作る人間より、レベルが上なのだという勘違いをしている。
これに気づいた時、私はとてもガッカリしてしまった。
その上、今回の勤め先の嘘や安い給料が明らかになり、この人とはもうやっていけないかも知れないと思い始めていた。

翌朝、昨夜の憤りは収まっていなかったが、朝食の支度をした。
結局無いものは仕方ないので、共同口座への入金は今回に限りパスすることを許さざるを得なかった。
その代わり、これからは贅沢を控えると約束させた。
それが気に食わなかったのか、不機嫌そうに朝食のテーブルについたシンジは、
「あーあ。いつも貧乏くさい朝食だよな」
と、味噌汁をすすりながら、またけんかを売ってくる。
「そちらがその気なら、私も言うけど…みそ汁の具に合わせて毎日出汁を変えたりしてたけど、あなたは一切気づいてなかったわよね?今日のは出汁の素なんだけど?鋭敏な味覚もいい加減なものね!」
私がそう言うと、
「えっ?」
と驚いた顔に。
「当然気づいてたよ。特別コメントする必要はないと思ったから言わなかっただけさ」
と明らかに動揺した様子で言い訳をする。
これはもう言い訳もできないくらい、徹底的にやり込めてやるしかない!と私は思った。

日曜日はシンジも私も仕事が休みだ。
さすがにその日はシンジも私の手作りの夕食を食べる。
その日私が作ったのは、代替肉の大豆ミートで作った酢豚と焼き豆腐を使ったバンバンジーだ。
「お味はいかが?酢豚は初めてだったよね?」
私がそう聞くと、シンジは機嫌を取ろうと思ったのか、
「うん。ウマいよ。やっぱり君の料理は美味しいな。このバンバンジーも胡麻が効いててすごくウマい」
と褒めてきた。
「そうでしょう?その酢豚もバンバンジーも、とても大豆で作ったとは思えないわよね?」
私がにっこり笑うと、
「えっ?なんだって?!」
ご飯を口に詰め込んだまま噴き出しそうになったシンジは、器官にものが入ったのかしばらく咳き込んでいた。

その後逆上して、
「なんでこんな騙し討ちみたいなことをするんだよ!性格悪いな!!」
と真っ赤な顔をして怒鳴ってきたので、
「あなたが自分の味覚は鋭敏だと自慢するからでしょう?それだけじゃなく、私のことも私の実家の定食屋のことも馬鹿にしたわよね?フェイク料理を見破れないようじゃ、その味覚こそフェイクだわ!」
そう言ってやった。
「美味しいものを食べたいのは皆同じよ。でもあなたのは、ただ高いものが食べたいだけじゃないの!」
「高いものは高いだけあって美味しいだろ!!何が悪いんだ!!」
「だから、あなたの手取りの15万円じゃ、政治家やIT企業の社長が食べるような高級料理は無理だって言ってるの!!そんなに食べたいならもっと稼げばいいでしょ!!」
そう言いつつ、高級料理を食べる人の私自身のイメージが貧困だとも感じて、少し恥ずかしかった。
そう言われたシンジは黙って立ち上がり、家を出てその夜は帰らなかった。

シンジがどこに行ったのかは見当がついている。徒歩圏内にある実家だろう。電話をしてみると義母が出た。
「お義母さんすみません。シンジさんはそちらに行きましたか?ちょっと喧嘩しちゃいまして」
シンジは案の定実家に帰っていたようだ。朝は実家から出勤したらしい。
義母は大きくため息をついて語りだした。
「おおよそ理由は想像がつくわ。お食事の事でしょう?あの子は本当にうるさくて…私も散々文句を言われたわ。自分は作りもしないくせに、到底手が出ないような高い肉を出せとか、冷凍食品は手抜きだとか、味のわからない親で恥ずかしいとか…」
義母は怒るでもなく、淡々と自分の体験を話した。まるで、私のことを話されているような気分になった。
「だから、あなたの気持ちはよくわかるわ。ご実家の定食屋さん、私も何度か行ったことがあるのよ。安くて美味しくて…息子の結婚相手がそこの娘さんだと知って、もしかしたらあの子も変わってくれるかもって期待していたのだけど…」
そう言って義母は、またため息をついた。
そして彼は今まで実家に1銭も入れたことがないという。
たとえ手取りが15万だとしても、丸々自分で使っていたならそれなりに良いものが食べられたのだろう。
しかし、私と結婚したことで共同口座に10万円も入れることになり、これまでの贅沢ができなくなったのだ。この時、私はふと嫌な予感がした。
その後、義母と私はしばらくシンジのことを語り合った。
「あなたがあの子と別れたいと言っても私は止めないわ」
料理をないがしろにされる気持ちがわかるゆえの言葉だろう。
「でも、あの子がここに戻るのはまっぴら御免なの。もし行く所がなくて戻ってきたいと言うなら、毎月10万円を家に入れてもらうつもりよ!!」
実の母にすら見放された息子…。
まぁ自業自得だろう。

この時の嫌な予感は当たっていた。
シンジに借金があったのだ。
自由に使える5万円であれだけの贅沢ができるわけもなく、持っている数枚のカードは限度額まで使い切り、その返済もできなくなっていた。
借金までして分不相応な高い食事をする。
借金してブランド品を買いまくる見栄っ張り女と何ら変わらない。
いや、料理を作る人間を馬鹿にして見下す分、シンジの方がひどいと思う。

まもなく私たちは離婚した。
私の個人的な貯金を使えばシンジの借金は返済できたが、そんなことをしてあげる義理は無い。
「私はただ、食べることが好きな人と結婚して、美味しい料理を作って2人で食べて、美味しいねって…笑いあう、そんな暮らしがしたかっただけなのよ」
別れ際の私の最後の言葉にシンジは何の反応も示さず、暮らしたマンションを黙って出て行った。
その後シンジは実家に戻ったが、あの時の電話で話した義母の決意は固く、家に10万円入れなければ家には入れないとの条件をきっぱり飲ませたようだ。
手取り15万円で借金を返済しつつ1人暮らしをするのは到底無理。
大好きな高級美食もままならず、最近は会社が終わった後もバイトをしているそうだ。
これは、実家の定食屋に来たシンジのお母さんの話。
「本当にバカよねあの子。こんなに美味しい料理を作ってくれるお嫁さんを逃しちゃうなんて…でもね、最近私の作った料理を文句を言わずに食べるようになったのよ」
そう言ってお母さんは笑っていた。

「なんだよリエちゃん。出戻りだって?こんな性格も料理の腕も良い嫁、なかなかいるもんじゃないのに!!」
「どうだい?うちの甥っ子のところに嫁に来ないか?いや。ジジイでよければ俺が嫁に欲しいくらいだよ」
…と、定食屋の常連さんの言葉は優しい。
そのうち良いご縁があるかもしれないけれど、新しい仕事が舞い込んだ今の私にそんな余裕は無い。
シンジをやり込めるために作った大豆お肉のメニューをSNSでちらっと紹介したら、予想外に食べてみたいという反応がたくさんあったのだ。
そんな要望に応えたいと思い、当初は実家のお店で提供しようと計画したが、
「この近くに居抜きの店が売りに出ているから、そこを改装して自分で店をやってみたらどうだ?」
との父の提案でチャレンジすることにした。
なんと、開店資金は父が出してくれるという。
そうなら、大豆の肉料理だけでなく、他のメニューも増やさなければいけないし、勉強することがたくさんある。
話題性や興味本位だけでなく、アレルギーや様々な理由でその食材が食べられない人のための料理も作りたい。
誰かが「美味しい」と言って喜んで食べてくれる、それが私の幸せだ。

でもいつか「この人のためだけに料理を作りたい」と思えるような人に出会えたらいいな…と思う。
まぁそうなっても、お店は絶対に続けていくけど…。

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