福部里志

文学の霊感

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最近の記事

第十回林芙美子文学賞(大原鉄平「森は盗む」)

冒頭、吉武が子供の頃に閉じ込められた木組みの牢屋について、《明治時代の監獄のような》という比喩が用いられている。いや、これは比喩というより、比喩の皮を被った粗末な説明書きに近い。 《明治時代の監獄のような》は、比喩として低質なだけでなく、誤った説明だ。明治時代の監獄と言えば、「明治五大監獄」――石造や煉瓦造を中心としたモダンな建造物群が有名だ。当時の政府は(明治維新を経て)自国の近代化をアピールするため西洋の様式でもって「明治五大監獄」を建造した。格子状に木材を組んだ監獄が

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    • 木崎みつ子『コンジュジ』

      仮に小説として不出来だったとしても称賛するつもりで『コンジュジ』を手に取った。トラウマというセンシティブな問題に対峙しようとした作者を応援したい気持ちがあったからだ。読み進めるにつれ、僕の気持ちはどんどん盛り下がっていった。小説の文章が下手なのはいくらか目を瞑るつもりでいた。問題は、それが「いくらか」と言える程度に留まっていなかったことだ。 いちいち指摘していたらキリがないものの、愚にもつかない比喩の連続は目も当てられない。《水を得た魚のように》《小鳥と一緒に青空を飛べそう

      • 第五回ことばと新人賞受賞作(池谷和浩「フルトラッキング・プリンセサイザ」)

        ことばとも五大文芸誌も掲載される小説の質が低い点で共通しているが、ストレスなく読める点ではことばとより五大文芸誌のが優れている。五大文芸誌は――さすが大手の出版社と褒めるべきか――校正漏れが皆無に等しいからだ。 ことばとvol.7は前号に続き校正漏れが多かった。このザマなら、書肆侃侃房の他の書籍も校正漏れが多いのではないかと気持ちが萎えてしまう。文学フリマで五百円で売られている雑誌なら気にならないが、「ことばと」は(数が少ないとはいえ)書店に流通するような”立派な”文芸誌な

        • 久栖博季「ウミガメを砕く」

          新潮2023年6月号。 読み始めてすぐに思ったのは、文章が下手、ということ。 書き出し、 《素足で陶器の破片を踏んだら、目の中に炎が燃えた。烈しいのに暗い炎だった。わたしは咄嗟にiPhoneのライトを点灯してマントルピースの上を照らし、その上に置いてある古い写真を睨みつけた。そうして動物に囲まれた写真のひとを目の中の炎に閉じこめて「アッシジの聖フランチェスコ」と揶揄する。そのひとの髪は短くさっぱりして、のぞいた耳朶には大きな銀色の輪のピアスをしていた。女性なのに、わたし

        第十回林芙美子文学賞(大原鉄平「森は盗む」)

          中上健次『蛇淫』

          小説を芸術の域に持っていくには、「物語」という”定型”に作家の肉体・精神を流し込む必要がある、それは作家の肉体・精神と結びついた経験(記憶)から文章のひとつひとつに「色」をつけていくことを意味する、中上ははじめから作家固有の「色」を掴んでいた、だからニ十歳そこらで「海へ」を書き上げることができた。 とはいえ、「海へ」に――物語の原型となり得る主題はあっても――物語と呼べるものはない。あるのは作家固有の「色」だけ、中上の身体感覚が反映された描写で保っているような作品だ。「海へ

          中上健次『蛇淫』

          パーラ・ハルポヴァー/ヴィート・クルサーク『SNS-少女たちの10日間-』

          パーラ・ハルポヴァー/ヴィート・クルサーク『SNS-少女たちの10日間-』、十二歳の少女に扮した三人の女優がSkypeを通じて男性から性的なアプローチを受ける、その生々しいプロセスをカメラを追いかけるという内容。着眼点は面白い、が、それだけ。 ほとんど全編にわたって、Skypeを通じて男性から連絡が来る⇒女優が連絡を受ける⇒男性が女優に脅しをかけたり性的な要求をしたりその場で自慰をしたりする⇒女優ならびに監督とスタッフらが嫌悪と驚愕の表情を露わにする、という単調なシークエン

          パーラ・ハルポヴァー/ヴィート・クルサーク『SNS-少女たちの10日間-』

          第59回文藝賞受賞作(安堂ホセ『ジャクソンひとり』、日比野コレコ『ビューティフルからビューティフルへ』)

          日比野コレコ『ビューティフルからビューティフルへ』、小中学生の作文、SNSで垂れ流されるポエムと同じ(か、それより水準が低い)、この小説モドキに文藝賞の関係者だろう大人たちが揃って拍手を送る光景はグロテスクで、見ていられない。「エモーショナルで乱脈な文体」、「日本語ラップのリリックのような鮮やかなパンチライン」、物は言いよう、ということか。 書き出し、《今まで知らなかったのだが、堕胎のホームページは、整形のホームページと似ている。》――この最初の一文だけで作者に小説の才能は

          第59回文藝賞受賞作(安堂ホセ『ジャクソンひとり』、日比野コレコ『ビューティフルからビューティフルへ』)

          第四回ことばと新人賞受賞作(福田節郎『銭湯』、井口可奈『かにくはなくては』)

          文学ムック「ことばと」vol.6を読んだ。佐々木敦が編集長らしい。僕は佐々木敦の小説も評論も読んだことはない、もちろん純文学主要五誌をぱらぱらと捲っている時に視界に入ったことはある、文芸界隈・批評界隈での人付き合いが上手で、いつも無難なことを書いているという印象、読んでも読まなくても自分の人生には何の影響もないだろうと素通りしていた。とはいえ、こういう人がどういう文芸誌を目指すかには興味があった。 「ことばと」vol.6に掲載されている詩と小説で面白いと思える作品は谷川俊太

          第四回ことばと新人賞受賞作(福田節郎『銭湯』、井口可奈『かにくはなくては』)