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ベーコン_20240515

とある喫茶店に行った。
Instagramで知り、そのうち行けたらな~と思っていた店だ。近くで用事があり、チャンスとばかりに建物に足を踏み入れた。


その店には入店人数や時間制限などいくつもの注意事項があり、入口の扉には「NO PHOTO」と書かれていた。
おそるおそる店内をうかがうと、ちょうど客が全員帰ったところだった。
カウンターの向こうの渋そうなマスターに、好きな席に座るよう促される。

座席はカウンターのみの横一列。入り口から遠いほうの端は前の客の食器がまだ残っている。真ん中から少しずれた席にもおしぼりがひとつ置いてある。誰かいるのか?来るのか?私が妙なところに座って後から2人組がたくさん来たら詰む?

結局無難に食器のないほうの端の席を選んで、バーにあるような高い椅子に座る。かばん、隣の席に置いても大丈夫かな。

小さな店内、いるのはいくつもの注意事項をつくったであろうマスターと私だけ。私の一挙手一投足に注目されているのでは、気にさわることをしたらどうしよう、と緊張しきりだった。


目の前のキッチンとの間には一段だけ棚があり、カップや皿が積まれていた。背面の板がない、コ(というか┏━┓、Π)の字型のものだ。
棚板の下からメニューが差し出された。バインダーに挟まれた色褪せた紙が波うっている。

ドリンクはアイスカフェオレにしよう。
何か食べたい気分だが食事には微妙な時間。ケーキメニューに目を通す。
メニューには写真こそないものの、特徴的な材料が併記されていた。気になったいくつかのケーキにはどれも酒?リキュール?が入っているようだ。私はアルコールにもお酒の味にも強くないし詳しくない。少し勇気がいるが、ラム酒が入ったスイーツをいくつか食べたことがあるのを思い出し、ラム酒の入った「マロンチーズケーキ」を頼むことにした。


注文して一息つき、スマホの通知をチェックする。いや、あまりスマホをいじるのも良くないか?と、何かのアピールかのように本と手帳を取り出してカウンターの端に置いた。
そしてさっき知ったばかりの撮影禁止ルールを思い出す。私はその喫茶店をInstagramで知ったから、写真についてルールがあるなんて思いもしなかった。
Instagramを開き、店のアカウントをタグ付けしている写真を見てみる。「写真怒られたところ!」というコメントが目に飛び込む。ああやめておこう! 私は写真を撮りません。スマホは片付けます。かばんにしまいました。はい。


店内を見渡したり手帳にあれこれ書いたりしていると、カウンターの向こうから棚をくぐって紙ナプキンとフォーク、コースターが置かれ、続いてマロンチーズケーキとアイスカフェオレが揃う。
ここで写真を撮らず、手を拭いて、手を合わせて、いただきます。あっ入店時間見てなかった。それだけスマホで確認します。よし。

今風のフォルムをしたガラスコップにたっぷり入ったカフェオレ。すっきりとした味わいだ。
マロンチーズケーキにはタルトのような土台がある。大きな音をたてないように慎重に切り分けて口に運ぶ。

!?

酸味がある!
てっきりモンブランのような味を想像していたが、思ったよりずっと、はっきりとした酸味がある。ケーキの断面を観察しながら口に残る後味の酸味を追いかけて、ひと口、またひと口と切り分ける。

そうか、たしかに私が注文したのはマロン“チーズ”ケーキだ。もちろん酸味だけではなく栗の甘味も感じる。
よく見ると高さ2cmにも満たないケーキの断面はいくつかの層になっていて、甘味の強い部分と酸味の強い部分がわかれているようだ。なるほど、こうすることでそれぞれの味わいが際立っているのかもしれない……。


何の気なしに頼んだケーキの繊細な味に夢中になっていると、私から離れたところで作業をしていたマスターが立ち上がり、目の前のコンロに立った。
店には業務用らしい大きなコンロと小さなカセットコンロがあった。さっき店内を見回していたときに、このコンロは何か用途が違うのか、大きいほうだけじゃ数が足りないのかな、などと思っていた。その小さなカセットコンロにマスターが小さめのフライパンを置いた。なにか料理を始めるようだ。


ベーコン?!

なんということだ。マスターは私の目の前でベーコンを焼き始めた。
待ってくれ。良い香りすぎる。強すぎる。探るようにケーキを味わっていたのに、いま鼻に感じるのはベーコンばかり。近くのケーキより遠くのベーコン。
ていうかいいんだそちらは!? 私はいいけど、あんなに注意事項をつくってこんなに繊細な味わいのケーキを出すひとが、ベーコンをそこで焼いて、いいんだ!?

他にも卵を割ったりなんかして一食完成させた様子のマスターは、お皿を持って私の席から遠いほうに戻っていった。そのままカシャカシャと写真を撮っている。それもいいんだ。客は撮れないがマスターは良い。それはそうだな。

マスターはそのまま座り、棚のむこうでなにかをずぞぞと食べていた。


私はなんだかおもしろくなってしまって、一連のことを手帳に書いた。
ケーキを食べ終え、アイスカフェオレをのみながら本を少し読んだら時間だった。ごちそうさまでした。


帰り道、電車でInstagramの写真たちとそのコメントを落ち着いて見た。
どうやら声をかければ手元の料理の写真は撮って良いなどの細かいルールがあるようだった。なるほど。でも私には写真いいですかと声をかける勇気はなかったな。


電車を降り、家の近くのスーパーに寄る。ベーコンを買って帰ろう。











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