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受け入れがたいことを受け入れる力

私は、がむしゃらに頑張るたちです。会社員時代も典型的なワーカホリック。
プライベートも睡眠時間も削って、 “できるまでやる” という姿勢で働いてきました。20代・30代・40代・50代と、各一回ずつ入院。体からの強制終了がないと止まれません。その時だけは「休んでもよい」と自分に許可が出せるので、入院するとホッとして、看護師さんに呆れられるほど眠り続けていました。
こんなふうに、何度も同じパターンを繰り返していることに気づいたのは、お恥ずかしながら、直近に肺炎で入院した後からのことです。

コーチングを学び始めて20年。
道中でNLPに出会い、更に深く人間について学び、膨大な時間とエネルギーとお金をかけて、私が抱え続けてきた大きなテーマのひとつは、「ありのままの自分を受け入れる」とはどんなことか?でした。
少しずつ理解を積み重ね、まだまだですが、少しずつ実践できるようになってきました。そして、このところ、受け入れがたいことを受け入れることの大切さを、しみじみと感じるようになりました。

内省のプロセスでわかってきたことがいくつかあります。

背伸びして努力する、そして何かを達成する。すると、その先にまた理想が立ち現れ、欠乏感・劣等感・焦燥感にさいなまされる。そして、またその理想に向かってひたすら進む。このサイクルをずっとずっと無意識的に繰り返してきていたこと。
そもそも、目指す理想が不当に高すぎること。
よくよく見れば、そこにこの上ない傲慢さが潜んでいること。

例えば入社して3年目の私。
20年選手の大先輩と比較して、「自分には能力がない」と凹んでいました。その先輩の17年分の人生をいったい何だと思っていたんでしょうね、なんとも不遜で傲慢な、ちびっこの私。

不当に高い理想を持ってしまうのは、自分をひどく無価値だと感じていたからだというのも意識化できました。

無価値な自分を受け入れられないので、「本来の私」という妄想(理想の自分)を作り上げるのが、お手軽な自己救済策。自己無価値感がひどければひどいほど、「本来の私」の妄想でできた理想は高くなります。

で、ふと現実に戻ると、その理想が満たせていないことに焦る…そして、頑張るわけですが、どんなに頑張ったところで最初から結果は見えています。自分に過剰な期待をかけては、その期待を裏切り、裏切られ続ける。そしてまた、懲りることなく高い理想を掲げます。
あ~あ、「私はダメ」vs「本当の私はスゴイ」という無意識的な葛藤の中で右往左往しながら生きてきたんだよなあ…ほんとに。

でもね、この根深い葛藤のなかで必死にもがいてきたからこそ成長してもこられたわけです。「劣等感が私の育ての親」だとも言えます。劣等感にさいなまされ続けることがなければ、今の私は無かったろうなぁ。
そう気づいたときには、泣けて泣けて…

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数年前、下の弟とゆっくり話す機会に恵まれました。
弟が語り、私も共感します。

バブルに翻弄されて事業に失敗。ほぼすべてを失い、思い通りにならない人生の終盤を迎え、病気を抱え、力弱く老いていく父を見ていて思うこと。
明日は目覚められないかもしれないという恐怖、変えることのできない現実。受け入れがたいことだらけの中で生きざるを得ない父の日常の過酷さ。そこに居る父への敬意。

「人生ってさ、なんか修行みたいだよね・・・」

弟が更に続けます。

若いころに仕事で色々失敗したこと。当時は苦しかったけれど、そこからたくさん学べたから今の自分があること。
才能ある若者が、「自分にはこの仕事が合わない」と言って数か月で辞めていってしまうことのもったいなさ。「できない自分のまま、それを味わうことの意義深さを、なんと説明してあげたらいいのか」と。

クモ膜下出血で突然この世を去った、自分の妻のこと。

家に帰っても彼女が居ないという厳然とした現実を、どうしようもないものとして受け入れざるを得ないということ。
ちょっとだけ目を潤ませながら、「どんなに頑張っても、どうしても変えられないものがある。どうにもならないことがある。それを受け入れないと先に進めないよね」と。

彼の話を聞きながら、その気づきの深さと学び広さに愕然とする私。

会社員を辞めて、人間を探求することを専業にして10年余り。私が数百万円ものお金をかけて教えてもらい、そのことばかりに時間を費やし、チマチマと気づいてきたことの何十倍も深く広く、彼は独力で自分の人生から学んでいます。
私の目の前にいるこの人の、なんと魅力的なこと。

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日常の中のふとしたことから、無意識的に覆い隠してきた醜悪な自分、執着が強すぎて、それゆえに怒りと焦りと悲しみにまみれている自分を見つける機会が多くなってきました。そして、その体験こそが、自分と他者を温かく受け入れることにつながるという理解が培われ始めてもいます。

受け入れがたいことを受け入れる力を備えている人が醸し出す、存在の豊かさ・おおらかさ・温かさ。
その人の輝きの大きさは、その人が受け入れている影の大きさ。

そう思う今日この頃です。




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