「今世風の教育」(新渡戸稲造)

 書かれたのは1903年でありますが、学校教育が試験のための勉強でしかないというのは共通しています。表面だけ記憶して理解したふうになっているだけの人は変わらず存在していたようです。特に研究者などは試験の成績というよりも未知のものを解明しようとする仕事なので、普通の教育とはまた違った経験が必要というのは理解しやすいです。環境がないので自分でやるしかないという話になっていますが、今でもあまり変わっていないのではないでしょうか。

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