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無自覚なコンテンツ太りをしている

  • ブクブクとコンテンツで肥えた人たち

  • コンテンツ太りの特徴1〜3

  • 結論と対策

久々に通常記事。
どんなトーンで何を書いてたっけと思い出しつつ、別にどんなでも良いだろうということに気がついたので、思い立ったままに最近考えさせられたことなどを書き記しておくことにする。


ブクブクとコンテンツで太った人たちがいる

体型的なことでなく、内面や人格が「コンテンツで太っている」という表現をさせてもらうことにした。自分が見たい情報しか見えなくなるという、フィルターバブル(イーライ・パリサーが名付けた現象だったかと記憶してる)の影響が、人をどう変えてしまうかということを最近考えさせられることが多くなった結果、そういう言い方に至ったわけです。

この、コンテンツ太りをしている人たち。もしかしたら書いている俺自身も無自覚に肥えているのかもしれないけれど、周りにいたら要注意というか、すごく面倒だと思うし、ひいては世の中的な問題として、もう露出しているのかもしれないなぁとも思う。
この人たち(不特定多数)、本人たちも自覚してないから手に負えないのだけど、極論、エンカウントするとめちゃくちゃに厄介。友達とか仕事上付き合いのある人たちの変化、ありませんか?というお話。付き合いが短いとか浅いとあまり感じないかもしれないけど、“なんかこの人変だなぁ”と思ったらそうなのかもしれないというくらいに見てみてはどうだろう。
その特徴を挙げ連ねていこう。

特徴1:飽きっぽい

「いや、飽きっぽいのなんて性格でしょ?」って思うかもしれないけど、別の飽きっぽさがある。
前述したように、フィルターバブルは『その人にとって見たい情報だけしか見なくなる』という現象。これによって見たいものだけを見て、やりたいことだけをやる。一見悪いことではないと錯覚してしまうが、そうした見たい・やりたいコンテンツだけに浸っていくとどうなるか?
物事に満足する水準がどんどんと低くなり、次から次へと似たような別物へと移り気になり、ちょっと前まで熱中していたことが、まるで遠い過去のように語るようになる。これは友人だけでなく各所で見受けられた。自分の体験だけで断言できるものではないが、呼吸のようにコンテンツを貪っている様は、ある種の怖さを感じる。飽きっぽいなんてのはやさしい言い回しで、自分好みのコンテンツ中毒ですらあるとも言えてしまう。
で、飽きては別に移り、移ったかと思えば戻ってきて、また飽きて別へ行く。
ゲーム好き、推し活をしている、〇〇オタク、趣味が〇〇、とかそんな言葉の裏でこういうコンテンツ太りは多く存在しているように感じる。

特徴2:怒りっぽい

飽きっぽさが加速するとどうなるか、すぐ怒るようになる。
自分が見たい・やりたいことしかしたくないんだから、それ以外のことには当たり前のように拒絶反応を示す。なんなら怒る。という意味で短気。ものすごく沸点が低い。心からどうでもいいことに、とんでもない怒り方をする。怒りっぽいを通り越して情緒が不安定すぎて怖い。
ひどくなると、共通の趣味だったはずのことを会話に出そうものなら、怒る。『もうアレは飽きたから興味ないんだけど!』くらいの勢いで怒る。何を会話の引き出しから出せば良いか分からなくなっちゃうぜ。

特徴3:自分の話したいことしか話さない

人と話すことが嫌いなタイプではないケースが多いのもコンテンツ太りの特徴かもしれない。
ただ、会話をしていても自分好みのコト・モノしか摂取しておらず、かつ飽きっぽい。そんな人から発せられる会話はどんなものか?
当然ながらその人が話したいことしか出てこないし、例えば“おもしろい”の基準もその人だけのもの。なんなら勧めてくる。俺はエンタメであれなんであれ人から何かを勧められるのは構わないけど、その時その瞬間の最大熱量で勧めてくるから時と場合によりしつこい。自分の好きなものは人も好きになるだろう(それくらいの付き合いであれば)というスタンスである。そんなわけない。
そうして手を付けてしまったものが結構あることを最近チラホラと見かける。流されてしまったかぁ、と、我ながらに頭を抱えた。大した内容ではないけど、こうしてものを書く時間すら奪われかねないと思うと早めに捨てるものは捨ててしまおうと思う。
逸れてしまったけど、そういう人との会話?
超つまんないよ。
時間を無駄にしてしまった感がすごい。極稀に楽しかったり有益だったりするんだけど、友達とかだとそんなこと考えずに一緒に過ごすだけで良いはずなのに、おもしろいとかつまんないとかが発生すること自体が変だなぁとも思ったりする。

結論:気をつけよう、そのためにも意識しよう

「〇〇しよう」なんて書いても押し付けがましいかもしれないね。
ただ、「こんな人いませんか?」っていう投げかけだけのつもりが、実はかなりの数存在してるんじゃないかということからの記事でした。
これを書いてるお前はどうなんだ?
と、問われたら、少なからずそうなっているかもしれないし、影響を受けていることは間違いないと思う。
なので、人との関係性というのは今後の人生でも無くならないものだし、人間社会の中で生きてるわけだから、会話をはじめとしたコミュニケーションの在り方が一方通行になっていないかは常に顧みたいと思う。
好きなものを見る、する、それは決して悪いことじゃないし、有意義な時間だとも思う。けれど、無自覚に好むものばかりを摂取することによって自分自身が偏った自分になってしまう、本来の魅力をスポイルしてしまう危険性もあるということは書いておきたい。
良い部分を伸ばすことは歓迎されることだろうけれど、平たく表現してしまえば面倒くさい人間になるのはあまりにももったいないし、そういう人で溢れてしまったら、行き着く先、人の世は争いばかりになってしまいそうではないだろうか。と、思うのでありました。

情報が溢れている世の中、楽しいこともたくさんあるし、おもしろいものもたくさんある。
コンテンツで太って、薄っぺらい人間になることなかれ。
と、自戒も込めて記しておきます。

今やってること、見てるもの、それは本当に面白くて人生を豊かにするものだろうか?

最後までお読み頂きありがとうございました。
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プラ太郎

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