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俺の推しは俺

「推し」という言葉が当たり前になって久しい。
あくまでも「推し」という言葉と意味を前提に書いていきます。
家族など多くの人たちにとっての当たり前な存在はさておき、あくまでも他者(キャラクターなど含め)に推しがいないことを薄々ながら自覚していたけれど、あえて「推しは誰か?」という自問に対しての回答は「俺」ということになる。

お金は俺のために使いたい。
くどいようだが、家族、例えば妻や子供、親兄弟にはなにも惜しむことはない。
一個人としてお金を使いたいのは「俺のため」。
だから稼ぎたい。

うまいもんは俺を満たすため。
おもしろいと思うマンガは俺が共感し、俺が共感できるセリフやシーン、ストーリーだから。

俺は俺を満たしてくれるものが大好きだ。
しつこいようだが、大切な存在になにかを捧げ、注ぐことは当たり前にやる。

要するに「推し活」的なことに興味がないという話なんだけど、子どもの頃からアイドルやアスリートなどをすごいと思ったり尊敬はするけど、推すという感情にならない。定義の広い言葉だから使い方が難しいけれど、端的に誰かのファンになることがなかったから、これからも誰かのファンになることはないのだろうと思っている。

推しがいるのが普通になってきたように感じるのだけど、そんなもんいないぜっていう人もそこそこいるんじゃないかなーと感じてる。

いても良いし、いなくてもいい。
推しもなけりゃ、オチもない。

俺にとって推しって、俺以上がいないだけのこと。
(何度も書くけど大切な人を推しとは定義づけていない)

“好き”なものや人はたくさんあるしある。
ただ、惜しみなく応援するとかはないということ。
それだけのこと。
推し活をする人をどうこうも思わんよもちろん。

同じ考えというか、そんな人もいるんじゃないかな。
いたら仲良くなれそうだ。

ほんじゃまた。

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