あすなろガーデンクラブ

南大塚1丁目児童遊園では

近所の有志が花の手入れをしてます。
11月22日(日曜)に夏の花を掘り起こし、秋冬の花へ植え替えました。
パンジー、ノースポール、カレンジュラ、ビオラが清々しい秋空に映えます。3月、7月は作業だけでしたが、午後には、コロナ対策に十分に気を付けながら、1年ぶりの懇談会も開催されました。この例会は22年前に当時の南松町会長らが中心となって立ち上げた、ボランティア団体です。

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昭和44年、この遊園に丸山千代の顕彰碑が建立されました。
「この街でおおくの子らの母であった丸山ちよ先生 灘尾弘吉書」との碑文が彫られてます。

丸山千代とは

明治20年、山形県米沢市に生まれて、同42年、日本女子大学校卒業後は長年にわたり社会福祉事業に尽くした功労で、昭和39年に生前勲五等宝冠章を授賞しました。
顕彰碑の除幕式には、近くの若草保育園の園児も参加しました。
丸山千代は、日本女子大学校の桜楓会が小石川久堅町に大正2年創立した託児所の園長となりました。
その後、手狭となり、同4年に巣鴨町宮下1602(現南大塚2丁目)へ移転します。
昭和3年に西窓(さいそう)学園と改称し、同20年の戦禍で焼失するまで地域の子供や母親たちの保育を助け、さらに聾唖(ろうあ)の婦人や困窮学生たちのために職業訓練や教育に心身を捧げました。
その間には戦争もあり、学園経営が徐々に厳しくなり、昭和19年に灯を消して、丸山千代は昭和42年、老人ホーム浴風園で永眠しました。享年80歳でした。
姉妹が聾唖であったこと、そして生前の父からの頼みが、彼女をキリスト教の実践事業に向かわせたのでしょう。

思いは引き継がれて…

西窓学園は、現在の児童遊園から南へ百メートルにあるマンション「ソレム桜楓」の前方にありました。若草保育園はそこから急坂を登り左折した所に開園しています。
顕彰碑の除幕式に参加した若草保育園は、昭和11年、武居正利とあ以子夫妻が江戸川区平井でスタートしたものです。
正利は、キリスト教宣教運動に名を残した賀川豊彦の「光の国」で保育者として学び、あ以子は丸山千代の桜楓会託児所に憧れ保育の道へ進みました。
戦後の昭和21年に現南大塚1丁目にあった松浦藩(長崎平戸)江戸上屋敷の焼失跡を旧伯爵から借り受けて移転しました。
昭和51年に長男の聖志が園長となり、夫人の裕子が園長を現在継いでいます。

通称「あすなろ遊園」は名前通り、幼児の成長を願う「あすなろう」から来ていると思われていますが、園内の砂場わきに立つ桜が心なしか遅咲きのようです。園内にはブランコあり、かわいい滑り台が新調されました。

最後に

豊島区の功労者として令和2年、前南松町会長でガーデンクラブ相談役と若草保育園の栄養士が表彰され、さらには去る12月17日、さわやかな街づくり推進団体としてあすなろガーデンクラブも表彰されました。感謝状贈呈式には、団体や個人、あわせて22名が参加しました。コロナ禍ということで、各団体からの出席人数を制限し、密にならないような状態での贈呈式でした。あすなろガーデンクラブは真っ先に呼ばれ、副区長より「環境美化に貢献され、感謝しております」の言葉とともに、感謝状を頂きました。

あすなろガーデンクラブ感謝状2 R2.12.17

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※としま案内人「大塚物語る」代表 守隨氏より寄稿いただきました。

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