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#6 助産師2-3年目のお話

こんにちは!
助産師ぷらむです。
今日は私の助産師人生の中で1番辛かった
2-3年目のお話をしてみたいと思います。

助産師2年目になると、
「あれ?私こんなこともできないの?」
と思うことが増えました。
自分の課題を明確にして先輩フォローの元で
自立を目指していろんなことに挑戦
しなければいけない年代でした。
今思えば、なかなか厳しい環境で
育ったんだなと思います。。。
見守りのもとで実施、評価表に沿って振り返り、先輩と評価会、その繰り返しの毎日でした。
手取り足取り次はこれをやってみよう!
いつまでにこれが自立できたら
いいね、という1年目とは違い、
2年目になると急に自主性を求められました。
自分から振り返りの時間がほしいと先輩に
交渉しなければ、
振り返りはしてもらない=やる気ない
みたいな雰囲気があったような気がしました。
でもできない自分が丸裸になるのが怖い、
そんなふうに思っていました。
また、「あれもこれもできないから、
できるようにならないといけない」
そんな思いで頭の中がいっぱいでした。
できない自分が怖い、こんなこと言ったら
怒られるかもなどなど次第に口数の少ない
助産師になっていたようです。
(数年後に先輩から2年目の私はすっごい暗くて仕事したくなさそうだなって思って見てたと
言われました。笑)
滅多にお話をする機会のない偉い先生から、
出勤する私の姿があまりにも暗かったとのことで
「おい、暗いぞ。不登校児童みたいだぞ。」
と言われたくらいです。。。

3年目になっても自分的には状況は
変わらずでした。
そしてさらにレベルの高いことを求められ、
挑戦しなければならず。
でも成長できている気がしない、どうしよう。
毎日ネガティブだったと思います。
それでも不思議と仕事をやめたい、
行きたくないと思ったことは
1度もありませんでした。
「私には根性しかないから休んだら負け」
そんなふうに思いながら歯を食いしばって
耐えていたのだと思います。
今となってはこの時を気合と根性で
乗り越えたおかげで強くなり、
いろいろなことに立ち向かう力が
ついたのかなと思います。

仕事の面ではどんよりと過ごしていましたが、
プライベートでは同期に誘われ、
合コンに何度も行っていました。
製薬会社、海上保安庁、学校の先生、新聞記者、
公務員、消防士などなど。
すごいですね。合コンに何回行ったかは
覚えていません。
マッチングアプリに手を出したことも
ありました。
こうして文章にしてみると、
こんなことしてないで勉強しろよ
って自分で思ってしまいました。笑
過去の私、現実逃避をしたかった
のでしょうかね。

そんなこんなで何人かデートさせて
いただくこともありました。
ですが、こんなに出会いの機会が
あったのにも関わらず、
心を開ける男性と会えませんでした。
私はやっぱり人を好きになれない人間なのか?
という思いが強くなりました。
自惚だったかもしれませんが、
これはそろそろ告白されるやつか?
ってところまで行った方もいましたが、
やっぱりなんかヤダって思ってしまって
連絡をぶった切ったこともありました。
無理矢理彼氏を作っても自分も辛いだけだし、
なにより相手に失礼だしと思い、
もう1人で気楽に生きていくのが合ってるのか?
と思っていました。

ちなみに、街コンにも参加しました。笑
助産師というと勤めている病院が
ばれそうだなと思い、
助産師より圧倒的に数が多い看護師と
名乗りました。
看護師というだけでたくさんの人から
LINEの交換をしようと誘われました。
看護師ってすごいなと思いました。笑

仕事もプライベートもどんよりしていた
2年目と3年目の前半。
私の人生の中で1番沈んでいた時代
かもしれません。
不妊治療中の今も沈むくらい辛いですが、
ここまでどんよりしていなかったかな
と思います。

次回は主人との出会いについて書きたい
と思います。
出会いなんて需要あるか?と思いましたが、
そもそも私のこれまでの人生についても
需要なんてなさそうな気もするので今更
気にすることもないと思い、
書いてみることとします。笑

ご拝読ありがとうございました!

ぷらむ

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