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絶対に捨てられない女/本編


あらすじ
浅香桃音という女に出会って
人生が変わる男の話。
彼女は一体何者なのか。
悪女なのか、それとも!?
現代を生きる人たちにきっと
刺さる桃音の言葉たち。

番外編では
桃音側の気持ちが分かる
桃音のノートを公開。
桃音の過去や感情、全てを綴る。


プロローグ

ピンポーンピンポーン
玄関のチャイムを鳴らし、少し待つ。
ドアを開けて現れた姿は
いつもの制服姿とは違い
白のTシャツにデニムのオーバーオールという高校1年生にしては
子供っぽいファッションの桃音がいた。

今時の16歳はもっと大人びたファッションの
イメージだったし特に制服姿の彼女は
とても大人びている印象だったから
余計に意外だった。

さらには片手にフライパンという出立ちで
出迎えてくれた。
子供っぽいファッションなのに
やけに色気を感じてしまった事に
自分でも驚いた。

「先生早いよ。まだ晩御飯できてない。」
と少し困った様な顔で桃音は笑った。

家庭的な姿にドキッとしてしまう。
家庭訪問に来ただけなのに生徒に
ドキっとするなんて教師として失格だ。
「ごめん!お母様、この後仕事って
聞いたから早い方がいいかと思って。」と
気持ちを入れ直し答える。
なぜか、桃音に目を合わす事に緊張して
しどろもどろになってしまった。

「ママまだメイクしてんじゃない?
ママー先生来ちゃったよー。」
その呼びかけに奥の襖越しに
ひょこっと顔を出してきた桃音の母は
いかにも夜の仕事の女という見た目だが
上品な印象だった。
目鼻立ちもクッキリしていて誰が見ても美人。
女優さんでもいけるんじゃないか?と
思うほど綺麗な女性だった。

桃音の母はぺこりと頭を下げて
「ごめんなさい、もう少しで終わるので、
そちらの椅子に掛けて
少しだけお待ち下さい。」と言った。
少し酒やけなのかハスキーな声だが
とても礼儀正しい。

「では、お邪魔します。」と靴を脱ぎ
桃音がいる台所の隣に
ダイニングテーブルがあったので
言われた通り椅子に腰掛けると
桃音がそそくさと、お茶を出してくれた。

「ママがメイク終わるまでにささっと
終わらせちゃっていい?」
と小声でいい、台所に戻る仕草をした。

「おー、いいぞ。夜ご飯の準備か。
えらいな。」と声をかけたが
桃音は聞こえてないのか
返事をせずものすごい手際で
何品もお皿に盛っている。
しばらくその姿を見ていると
料理の献立が気になったので
台所まで声をかけにいこうとしたら
隣の部屋から母親が
「お待たせしました。」と
タイミングよく出てきてしまった。

桃音もちょうどキリが良かったのか
椅子に掛けている僕の隣に座る。
なんでこっちなんだ?
普通母親の隣に座るだろう。
そう疑問に思ったが母親も
「さぁ始めてください!」と笑顔で
言うものだからそのまま
スタートする事にした。

彼女の学校での様子は友達は1人もいない。
誰かと話している姿も見た事はない。
もちろん僕にも基本的には冷たく
クールな印象だったので
家庭環境に何か問題があるのでは?と
心配していた。
しかしこの数分の桃音と母親のやりとりを
見ていると関係性は良好な様に感じた。
僕の隣に座った事以外は不思議な点はない。

そうなると母親にあえて
話すことと言えば成績の事だ。
今は1学期末のテストが終わり
あと数日もすれば夏休みに入る。
彼女はこのテストで国語が10点。
それ以外の教科は全て0点と
驚きの成績を叩き出した。
しかし、授業中は僕が見る限り
別にサボっているとも言えないし
教科書もノートもしっかりとっていた。
この事実を母親に伝えた。

すると母親は
「わー、私のバカが似ちゃったか。」と
ケラケラ笑った。
「いや、笑い事ではなくて、、、」
と苦笑いするしか出来なかった。
すると母親は
「勉強できなくて何か困る事あります?」
と聞いてきた。

正直そんな返答が来るのは予想外だった。
普通の親は娘を叱るか、理由を聞くか
何かしらの言葉を娘にかけるだろう。
しかしこの母親は
その後も何を話しても同じ様な
開き直っているような返答しか
返ってこなかったので
話にならないなと正直思った。

桃音は基本的にそのやり取りを
聞いているだけでボーっとしていたので
次は桃音に対して
「友達もあえて作らないのか?
今日、家での桃音を初めて見たけど
すごく明るい印象に感じたから
そのままでいいのに」と
伝えてみたが桃音には響いて無さそうで
ただめんどくさそうに、頷くだけだった。
母親をちらっと見ると
「学校で友達作る必要あります?
ただ単に合わない人と無理をして
友達になって変な労力使うなら
そのままでいいよ、桃音」と言った。

この母親の発言には、ハッとさせられた。
自分も少なくとも今まで生きてきて
感じたことだった。
合わない友人や周りに気を遣ったり
教師になってからも人の顔色を
伺う事が多く無駄な労力だなぁと
疲れる日々は多かった。

だからといって桃音の母親の様に
はっきり友達なんていらないと
言い切る勇気はなかった。

芯のある強くてかっこいい女性だなと
感心してしまった。
しかし、ここは担任として感心してる
場合ではないと思い、
「お母さんの教育方針は否定しません。
桃音もこのままでいいなら
もう何も言いません。
でも僕個人の意見としては、
今日みたいに明るい桃音を見せると
友達はすぐできると思うよ。」と
最後は桃音に向けて言った。
母親は特に何も言わなかったが
桃音はニコッと笑ってくれた。

ひとしきり、家庭訪問で伝える内容は
終わったので「以上です。お時間頂き
ありがとうございました。」と言うと
そそくさと母親は立ち上がり
「桃音ごめん。ご飯食べる時間ないや、
明日朝食べるね、あ、先生よかったら
ゆっくりしていってくださいね!」
玄関に向かい赤いピンヒールに
足を通して、「いってきまーす」と
駆け足で家を出ていった。
なんて自由奔放な母親なんだ。

「いってらっしゃい」と
声をかけて立ち上がり台所に向かう桃音。
僕も立ち上がり
「すごく明るくパワフルなお母様だね」と
声をかけた。
「そう?まぁ女で一つだから
働き物だけどね。」と桃音は答え
さっき作った料理をタッパーに入れ替える。
料理中から手際が良いことは察していたが
彼女の料理は見た目の彩りも香りも良く
理想の手料理といった感じで
とても驚いた。
正直僕の嫁が出す料理よりも
はるかに美味しそうだった。

「桃音すごいな。めちゃくちゃ美味しそう。
料理が好きなのか?」と聞くと
「え、そーでもないよ、ただの日課だね。
ママは料理一切だめだから
ただ生きてくために必要なこと、
やってるだけだよ。
でも褒めてくれてありがとう。
あ、よかったら食べてく?
ちょっと多めに作ってるから。」
と言い、もうお皿に取り分けようと
してくれている。

本当はすごく食べたい気持ちが高鳴ったが、
教え子の手料理を
しかも教え子の家で2人きりで
頂いたなんて、保護者の耳に入ったら
特別扱いをしているとか
変な噂をたてられたら困る。

「いや、いいいい!お気遣いありがとう。
ただこれだけ料理ができるなら
きっとやれば勉強もできるだろうから、
もうちょっとだけ勉強頑張れないのか?」
と、世間体を気にし断り、先生らしく
勉強の話に持っていった。

するとさっきまで
手際よく動かしていた手を止め
まっすぐ僕を見つめ彼女は言った。
「ねぇ、先生。
もし先生が女に生まれ変わったとしたら
どんな女になりたい?
私はね、
絶対に捨てられない女になりたいの。
表面的な事じゃないよ、
精神的にも肉体的にも離れたくても
離れられない様な磁石みたいに
ピッタリ。
引き寄せる力が強すぎるみたいな
そんな関係になれる人を探してるの。
そして、その人を強く引き寄せる為に
捨てられない女になるための
勉強のが忙しいんだよ。

わかる?」

予想外の言葉が返ってきた事と、
まっすぐな瞳で見つめられると
ドキドキして上手く頭が回らなかった。

「んー、とりあえず運命の人と
出会いたいってことだな?」と答えると

桃音は首を振りながら
「そんな浅はかで子供が夢見る様な
綺麗な物じゃないよ、
例えばうちのママはパパにあっさり
捨てられたでしょ。
勉強も、家事も、まともにできない女なの。
でもママは美人だしスタイルもいい。
ただ、同じ条件でも捨てられない女は
たくさんいるでしょ?
容姿でも中身でも結局ないんだよ。
心を引き寄せる力がママにはなかったの。
この女だけは離れられないって
思わせれなかったの。

わかる?」

さっきから人の事を捨てるという表現にも
ひっかかってはいたが 
「うーん、大人はいろんな事情があるから、
すれ違いとか色々あったのかな?」
正直桃音の親たちの離婚の理由も
知らないので何と答えたらいいか
わからず、ありきたりな返答になる。

「先生はさすが勉強してきたからか、
世間の模範解答だよね。
ちがうよ。
身体だよ。肉体と心がピッタリ
重ならなかったんだよ。
もちろんセックスの技術とかそういう
話じゃないよ。
もっと深い話。
私もまだ勉強中だから完璧じゃないけど
試してみる?
きっと先生私から離れられなくなるよ」

まさかセックスなんていう単語が
彼女の口からでてくるなんて
想像していなかったので顔が
赤くなっているかもしれない。
「何を言ってるんだ。
バカな事言ってないで勉強しなさい。」
動揺を隠しながらいった。

「やだよ、勉強なんかしたら
変に賢くなっちゃって
男を見下す女になっちゃうよ。
そんな事したらいつか捨てられてちゃう。
いつかその辺にゴミみたいに簡単に
捨てられる女にだけはなりたくない。
私は唯一無二の存在でいたいの。」

男より賢くなって見下す女になるという
言葉に引っかかった。
僕は大学で出会った自分より
賢い女と結婚した。
認めたくなくて気付かないフリをしてきた。
自分が今まで嫁に見下されていると
感じていた傷に彼女は触れた。

少し沈黙が続いてしまった。

「はぁーわかった。
でも俺はちゃんと見てるから
ウザいかもしれないけど
これからも声をかけ続けるぞ。」

「なんでうざいの?
とっても嬉しい事だよ。
現にクラスの周りの子より
私に注目してくれてるて事でしょ?
唯一無二の存在だって証明だね。」

桃音の解釈は間違っていない。
僕は彼女の考えていることが
もっと知りたいと思っていた。



桜が満開の4月。
僕は晴れて教員免許を取得し、
大学をこの春卒業し
本日から私立高校で教師生活が
スタートする。
新任で1年生の担任を任される事になった。

しかしその理由はこの学校は都内でも
最低ランクの言わばおバカ私立高だ。
公立学校の受験も落ち仕方なく入る高校。
偏差値も低く、周りの印象も良くない。

「そんな高校だからこそ、1年目で
担任ができるのよ感謝しなよ」
と陽子はいった。

僕は大学を卒業しすぐの3月に
陽子と結婚した。
陽子は大学の教員学科が一緒で
気付けば恋に落ち、約4年付き合い
ゴールイン。

せめて働き出して1年後とかでもいいのにと
友人や親などみんな口を揃えたが
陽子は出来るだけ早く結婚したいと
付き合って1年目からずっと言っていたし
卒業までには絶対にプロポーズしてよねと
記念日を迎えるたび言われていた。

僕は流される様に3年目の記念日に
「卒業したらすぐに籍を入れよう」
とプロポーズをした。

「ねぇ、プロポーズてのは
僕と結婚して下さいっていうのよ!」
とダメ出しをされた。
この頃から僕は陽子に劣等感を感じていた。
2人とも教員免許を所得し
赴任先も決まり喜んでいた。

陽子は偏差値の高い都内でも
有名なお嬢様公立学校の教員として
採用された。
彼女は同じ国語科の教員。
1年目なので試用期間で責任のある仕事は
任されなかった。

それに比べ、僕は担任をもつ事はできたが
学校のレベルが底い事もあり
僕と陽子は天と地の差だった。

陽子は最初から頭が良く、そこに惹かれて
僕からアプローチしたのだ。
なのに頭の良さの違いで劣等感を
感じているなんて誰にも言えずにいた。

嫁との事を考えていると
予鈴のチャイムがなった。

いかん、今日が初日だというのに
少し暗い気分になってしまった。
切り替えよう。

足早に教室まで向かう。

1−3の教室の扉を開けると
色んな顔が見えてワクワクした。
まだあどけなさが残る子や
やけに大人っぽい子、
賢そうな子、ヤンチャそうな子など
色んな子たちが座っていた。

一際目をひいたのは、窓際の一番後ろの席の
浅香桃音だ。
綺麗な顔立ちをしていて、
色白で透き通る様な肌。
化粧っけはないがやけに艶やかで
彼女だけに光が当たっているような気がした。

ただ自分のタイプとかそういう話ではない。
彼女は言葉では言えないが
何か惹きつけられる要素があった。

しばらくするとなぜ自分が
彼女に惹きつけられているかの
原因がわかった。
彼女は一切僕の方を見ていないからだ。

今日から新学期でみんな初めましてで
担任が教団で挨拶をしている。
注目されてみんなからの視線が熱い中
彼女だけは首の向きから窓に向いていて
僕の姿だけではなく教室の中を
一切見ていなかった。

僕は大学で4年勉強し教師になった事
今年から新米教師として、     
この1年3組の担任を受け持つ事、
今年23歳なので君たちと
7つしか変わらない事、
みんなで協力し合えるクラスを作りたい事、
距離を縮めたいのでみんなの事を
下の名前で呼びたい事など
掲げた目標を教団で語った。
その間も彼女からの目線は感じない。

一通り話したので「何か質問ある人ー?」と
生徒に質問を募った。
手を挙げたのは、いかにもクラスに1人はいる
お調子者キャラの斉藤だ。
「はい、斉藤裕太くん」
「先生彼女はいますかー?」と笑いながら
聞いてきた。

可愛い質問でよかった。
今時の子はひやっとする様な質問を  
投げかけてくるんじゃないかと
内心びびっていたので助かった。

「はい、彼女というかこの3月に
結婚したので正確には奥さんがいますね。」と
ストレートに答えた。
その瞬間、ものすごく強い視線を感じ
目を向けると窓際の浅香桃音が
初めて僕をじーっとうるうるした目で
見つめていた。

時間が1分はフリーズしたかのように
僕の体は動かず、彼女の目線を逸らすことも
出来ない引力の様なものを感じた。

ふと気がつくと周りの生徒たちが
ヒューヒューと冷やかしてたり
「いつから付き合ってたのー?」など
質問を投げかけていることに気づき
我に帰る。

手をパンッと鳴らして
「僕のプライベートはここまで。
次はみんなのことを教えて!
じゃ、青木佳奈さんから!」と
みんなの自己紹介へ話を振った。

彼女の方に目線を戻してみると、
彼女は再びぼーっと窓の外を眺めていた。

朝礼を終え、職員室に戻る際も
さっきの彼女の目線は
何だったのか、と胸がざわついた。
でも1人の生徒に肩入れしてる場合ではない。
僕は1-3のみんなの担任だと言い聞かせ、
気にしない様に過ごす事にした。

その後、国語の授業中でもホームルームでも
彼女と目が合う事は一切なかった。
しかし窓の外を見ているのは
お昼の時間とホームルームの時くらいで
授業中は黒板や教科書を見ていたので
授業態度は良かったので
特に気に留める事でもないかと思っていた。

時は過ぎ、5月になる頃には
クラスの中でそれぞれ友達もでき、
グループもでき始めていた。
お昼の時間は自由だったので
友達とお弁当を食べる生徒が多い中
彼女だけはいつも1人で
おにぎりを1つ窓の外を見ながら
食べていた。
他のクラスメイトと話している姿を
見た事がなかった。

何度か「桃音大丈夫か?」と声をかけたが
目線は合わせず
「ん?なにが?」だったり「大丈夫」とか
気のない返事しか返ってこなかった。

周りの生徒たちにも
「桃音と話したりする?」と聞いてみたが
「最初何回か一緒にごはん食べよとか
誘ったんだけど、1人が好きだから
遠慮しとく」と言われたらしい。
目が合わないから会話にならないとの
声もあった。

幸いにも、いじめをするような子たちは
いなくてあえて1人なんだと知って安心した。
変に気を止めすぎるのも良くないなと
考え見守ることにした。

そんな中テストがあり国語の採点をして
いる時に驚いた。
浅香桃音は100点満点中10点で
問題にすると2問正解したのみだった。
漢字もめちゃくちゃだし、
a.bなどの回答も全て逆。
しかし疑問なのは授業中に
ランダムに回答を当てる時は
だいたいスラスラと答えていたし
ノートもまめにとっていた。

この回答はわざとじゃないか?
テストだけ弱いなんて事あるか?

不思議に思い、違う教科の回答用紙を
確認すると、そもそも白紙だったり
回答していても間違っていて
全て0点だった。
数学や英語の先生に
彼女の授業態度を聞いてみると
「窓の外見てるか、ぼーっとしてるから
授業なんて聞いてないんだろうね」と
揃って答えた。

僕の授業だけ真面目に聞いている気がする。
でも点数は取れていない。他の教科よりは
取れているとも言えるが。
気になったのでホームルーム後に
桃音に声をかけた。
「桃音テストボロボロだったけど
どうした?」とストレートに聞いた。

「え、そーなの?まぁ次は頑張りまーす。」と
また気のない返事をし、目を合わせず教室を
出ようとしたので咄嗟に
「待って、まだ話終わってない」と
腕を軽く掴んで引き留めた。
するとパッと振り返り、あの日以来の目線が
返ってきてまたフリーズしてしまった。
目を潤ませ、じーっと僕を見つめてくる。

ふと我に帰り、もしかしたら腕を
掴んだから怖かったのかと思い腕を話し、
「ごめんごめん」と言うと桃音はニコッとして
「次は頑張るよ、心配ありがとね」と
屈託のない笑顔で笑い走り去っていった。

初めて彼女と目が合った日も
うるうるした視線だった事を思い出した。
もしかしたら彼女は母子家庭なので
家庭環境が悪く虐待されているとか?
だから潤んだ目で僕に助けを求めてる?
さっきも腕を掴むとうるうるした目で
じっと見つめてきた。

でも何か違和感があった。
あの目線はなんだ。

それから彼女の目線が気になり
ずっと考える日々が続いた。


そして7月の蒸し暑い午後。
あの日がやってくる。
家庭訪問の時期になった。
彼女の家に行くので何か彼女の事を
知れるだろうと彼女の家に向かった。

しかし家庭訪問を終えるて知れた事は
彼女は虐待はされていなかった
家庭環境は、あの母親なので
いい環境とは言えないが
悪い環境にも感じれなかった。

僕はただあの日を境に
彼女をもっと知りたいという
思いがさらに大きくなった。
あの日には続きがある。
桃音の家を後にして歩いていると
「先生ー」と声がし振り返ると
彼女は息を切らして追いかけてきた。
振り返るとメモを渡してきた。

「何これ?」とメモを開くと携帯番号が
書いてあり
「私を試したくなったらいつでもどうぞ」
と言われたのだ。

またフリーズしかけたが
「大人をからかうのはやめなさい。
はい、帰った、帰った!」と追い払った。

僕は内心彼女のペースに
巻き込まれていることに気付いていたが
7つも年下の女の子に
からかわれるなんて自分もまだまだだなと
不甲斐なさと、なんとも言えない気持ちで
メモを小さくたたみ財布の中にしまった。

かけてはダメだ。
かける事はない。
彼女を知りたい。
彼女の頭の中を覗きたい。
2人の自分が交互に言っている。

しかし不思議な事に彼女を
女性的な目で見ているのではなく
本能的に人間として彼女の存在を
知りたいと思っていることに気付く。

彼女の潤んだ目の正体は
深い愛を求めている。
僕は誘われていたのか?
確かに、彼女が僕の目を見つめてきたのは
嫁がいると言った時と、
腕を掴んだ時だけだった。
潤んだ目だったが怯えてはいない。

どちらかと言うと求愛のような印象だった。
あの違和感の正体はこれだったんだ。


家庭訪問の次の日から桃音は3日続けて
無断で休んでいた。
2日目の昼に家に電話をかけたが
その時間は母親は寝ているのか
留守電にさえならない。

心配になって家まで行くべきかと
悩んだので先輩教員に相談した。
「うちのクラスの子が3日連続で
休んでて家の電話もでないんですが
こういう場合はどうするべきですか?」
「親から連絡ないの?」
「一度家には電話したんですが不在で。」
「あらそー、心配だね。
周りの友達で連絡取れる子いないの?」
「それが浅香桃音でして、見ての通り
友達いなくて誰も携帯の番号も
知らないみたいで」
「なるほど。浅香さんなら余計に心配ね。
何か闇を抱えてそうな感じするし。
もしよかったら私代わりに家訪問しようか?
携帯番号でも知ってたら話早いけどね。」

「いえ、それは大丈夫です、僕が行きます。」

校舎をでて彼女の家まで行くか
携帯番号にかけるか悩んだ。
かけてみるしかないか。と
なぜか心が重くなった。

ここでかけてしまうともう元の自分では
いられないような変な感覚がしたのだ。
でももしかしたら桃音が事件に
巻き込まれたとか
そこまでいかなくても、
何かあったのかもしれない。
やはり今は緊急事態だと言い聞かせ
財布からメモを取り出しかけてみる。

すると1コールで桃音はでた。
しかも第一声が「先生??」だった。
僕は一方的に彼女の連絡先を渡されただけで
彼女は僕の携帯番号を知るはずがない。

なのに第一声が先生!?どういうことだ?
混乱を落ち着かせて
「桃音大丈夫か?」と聞く。
「大丈夫だよ、今とても嬉しい。
先生からの連絡ずっと待ってたの」

「どういうこと?
学校3日連絡もなしに休んでるから
心配でかけたんだぞ!」

「嬉しい。ありがとう。
学校無断で休んだのはごめんね。
心配かけてごめんなさい。
でも今先生の声きけてとっても嬉しい。
実はね、あれからパパと話したくなって
あ、パパね、静岡に今いるんだけど。
家庭訪問で先生とバイバイした後に
新幹線のって静岡に行ってたの。
あ、でも今日帰ってきたから
明日からは学校いくよ!」と
桃音は一気に話した。

突然のパパの登場と突然静岡に行く行動に
またしても不思議な子だなと思ったけど
何事もなくて元気な声をきけて
安心した。
「なんだ、そうだったんだ。
せめて学校に家庭の事情で休みますって
連絡いれなよ、次からでいいから。」

「そうだね、ごめんなさい。
次から気をつける。」

「素直でよろしい、じゃあ明日な」
と足早に切ろうとすると
「待って、せっかく先生の声が聞けたから
もう少し話したい。だめ?」
甘えた声で桃音が言う。

少し迷ったがどうせ駅まで10分くらい
歩くのでその間だけならいいかと思い
「電車のるまでならいいよ」と答えた。

「ありがとう。
あのね、パパにね会いに行ったのはね、
見つけたかもしれないって報告にいったの」

「ん?何を見つけたの?」
本当に一瞬何の話かわからなかった。

「絶対捨てない人だよ」
「何を言ってるかちょっとわからないな。」

「桃音を絶対捨てない人。先生だよ?
わかる?」

頭が混乱した。僕が桃音の言っていた
引き寄せる力が強すぎる相手なのか
そんな人を探してると言っていた
それが僕だという事なのか。
「どういうこと?」

「私ね、先生と始めて合った日
先生奥さんいるて話してたでしょ?
その時の先生をみて
あ、この人あの時のパパと同じ目をしてるって思ったの。
捨てる目をしてたの。
きっと、奥さんと心重なってないなって
直感で感じたの。
あとね、腕を掴まれたことがあったの先生に。
覚えてる?
その時私先生となら深く繋がれる気がするって直感で感じたの。

それでこないだ私が絶対捨てられない女に
なりたいって話したでしょ?
先生あの日からきっと私のことが頭から
離れなくなってるだろうなって
感じてるんだけどどう?」

確かにあの日から
いや本当は初めて会った時から
僕は彼女の事が頭から離れなかった。
それに嫁と心が重なっていない。
それも事実だ。
しかし認めるわけにはいかない。

「ちょっと何を言ってるの?
奥さんを捨てようと思ってないし
桃音は大事な生徒の1人だ。」

「今は思ってなくてもいつか捨てるんだよ。
心が重なってないから。
捨てちゃいけないって本音に蓋をしてる。
大事な生徒の1人ってのも、
言い聞かせてるだけだよ、
世間体なんて気にせずに答えてよ
誰の目を気にしてるの?
桃音の事もっと知りたいって
思ってくれてるでしょ?
素直になっていいんだよ
大人は本音を隠しすぎだよ。
生きづらくない?」

本音を見透かされている気がして
怖くなった。
それと同時に彼女には嘘はつけないとも
思った。

しばらく考えた後僕はこう言った。
「じゃあ先生としてではなく
1人の人間として答えます。
君のことがもっと知りたい。」

「嬉しい。もっと教えてあげる、桃音の事。
でも、もう10分たったよね。
私は1人の人間として先生を見てるから
安心してね。
また明日学校で会おうね。」
と言って電話を切った。

1人の人間として先生を見てる。という
言葉がすごく嬉しかった。
今までの人生で僕のことを
1人の人間として見てくれた人は
いただろうか。

嫁はいつだって自分本位だ。
プロポーズの仕方にもダメ出しをする。
結婚の時期だって彼女の希望に沿った。
僕の意見は聞かれていない。

でも、そもそも僕も嫁のことを
1人の人間として見ているのだろうか。

桃音は強烈な存在感で素直すぎる言葉で
真っ直ぐすぎる目で僕を見てくる。
僕も桃音と話すと自然と素直になれる。
子供の頃の、何も汚れていない
自分を呼び覚ましてくれている気がする。

桃音の前では素直に本能のままに生きようと
強く思って電車に乗った。


次の日から桃音の態度は一変した。
授業中もお昼の時間もホームルーム中も
ずーっと僕を見つめている
愛おしそうな目で僕を見てくる。
嫌な気はしなかったがやっぱり気になるし、
他の生徒が気付いてしまうんじゃないかと
ハラハラした。

特に2人で会話する時間なく
話しかけてくる事も今まで通りない。
でも目線の件は言っておかないと、
変な噂がたつと大変だと思い
帰り道で桃音に電話をかけた。

「先生!」とまたも1コールで
飛びついてくる。
「桃音、今日の眼差しはなんだ?」
「できるだけ長く先生を目に焼き付けたくて。
嫌だった?」

「嫌ではないけどあれじゃ、周りの生徒が
俺と桃音なんかあったんじゃないかって
ウワサとかになると大変だぞ」

「あ、また周りのこと気にしてる。
なんかあったらんだからいいじゃん別に」

「なんもないだろ、有る事無い事
言われるのがウワサだぞ」

「先生のなんかあるは男女の関係のこと?
やったとかやってないとか、できてるとか
そーゆーウワサ立てられるのが
嫌なの?不倫だとかいわれて?
また世間程?素直になるんじゃなかった?
私のなんかあるは、人間としてお互いを
ちゃんと見てるよってことだよ。
先生は私を知ろうとしてくれてる、
私も先生だけを知ろうとしてるし、見てるの。

なにも隠すこともないし
自然なことでしょう?」

またも返す言葉がなくなってしまう。

「ごめん、そうだね。でもやっぱダメだわ、
俺桃音のように素直に生きれない。
この先にある俺と桃音の関係はなんなの?」

「やっぱり大人はすぐに
関係を結びたがるよね。
関係性なんて後でついてくるものだよ、
付き合おうとかもいらないんだよ。
お互い愛してるとかは言葉にしなくても
きっと伝わるって思ってる。
別に関係性なんてどうでもいいんだよ。」

関係性の話を自分からしたのに
ふと現実に引き戻された。
「桃音ごめん、やっぱ俺世間定が大事だわ。
嫁を裏切れないし社会人1年目で
問題を起こす事はできない。」

「裏切れないって言ってる時点で
裏切ってるんだよ。
問題になんてならないよ。
お互い惹かれあって知ろうとしてるって
関係性に問題なんてないよ。
小さい頃の友達作りとか大人の人間関係も
そうでしょ、
ただ人と向き合おうとしてることの
何が問題なの?
変なウワサが立てば放っておけばいい。
現に奥さんを傷つけるようなことは
桃音はしないよ。
先生が桃音を知りたい気持ち
絶対嘘じゃないから、
先生が自分の本当の心の声をきいて
先生が選ぶんだよ、先生の意思で。
先生が素直に自分の気持ちを
さらけ出せる日までずっと桃音はいるよ。」

桃音の言葉は心にグザグサ刺さってくる。
自分の心の声なんて
いつから聞いてないだろう。
誰かに言われるがまま生きて
教師になって結婚して。
僕は自分の意思で何かを選んだことは
あったのだろうか。

「会いたい。今桃音どこ?」
気付くと自分に意思でそう言っていた。

近くの公園に彼女はいると言った。
僕が駆け足で向かうと彼女はブランコに座って
チュッパチャップスを舐めている。

制服ではなくこないだみたいに
Tシャツにデニムで子供っぽい印象だった。
なんで僕は彼女にここまで
惹きつけられるのだろう。

今まで好意を持つタイプは
どちらかというと綺麗で大人っぽい女性だ。
彼女はあどけなさしかないし
顔立ちは母親に似て綺麗だが
やっぱりどこか子供っぽい。

でもとても愛おしくて彼女に触れたくなる
気持ちを抑えてブランコの横に腰掛けた。

「会いたいっての嬉しかった。
私も先生にこうして会いたかったの」
桃音は僕を見ながら照れ笑いをする。

「僕はこのまま桃音といると、
理性が飛んで引き込まれそうになる。
どうしたらいい?」

「それでいいんだよ、
それが本当の先生だもん。
素直で自分の気持ちに正直に生きるのて
気持ちいいでしょ、快感だよ」
「いや、罪悪感とか後ろめたさのが
多いんだけど」
「え、そーなの。大人になると
そんな思いが生まれるんだ勉強になる、
帰ったらノートに書こう。
よっぽど大人は我慢することが多いんだよね、我慢に慣れちゃってるから
自分の気持ちに蓋をする方が楽なんだよね、
それに反してるから罪悪感とか
悪いことしてるって思っちゃうんだよ。
かわいそうに」

何も答えられなくなる。
「先生もいつか、本能のままに
生きれるようになるよ、きっと」

そう言われて頭で考えるよりも先に
本能で桃音に触れたくなり
ブランコをおりて桃音に近づこうとする。
すると桃音は胸の前に両手を持ってきて
「ちょっと待って、まだだめだよ。
嫌だよ早まらないで」
と強い眼差しでいわれ
その場で腰を落とした。

完全に誘われていると思ったのに
拒絶されたことに動揺し
「なんで?本能のままにって言ったよね?」

「本能で私を求めてくれたのはわかる。
でも私の本能は違うの。今じゃない。
今は奥さんを傷つけることになる。
私は誰かを傷つけてまで先生を欲しくない。
きっと先生も私もベストなタイミングで
本能で繋がる日が来るからその時までの
お楽しみだよ。

その代わりに。」と言って
ハイっと舐めていたチュッパチャップスを
渡してきた。

いやいや、子供じゃないんだからと
正直思った。
しかしその行動で我に帰り冷静になれた。

本能のままに生きればそこに
必ず傷つく人がいるもんだと思っていた。
誰も傷つけずに繋がれる日なんて
本当に桃音と自分に訪れるんだろうか。

黙ってチュッパチャップスを受け取ると
「じゃあ今日は帰る、また明日ね」と
また屈託のない笑顔で彼女は去っていった。

しばらく動けなくなりブランコに腰を
おろしぼーっとしていた。
チュッパチャップスなんていつから
口にしていないだろう。
別にいらなかったが捨てる訳にもいかないので
舐めてみた。

甘すぎる。
甘い、いちご味が身に染みた。
子供っぽいのか、大人っぽいのか。
全体的には子供っぽい印象なのに
言動、行動、特に彼女の言葉には
やけに成熟した大人の女性を感じた。

初恋の味はそういや、いちご味だって
子供の頃みんなが言ってたなーと
ふと思い出した。

家に帰るとソファーで書類を広げ
仕事をしている陽子の姿があった。
「ただいま」
「おかえり。遅かったね。」
といつものぶっきらぼうな感じで
陽子はいった。
「夏休み前にやらなきゃいけないことが
山積みで」と本当は
夏休み前にする業務なんて
何一つないのに嘘をついた。
陽子は
「あんな学校でもそんな忙しいんだねと一」と言った。

あんな学校。
陽子のこういう類の言葉に
ひっかかるのは毎度の事だ
いつものように聞き流せと思うのに
言葉がでてこない。

そんな様子を陽子は気付くはずもなく、
「あ、ご飯一応冷蔵庫にあるよ
あっためて食べて」
と声をかけ陽子はソファーに戻った。

晩御飯はオムライスだ。
ケチャップも適当にかけてあり
その上からラップがされている。

共働きだから作ってもらえるだけで
ありがたい、本当に心からそう思っている。
ただ陽子の手料理を食べるたび思う。
レシピ通り作っているから
まずくはない、味はおいしい。
でも一度も愛情を感じた事はなかった。

桃音ならケチャップライスだけ
準備してくれていて、
帰ってきたらふわふわのたまごを
かけてくれそうだなーとか
ケチャップは絶対ハートにしたり
くまとか可愛らしいものを
描きそうだなーと勝手な想像を膨らます。

「ご馳走様。」
いつもなら食後ソファーでくつろぐが
とてもそんな気分になれなくて
風呂場に向かおうとすると
「あ、いいよ気使わなくて。
テレビとかもつけちゃって」と
陽子が声をかけてきた。

「あ、大丈夫疲れたからシャワー浴びて
もう寝るよ」

「あ、そう。おやすみー」

彼女は僕が愛情を感じていない事も
他の女性に心を奪われていることも
何も気付かず、そのまま書類に目をおとした。

ベッドに倒れ込み携帯を見つめる。
桃音の声が聞きたい。
しかしいつ寝室に陽子が現れるかわからない。
今までも居心地なんてよくなかったけど
今まで以上にこの家に
窮屈さを感じた夜だった。



夏休みに入るまで桃音の視線は
相変わらずだったが
変なウワサも起きなかった。
幸い桃音の席は一番後ろの窓側なので
僕をずっと見つめていることなんて
誰も気付かなかった。
それともクラスのみんなが
桃音の視線なんかに注目していないだけの
事かもしれない。
相変わらず1人で過ごしていたし
特別話しかけてくることもない。

彼女から着信が入ることもなかった。

夏休みに入り1日目で、
連絡を僕から取らないと
桃音に1ヶ月近く会えないと
言うことに気付く。

僕は新米なこともあるが
決まった数日だけ学校に
行くだけでよかった。
陽子は吹奏楽部の副顧問もしていたので
ほぼ毎日変わらず学校に行っていた。

日中に時間があるのは久しぶりで
陽子もいない。
今しか桃音と話せる機会はない。

ソファーに座り桃音に電話をかける。
1コールで当たり前のようにでる
その様子に思わず笑ってしまった。
「桃音いつも1コールででるよな?」
「だって私の携帯が鳴るの先生だけだもん。」

そうか、友達もいないんだったか。

「夏休み何してるのー?」と聞いた。
「何も変わらないよ、日常。
朝起きてご飯して掃除して洗濯して
お昼食べて散歩がてら買い出しして
ママを起こして夜ご飯してお風呂、寝る。
以上!」
「ほんと主婦のような日常だな」と笑った。
そうだ、桃音の母親は昼間家で寝ている。
夜はいつも桃音1人なのか。
改めて僕の生活と、すれ違いだなと思う。

時計を見ると16時だった。
「じゃあ、今は散歩中?」

「正解!あ、先生ひまなの?
もしよかったらうちにご飯たべにくる?」と
まさかの誘いがきた。

ものすごく会いたいし
ものすごく桃音の手料理が食べたい。
でも桃音の家にはまだ母親がいるはず。
「お母さんも一緒に?」と聞くと
「ママは昨日から彼氏の家に泊まってるよ
しばらく帰って来ないんじゃないかな。」
と答えた。

「じゃあお邪魔していい?」

「やった!決まりね!あと1時間後に
うちに来て、急いで準備する!」
と言って電話をきった。

早く桃音に会いたい気持ちで
いっぱいだった。
これは心の浮気なんだろうな。
あの家庭訪問の日から完全に
桃音に心奪われた。

ピンポーンピンポーン
玄関から出てきたのは
またオーバーオールにタンクトップという
色気のないファッションに
フライパン姿の桃音だった。

「だから先生早いってー、
まだできてないよー」と言った。
「でもちゃんと1時間後だぞ」と言って
「お邪魔します」とあの時と同じ
ダイニングテーブルの椅子に座る。

あの時と同じようにそそくさと
お茶を出し「もうちょい待ってね」と
声をかけてきた。
前も思ったがすぐにお茶をだしてくれたり
気がきく子だなーと感心した。
お茶を飲もうとすると
「あっ!先生お酒飲むの?」と聞いてきたので
「嗜むくらいは飲むけど」と答えると
「じゃあビール飲んじゃいなよ」と
冷蔵庫からビールを取り出し
透明のグラスに注ぐ。

「あ、ビールでよかった?
ママがビールすごいストックするから
冷蔵庫の場所とって困ってるの!
どうぞ!」
と言いながらつぎ終わる。

こうして話してると16歳と言うことを
忘れるくらいの女性だなぁと思う。
ビールを飲みながら料理する桃音の
後ろ姿を見てハッとさせられる。
自分は7つも年上のくせに
早く会いたい気持ちに負け
手土産一つも準備せず手ぶらで来てしまった。

「桃音ごめん、気が利かなくて、
なんかデザートでも
用意してこればよかった」と声をかけた。

「なんでー??」と笑いながら振り向き
「私が急に誘ったんだし
そんな気遣いいらないよ、
そのままが先生だよ。
そのまんまでいいんだから
変な気使わないで待ってて」

「はい。」と苦笑いした。
改めて好きだと実感する。
陽子なら「本当だよ、人の家に
お邪魔する時は手土産を用意するなんて
当たり前だよ」って言われてるだろう。

礼儀としては陽子が正しいのだろうけど
桃音には気を使わずありのままの自分でいれて
それを認めてくれることが嬉しかった。

「お待たせしましたー」と食卓に
並べてくれたのは肉じゃがと
トマトとパプリカのマリネ
具沢山のスープ、その他にも
おつまみのような物や、副菜が並んでいた。
とても家庭的で相変わらず彩りも綺麗で
栄養バランスもバッチリな料理だった。

「すごい!めちゃくちゃ美味しそう
桃音ありがとう」
手を合わしていただきますと2人で言った。

こんな食卓の時間はいつ以来だろう。
もしかした僕の人生で初めて訪れる
瞬間かもしれない。
僕が食べる姿を桃音は
マジマジと見つめている。
まず肉じゃがを口にする。
味が染みていてじゃがいももホクホクだ。
「めちゃくちゃおいしい」

「よかったー、これは五回くらい
研究してたどり着いた究極のレシピなんだよ。
でこっちのマリネは先生覚えてるかな?
家庭訪問の時に、褒めてくれたやつだよ
あれ?褒めてなかったかな、料理上手だねって
言っただけかも。
あの時は食べてもらえなかったから
いつか絶対先生に食べてもらいたいって
思ってたの」

こないだの僕の発言を覚えていてくれて
究極のレシピを振る舞ってくれる
陽子と比べるべきではないとわかっているが
彼女の料理、発言、眼差し
全てに愛情を感じた。

食事をしながら色んな事を話した。

「料理は小さい頃からずっとしてるの?」
「いやー、ママが捨てられたのが
私が小4の時だから5年くらいじゃない?
それまではパパが料理担当だったの。
パパすごく料理上手だったんだよ。
小さい頃から手伝ったり教えてもらってたから
料理上手って思ってくれてるなら
パパのおかげだね
私はそんなに料理好きではなくて
こないだも言ったようにただの日常だよ
でも好きな人が美味しそうに
食べてくれるのを見るのは好き」

「へー、男の人で料理できるの珍しいね
パパ偉い。」

「そうかなー?偉いかな?
料理は当たり前に女がする物ってのが
まずおかしいんだよね。
パパは時間の融通もきく仕事だったし
料理が好きだったからしてた、ただそれだけ。別にママが料理ができないから
無理やりやらされてるわけでもないんだよ。
先生のその発言も小学校の時よくみんなに
言われたけど当たり前に女がするもの、
母親がするものって決めつけてる発言だよね」

また痛いところをつかれた。
当たり前に母親がするものだ
という自分の価値観が恥ずかしくなった。

「大人は当たり前に縛られすぎだよ。
そこに沿えない人を勝手におかしな人って
認識する。
当事者は何もおかしいと思ってないのに。」

確かに周りにおかしな人と思われていても
本人は何もおかしいと思っていないって事は
たくさんある。
桃音自身の事も僕はみんなと
馴染まない事を気にかけていたが
本人は1人でいる事も何もおかしいと
思っていないし、
実際何もおかしな事ではない。

その他にも桃音に聞きたいことが
たくさんあったので1つ1つ
聞いていく。
「桃音はちなみに彼氏はいたことあるの?」
「ないよ!人を好きになったのも先生が
初めてだよ。初恋だよ。」

「え、そーなの?
なんか勝手に恋愛豊富なイメージだったな。
若いけど今の子恋愛早いってゆうし、
桃音は早いうちから、
色んな恋愛してきたんだろうて
勝手に思ってた」

「また今の子恋愛早いとか一般論。
世の中たくさん人がいるのに
世間の一部の情報に惑わされてるね、先生。
その人自身を見てない証拠だよ
人は1人として同じ人間はいないんだよ」

その人自身を見ていない証拠。
まさにそうだなと反省した。

怖いけど聞いてみたかった事を聞いてみる。
「じゃあ僕の何を好きになってくれたの?
どこが好きなの?」

「わかんないよ、好きになるのに
理由なんてないでしょ。
ただ好きなんだよ。
顔が好きとか、声が好きとか、
外的要因から好きになるのって本当なのかな?
外的要因ならまだしも、もっとひどいのが
大人って仕事とか、お金とか、経験とか
その人じゃなくてその人の作り上げてきた
ただの入れ物に恋してるってかんじ。
その人の心に触れてないの。
だから簡単に捨てたり
捨てられたりするんだよ。
先生はじゃあ私のどこが好きなの?
いえる?」

「んー、それが実は僕もわからなくて
正直綺麗だなとかは思うけど
タイプかって言われると違う気もするし、
何かわからないけど
桃音の言葉を借りると心に惹かれてるって
いうのがしっくりくるかもしれない」

「ほらね、じゃあ私たちは大丈夫だ。
逆に聞いていい?
奥さんのどこを好きになって
付き合ったの?」

今まで嫁のことなど聞いて来なかったので
改めて自分に嫁がいること
嫁がいるのに目の前の女性を
好きだといっていることに
罪悪感を覚えた。
嫁の何を好きになったかと
言われるとパッと思い付くのは
賢いところだった。

「んー、嫁とは同じ教育学科で
隣の席で、授業で僕はわからない問題が
いっぱいあったんだけど
嫁は隣でスラスラ解いてて
あー賢い人だなーと思ったのがきっかけ。
そこからグループで仲良くなって
勉強とか教えて貰って
気がついたらってかんじかな、、、」

「そーなんだー。賢いところ、、、」
と言って桃音は少し黙り込んだ。
いつもスラスラ言葉を投げかけてくるから
少しの間の沈黙が不安になった。

もしかしたらこないだ桃音は
賢い女は男を見下すと言っていたので
今僕の置かれている状況を
彼女なら想像できたのかもしれないと思った。

少しして口を開き
「やっぱり理由からきた恋だったんだね。」
と桃音は言ってちょうど食べ終わったので
ご馳走様と言いお皿を流し場まで運び出した。

僕もご馳走さまでしたと言い
お皿を運び洗い物を手伝う。

その間も桃音が母親と父親を参考に
捨てられない女になる為に
2人の色んな感情を聞き出して
ノートにまとめていること。
母親のことも父親のことも
大好きだと言うこと。
母親には次は捨てられない女
父親には捨てない男に
なって欲しいから
現在の恋愛にも応援してる事。
などを教えてくれた。

「桃音は心理学とかを学べば
いいんじゃないか?」と提案してみたら
「全然興味ない。
自分の事だからできるんだよ。
自分の事だけで精一杯だし
自分が大切にしたい人に
時間を費やしたいの。
そもそも人ってそんなにたくさんの人と
向き合えるようにできてないと
思うんだよね。
愛する人の為にしか私は頑張れないから
見知らぬ誰かの助けになるとか
そういう世界とは程遠い気がする。
そーゆーのは先生みたいに
色んな人を相手にできる能力のある人が
やればいい、
まぁ一人一人と向き合えてるかっていうと
別問題だけどね」といたずらに笑った。

洗い物を終えソファーでゆっくりしていると
もうう21時を回っていた。
さすがにそろそろ帰らないとまずいと
考え出した時に
「泊まって行きなよ、
ママどうせ帰ってこないから」
と桃音に言われた。
こんな状況になった事はないが
きっと今までの自分なら
理性を抑える事はできず
桃音を押し倒してしまうかもしれないと思い
断るはずだった。
でも今は桃音の心に触れられたら
それでいい。
桃音と2人でいろんな事を話す
それだけで朝なんて
一瞬で来るだろうと思った。
その時の僕は世間体や当たり前とか
罪悪感などは一切なかった。

本能のままに
「今桃音とまだ一緒にいたいから
泊まらせてもらおうかな」
と答えた。

桃音は嬉しそうに笑い
「やった、いっぱい一緒にいよう。」と
答えた。

しかししばらく時間がたつと、
外泊はさすがに嫁に疑われるかもしれないと
思いどう嘘をつこうかと考えている
自分に嫌気がさした。

しばらく考えて
「仕事の同僚と飲み会になり
そのままそいつの家で二次会するから
朝帰ります。」と嫁にラインをいれた。

数分で了解のスタンプが
返ってきた。

つくづくお互い愛のないやりとりに
ため息がでた。

桃音との夜はお互いをただ
知っていく時間を過ごした。
一度も手に触れる事もなかったし
ただ見つめあってお互いのことを話す。
今までどんな人生を生きてきたか
知らなかった2人の過去を語り
それだけだったのに時間はすぐに過ぎ去った。
朝になる頃には彼女と一線を超えたかのような
深い関係になった気がした。

彼女を抱いてもないのに
自分の物になったかのような
幸福感と満足感で満たされていた。

さすがに眠くなってきて、
桃音もあくびが増えてきたので
「そろそろ帰るよ」と言い、桃音に見送られ
家に向かう。

帰り道に、あぁもう嫁とはだめだ、
離婚しようと決めた。
桃音に気持ちが傾くどころか
100%桃音のことしか考えれなかった。
今すぐ陽子に別れを告げたい。
桃音と今すぐどうこうなりたいわけでもない。
ただもう陽子の目をまっすぐ見れる
自信もない。
そもそもいつから陽子の目を
まっすぐ見れなくなったかも
思い出せないくらいだ。
もしかしたら付き合い出して一度も
陽子の目を見れてなかったのかもしれない
とも思った。

帰宅すると陽子はすやすやと眠っていて
起こさないようソファーで眠った。
起きた頃には陽子は仕事で不在で
話もできないまま数日たった。

夏休みも中盤に入ろうとしていた。
8月に入ると陽子も僕もほぼ休みで
一緒に家で過ごす時間が増えた。
後ろめたさもあったが幸い
元から会話もないし趣味も全く違うので 
別々のことをし、数日過ごした。
ある日隣町のショッピングモール行こうと
珍しく陽子が誘ってきた。
「何か買いたい物があるの?」と
めんどくさそうに答えると
「お盆は実家に帰るから手土産用意したいの」と答えた。

そうだった。夏休みに入ってすぐに
お盆は実家に帰ると聞いていた。
陽子の実家は名古屋で
自分も一緒に帰ろうかと聞いたが
「いいよ、私が羽伸ばしたいだけだから」と
答えたので1人で帰る予定になっていた。

「じゃあ行こうか。」と重い腰を上げて
隣町のショッピングモールを目指した。
隣町は僕の学校や桃音の家の区域で、
まさか会うはずないよなと
一瞬不安がよぎったが
車を走らせた。

夏休み真っ只中な事もあり
ショッピングモールの付近は
車が混んでおり駐車場に停めるのも
かなり待つ羽目になった。
すると陽子が携帯で調べたのか
「そこ横道入ると公園あるでしょ、
その隣にパーキングがあるから
そこ止めて歩こう、そんな遠くないよ。」
と言った。

その公園は桃音と会った公園だった。
再びもしかしたら桃音が居るかもしれないと
頭によぎったが、それより
陽子と2人で密室の空間で待つ事に耐えきれず
横道に入りパーキングを目指した。

無事パーキングに駐車でき、
陽子と公園の脇道を歩き出した瞬間
いつか感じたあの強い視線を
公園の奥から感じた。

僕は視線を向けると
まっすぐ僕たちを見ている桃音がいた。
すぐに目を逸らしたが
心臓が飛び出てしまうほど音を立てていた。

この視線は陽子も気付いているのかと
横をチラッとみると陽子も桃音を見ていた。
やばいと思った瞬間、
「ねぇあの子知り合い?」と陽子が
聞いてきた。

チラッと目を向けるフリをして
「いや、知らない。何?こっちみてるの?」と
とぼけてみた。

「見てる。めちゃくちゃ見てるよ
怖いくらい、目があったけど
一切逸らさないから怖い」
と言ったので
「目を合わすなよ、
知り合いに似てたんじゃない?
ほら早く行こう」と陽子の視線を
遮るように足早に歩いた。

陽子は変な子だったね、
あんな人のことじーっと見るかなー?とか
ブツブツ言っていたが
僕の脳裏にはさっきの桃音の視線が
焼きついて離れないし
陽子の声もどんどん遠くなり
冷や汗もでるし、クラクラして
倒れそうだった。

どこまで情けない男なんだろう。
桃音は僕たちを見てどう思ったのだろう。
すぐに桃音に電話したい。
弁解したい。
いや、何を弁解するのだ。
目を逸らしたこと?
嫁と歩いていたこと?
桃音に電話して何を伝えればいいのかも
わからなかった。
そしてこんな時も陽子に対してではなく
桃音にどう思われたかを気にしてる自分にも
心底幻滅した。

帰りも桃音がいたら
陽子にさっきは気づかなかったけど
自分のクラスの生徒だと正直に伝え
ちょっと公園に1人でいるの心配だから
話してくるとでもいって
先に陽子を帰らそうと計画をたてた。

しかし帰りの公園に
桃音の姿はなかった。

このままじゃもうだめだ。
桃音の家に泊まった帰り道で
陽子に離婚を告げようと決めたのに
いまだに話せずにいた自分にも
腹が立った。
陽子が実家に帰るのが明後日。
明日陽子に話そうと車の中で思った。

次の日。
陽子が実家に帰る準備をしている。
終わったら話そうと決めていたが
なかなか終わりそうにない。
沈黙の時間も耐えきれず
肩をポンとたたき、
「陽子、少し話があるんだけどいいか。」と
神妙な面持ちで声をかけた。

しかし陽子は僕の顔なんて見てないので
「今じゃなきゃだめー?今どう見ても
私忙しいでしょ。」と答えた。

「今じゃなきゃだめだから、
手を止めなくていい、そのままでいいから
聞いてくれるかな。」

「なに?」とめんどくさそうに
振り返って僕の顔を見て
さすがにただならぬ雰囲気を感じたのか
手を止めソファーに腰掛けた。
「どーしたの?」

僕は今から陽子を捨てる。

覚悟を決め、
「陽子、離婚してほしい。」と僕が言うと
一瞬驚いた顔になったがすぐに険しい顔になり
「どうして?」と言った。

「本当に申し訳ない。
結婚してまだ半年も経ってないのに。
理由を話してもいいかな。」

「どうぞ」

「まず、陽子と出会って陽子に惹かれたのは
陽子の賢さに魅力を感じたんだ。」

「え、待って待って。
離婚の理由を簡潔に話してくれない?
なんで、そんな昔まで話さかのぼるの?
時間の無駄でしょ。」

「いや、ここから話さないとだめなんだ。
頼むから、今は時間がかかっても
効率を求めず、
僕の気持ちを聞いてくれないか?」

はぁ、とため息をついて
「どうぞ」と陽子は言った。

「陽子の頭が良くて、効率が良くて、
僕に勉強を教えてくれたり
僕をひっぱってくれるような所に
惹かれてアプローチして
付き合う事になったよね。
いつも陽子のペースで
何をする時も陽子のタイミングだったよね
結婚のタイミングも。

でもそれが嫌だったわけでもないし
陽子が悪いわけではないんだ。
僕の人生はいつもそう。
自分で決めた事なんて何一つないんだよ。
大学で教育学科を選択したのも
教師とか向いてそうだよねって
高校時代の親友に言われたから。
勉強は嫌いじゃなかったし
それもありだなーと思って
学んだってだけの話で。
そこで陽子と出会って
陽子が早く結婚したいってゆうから
卒業と共に結婚して。
進路だって採用くれたのが
今の学校だけだったから
そのまま教師として働いている
ただそれだけなんだ。」

「ねぇ、何の話なの。」

「そんな自分が嫌になったんだよ。
陽子の事も何一つわからないんだ。
僕の中の陽子は
賢くて僕を引っ張ってくれる存在
ただそれだけでしかなかったんだ。
それ以外の陽子自身の事が
何もわからないし何も見えない。
ごめんなさい。」

「見ようとしてなかったからでしょ。
別に見て欲しいとも思わないけど。
私も正直あなたの事なんて
優しいくらいしか知らないよ。
それでこの4年くらいうまくいってたよね」

僕のことを優しいと思っていたのか。と
初めて知った。
この場合の優しいは
陽子の意見に逆らわない優しさのことを
言っているんだろう。

「陽子が見て欲しいと思わない時点で
もう終わってるんだよ。
陽子も僕の事を見てないし
見ようとしていない。
心が通わない2人が夫婦として
存在するのはもう意味がないと思ったんだよ。
お互いのことをそんなに知らない。
知ろうともしない2人がこの先も
一緒に生きていく意味は何?
でも全て僕が陽子に流された結果が
これなんだよ。
結婚する前にきっと気付くべきだったし
話し合うべきだったんだよ。」

「なにを?私は早く結婚したいって
ずっと言ってたよね?」

「じゃあ、何でそんなに
早く結婚したかったの?」

「私は23歳までに結婚するのが夢で
26歳には子供を産みたい。
3年しっかり現場で働いて
25才から1年で子作りして26歳に出産。
27歳には復帰してそこからは
バリバリ働きたいの。
本当は子供は30くらいでいいけど
先に産んじゃう方が後楽でしょ。
精神的にも体力的にも。
その逆算で早く結婚したいって言ってたの。
3年は現場経験積みたかったし、
てなると卒業と共に結婚で正解でしょ。」

「ねぇ、それって陽子の未来予想図であって
2人の未来予想図じゃないよね?」

「なんで?子供は1人で産めないし
自ずと隣にあなたがいる未来じゃん。」

「それ、俺じゃなくてもよくない?
俺でなきゃいけない要素どこにあった?」

陽子はやってしまったと言わんばかりに
気まずそうな顔をした。

「陽子は陽子の計画に合う人を探していた。
そこで俺と出会った。
計画に反対しないし計画は
成功しそうだと思った。
今のところ計画通りに進んでいた。
そーゆーことでしょ?

ごめんなさい。
離婚してください。」

しばらく陽子は黙っていたが
「わかりました。」と言った。

涙も流さないし、悲しい顔ひとつもしない。
むしろ呆れたような顔だ。
計画は、間違っていたと
陽子は今頃後悔しているだろう。
俺を選んだことを心底後悔しているんだろう。

「すぐに離婚しましょう。明日朝イチで
離婚届をもらってくるわ、
書いてから実家に帰るからあなたが書いたら
いつでも好きな時に提出して、
報告してください。
実家には私が伝えておきます。
そちらの実家にはご自分で。
家は私ここの方が学校に近いから
名義変更して住んでいい?
あなたは隣町の方が便がいいだろうから
悪いけど引っ越して。
家具も好きなの持って行っていいよ。
2学期始まるまでに全て終わらしましょう。
キリがいいから。」

全て聞いて僕は思った。
僕も陽子を捨てたけど
僕も陽子に捨てられたんだ。
お互いにいらなかったんだ。

陽子が淡々と新しい未来予想図を
描き始めているのがわかった。
きっと2学期までに僕と終わらして、
一刻も早く彼氏を作り
早く結婚したいと訴え、
26歳には子供を産む未来からは
同じ未来を作る予定だろう。
ただの軌道修正の作業だ。

陽子らしい。

賢いという入れ物に入った陽子を捨て
優しいという入れ物に入った僕を陽子は
捨てた。

僕は夏休みが終わる2日前に隣町に引っ越し
陽子の計画通り2学期を迎えるまでに
2人の半年の夫婦生活は
あっけなく幕を閉じた。

夏休み最後の1日。
あの公園で桃音を見ないふりした日から
僕は桃音に連絡できていなかった。
あの日のことも弁解できないまま
もちろん離婚したことも伝えれていない。

勇気を振り絞って桃音に電話をする。
もう1コールででてくれないだろうなと
覚悟して発信ボタンを押す。

すると1コールで
「もしもし」と桃音は電話にでた。
しかしいつも通り先生と飛びついてくる
感じではなかった。

「桃音、、、」と言った後
言葉が出てこなかった。

桃音も黙っている。

しばらくして
「今から少し会えますか?」と聞いた。

「会えるよ。いつもの公園にいるよ。」
と桃音は答えた。

公園に向かう途中何から話そうか考えたけど
もう頭がうまく回らなかった。
考えるのはやめて、素直な気持ちを話すだけだ
変に言葉を選んだり考えるのはやめようと
心に決めた。

公園につくと桃音はいつもの
ブランコではなくベンチに座っていた。
どんな顔をしているかわからない。
黙って隣に座る。
しばらく沈黙が続いて
意を決して僕が話し始めようとすると、
桃音が突然僕を強く抱きしめてきた。

苦しいくらいに抱きしめてくる。
なんで抱きしめられているのかよく分からず「桃音?」と言うと
「泣いていいんだよ。
無理に話さなくてもいいんだよ。
全部わかるから、伝わるから
心で繋がってるから大丈夫。
そんな不安そうな顔しなくても
大丈夫だよ。」と子供をあやすように
背中をさすっている。

僕はそんなに不安そうな顔をしていたのか。

その瞬間、僕は今まで聞いたことないような
大声で溢れ出る涙を流した。
こんなに感情のまま泣いたのは
子供の頃以来だろう。
安心したような、嬉しかったのか
何だかわからない感情が
溢れ出てとまらない。

しばらく桃音に抱きしめられながら
何時間泣いたのかもわからない。

日が落ちてきてようやく話せる状態になった。
「ほんと情けなくてごめん」
「何で?情けなくないよ。
先生が感情のまま泣いてくれて嬉しい。
泣きたい時は泣けばいいんだよ、
悲しい時も寂しい時も
嬉しい時だって我慢しないの。
それが人間だよ。
桃音の前では感情に
蓋をしないって約束でしょ」

「ありがとう。桃音聞いてくれる?」
とあの公園で桃音の目を逸らした日から
自分に起きた出来事を全て話した。
桃音の事を気付かぬふりした後悔。
嫁と離婚したこと。
結局僕は桃音が予想してた通り
嫁を捨ててしまったんだと。
そして嫁も僕を捨てた事。

全部ありのままに話したけど
桃音とこれから一緒に居たいとか
付き合ってほしいとか
そういう話はなぜか出来なかった。

桃音は僕の話に最後までうんうんと
頷いていただけだった。



エピローグ


あの日以来桃音とは全く連絡も
取らなくなり話すこともなくなった。
きっと桃音にも捨てられたんだろうな
と思った。
僕は離婚したのにも関わらず
桃音に告白も出来なかった。
なんて男気のない男なんだろうと
呆れられたんだろうな。
それとも
最初から、からかわれていただけで
よく考えると桃音から僕に連絡してくることは
最初から今まで一度もなかった事を証拠に
ただ僕が彼女に一方的に
翻弄されていただけだったのか。

何より捨てられたと思った原因は
あの公園で話した次の日、2学期が始まり
あれほど目に焼き付けたいと僕を見ていた
桃音と全く目が合わなくなった。
また彼女は窓の外をボーっと眺めている
日常に戻ったのだ。

最初はその態度が気になり
電話して確かめようと思ったりもしたが
なぜかできなかった。

彼女の目的は僕を離婚させる事で
誰かに雇われた別れさせ屋だったんじゃないか
とまで考えた事もあった。

そのまま季節は変わり
彼女は2年生になった。

僕はまた1年の担任をすることに
なったので国語の授業でしか
桃音と会う機会はなくなった。
変わったことと言えば
彼女は国語のテストでずっと100点を
とり続けた。
3年生になってもそれは変わらなかった。
卒業するまでずっと。

これは後から知った事だけど
不思議な事に成績が良くなったのは
国語だけで他の教科は
軒並み最低ラインの点数だったらしい。
留年ギリギリのラインでなんとか
卒業することができたらしい。

そして卒業式がやってくる。
校長先生に
浅香桃音と呼ばれ、
壇上に上がる桃音を見て
胸が熱くなった。

卒業証書をもらい、振り返りおじぎをして
顔を上げると
まっすぐ僕を見つめてきた。
この目で見つめられるのはあの
夏休み最後の日以来だ。
約2年半ぶりに感じた桃音の
視線に僕は驚かなかった。

僕もしっかり彼女を見つめ
拍手を送った。



卒業式の後、僕はあの公園に向かった。
あの日以来2年半ぶりの公園。
ブランコに腰掛けて
この3年間を思い返す。

僕は25歳になった。
あ、陽子は子作りを初めているのだろうか。
来年子供を産む予定だったけどと
ふと別れた妻を思い出した。
きっと彼女は計画通り進んでいるのだろう。
きっと成功するんだろうと思うと
笑えてきた。

1人で笑っていると
後ろから
「何笑ってるの気持ち悪い」
としばらく聞いてない声だったが
懐かしさよりも愛おしさが
先に襲ってくる。

約束なんてしていない。
でも今日ここに彼女が
来る事は分かっていた。
彼女も僕がいることは
わかっていたのだろう。

僕は驚きもせず
「卒業おめでとう」と言い振り返る。

「ありがとう、やっとだね。
やっとこの日がきた。」と
桃音は言いながらブランコに座る。

僕も「うん。」と頷きポケットから
用意しておいた指輪を取り出す。
パカッと開けて
「桃音、僕と結婚してください。」
我ながら決まったと思った。

桃音は笑いながら
「しません!」と答えた。

僕も「何でだよ!」と笑った。

「嫌だよ結婚なんて。
私は絶対捨てられない女になりたいんだよ?
結婚なんて紙切れ1枚のただの約束でしょ。
そんなのなくても心が繋がってれば
大丈夫だって
先生も充分わかったでしょ。」

僕はプロポーズと言うものに
縁がないらしい。
陽子の時は言い方をダメ出しされたし
桃音には断られる始末だ。

でもそれでいい。
僕は指輪をポケットに閉まって
話し出した。

「桃音は絶対に捨てられない女だよ
最初から今まで。そしてこれからも。

でも僕は桃音に2年半前
捨てられたって思ったんだよ。
最初は桃音自身の事も
疑ってしまった時もあったんだ。
でも時を追うごとにね、
桃音がくれた言葉を思い出して。
1人の人間として僕を見てる事。
心はずっと繋がってると言ってくれた事。
素直になれる日まで待ってると
言ってくれたこと。
ベストなタイミングで2人が本能のままに
繋がれる日が来るって言ってたこと。

色々蘇ってきたんだ。

僕に時間を与えてくれてありがとう。
あの日離婚してすぐにここに来て
泣いた日。
最後に桃音に付き合ってほしいって
伝えようとしたけど躊躇ってたことも
きっとお見通しだったんだよな?

僕が世間体を気にする人間だってこと、
離婚してすぐに付き合おうって
なんて虫のいい話なんだって
自分に後ろめたさがあった事。
それでも桃音は受け入れてくれるだろうけど
生徒に手を出してって変な噂立てられるのは
嫌だなって正直思ってたことも。
僕が考えていたことは
全部桃音にはお見通しだった。

しばらくたって桃音は
僕が僕の意思で今なら大丈夫だって
胸を張って桃音に伝えれる日を
待ってくれているって思えるように
なったんだ。
今は会わなくても話せなくても
目を見つめれなくても
大丈夫だよって思ってくれてるのが
伝わってきたんだ。

国語で100点を毎回取ってきたのも
何かのサインだったの?」

そう聞くと
屈託のない笑顔でニコッと笑い、
16歳の時と何も変わらない桃音がいた。

「桃音と絶対に離れたくない。
今日からずっと一緒にいてください。」

「先生もいつの間にか
私の考えてる事お見通しじゃん。
私も絶対に先生と離れたくない。
私とずっと一緒に居てください。
絶対に捨てられない女に
なれたって事でいいかな?」
と桃音はきく。

「桃音は絶対に捨てない女でしょ。
こんな男でも絶対に、見捨てないし
無条件に愛を与えられる。
信じ続けれる力をもってる。
ありのままを愛せて心を見ようとしてくれる。

絶対に捨てられない女ってのは
きっと絶対に捨てない女の事なんだよ。
桃音は絶対に僕を捨てないから
僕も絶対に桃音を捨てない。」

そう言って
初めて桃音の唇にそっと触れた。
ものすごく甘い味がした。

「桃音さっきまでチュッパチャップス
舐めてただろう」

「舐めてないよ!なんで?」と笑う。

「あの時と同じイチゴの味がする」

「それ、初恋の味だよ。」
と桃音は笑った。


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#恋愛小説部門


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