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東日本大震災の後も、「いつも通り」だった

2011年3月11日、東日本大震災が起こった日。私は、今でもあの日を鮮明に覚えている。

当時、私は横浜の小学校に通う、小学五年生だった。小学校の授業中、確か6時間目で、「今日の学校はほぼ終わり」の浮ついた状況だったのを覚えている。数人が、

「なんか、今揺れなかった?」

「下から突き上げられた気がする」

と言っていて、「そうか?」と思っていた矢先、大きな揺れが起こった。

避難訓練で練習していたように、急いで机の下にもぐり、机の脚を掴んで揺れが収まるのを待った。正直、最初はいつもみたいな震度2、3の地震だろうと思っていた。しかし、どんどん揺れは強くなっていった。生きていた中で、過去最高に大きな地震だった。

「あ、これガチなやつだ」

「大きな地震って本当に起こるんだなあ」

「パパとママ、大丈夫かな」

泣き始める子を横目に、怖いという感情よりも、冷静にそんなことを考えたことを覚えている。


揺れがおさまると、すぐに防災頭巾をかぶって外に出た。先生たちも、正しい情報がつかめず、あたふたしているようだった。しばらく揺れがなかったので、ひとまず教室に戻ることになった。


帰り支度をしていると、強い余震が来た。また机の下にもぐり、校庭に避難する。校長先生から、「今日は危ないので、保護者の方と一緒に帰ることにします。保護者の方が〇時までいらっしゃらなかった場合は、集団下校で帰りましょう。」と伝えられた。しかし私は学区外通学をしていたので、集団で登校する仲間がおらず、集団下校という選択肢はなかった。保護者の迎えについては父親も母親も仕事をしていたから、あまり期待できない。ただ、母親が小学校まで自転車で15分くらいの距離で働いていたから、時間さえ間に合えば迎えに来られる。ただ、望みは薄かった。

教室で保護者の迎えを待っていると、専業主婦のお母さんを持つ人たちはどんどん先に帰宅していった。幸いにも、私の仲のいい友人は両親が共働きという人が多くて、ギリギリの時間まで一緒にいることができた。待っている間、いつもは見られないテレビを先生がつけて、ニュースをみることができた。テレビの画面の人たちも、ほぼパニック状態だったことを覚えている。キャスターや記者の方が、若干声色高く、大声で何かを伝えている。細かいことはよくわからなかったが、「東北で大きな地震が起こったこと」だけは理解した。

タイムリミットが来て、残っている人たちは集団下校で帰りましょうという流れになった。私、集団下校できないんだけどなぁと思っていると、先生が自宅まで車で送ってくれた。正直に言って、とても嬉しかった。先生の車に乗られることにワクワクしていたし、私はみんなと違って車で送ってもらえることが嬉しかった。「地震がなければ、こんな経験できないな」と不謹慎にも思った。先生にとっては負担だったと思うけど。

で、自宅に帰ってテレビをつけた時、ちょうど津波が襲ってくる様子を中継している映像をみた。現実とは思えなかった。映画みたいだと思った。中継している人の、「マジか…」と言わんばかりの空気を感じて、私も「マジか」という状態だった。言葉が出なかった。すごすぎて、現実感がなかった。海がすべてを飲み込んでいく。容赦なく、人間の事情などお構いなしに、飲み込んでいく。その時もまだ、現実感がなかった。


しばらくすると、母親が帰宅した。

「学校まで迎えに行ったのにいなかったんだけど!」

と言われたので事情を説明し、ママも無事でよかったと安堵したのを覚えている。


その後父親の安否を確認し、当時花粉症がひどかったため、耳鼻科に母と行った。先生と、「大変でしたね、大丈夫でしたか」と会話し、東北では大変なことが起こっているのに、私は地震が起きた後もこうして普通に耳鼻科に行っていることが不思議な感覚だった。

帰りに母親が薬局に寄って、トイレットペーパーやティッシュを買った。その後、トイレットペーパーやティッシュがどのお店でも品切れになった時、「あの時買っていてよかった」と言っていたのが印象的だった。

幸いなことに、私が住んでいたマンションは自家発電機があったので、停電や断水に悩むことがなかった。家の中も、そこまで物が散らからなかった。地震後も、「いつも通り」だった。いつも通りの生活ができた。だから、ニュースでどれだけ地震の被害や原発の放送があっても、私にとって、非現実だった。だって、自分は「いつも通りの生活」をしていたから。どんなに想像を膨らましても、映像をみても、現実と認識できなかった。


あれから10年。まさかあの時の私が、10年後に就活生になっているとは夢にも思わないだろう。それこそ、小学生の私にとって、今の私は現実感がないと思う。でも、今の私は現実だし、当時の私も現実だった。「いつも通り」の生活ができた私にとって、「いつも通り」の状況が私にとっての現実であり、東北の状況が非現実だった。


「いつも通り」の生活をした私にとって、東日本大震災は非現実のように思えてしまうのだ。




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