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自分のために生きるのは困難

自分の好きなように進路をきめるとき、両親がすんなり承諾してくれることはなかった。
・どうしても学びたい研究したいことがあって大学へ進学したかったとき、
・新卒で入った地元の有名企業を上司からのいじめがひどいために退職したかったとき、
・生きる意味を見失って英語できないのに海外行くこと(ワーホリ)を決めたとき、
・帰国後実家を出て新しい土地で生きてみたかったとき、
・前職を過度のストレスによる心身の不調でギブアップで退職したいといったとき
etc.

全部反対だった。
こうしなさい、ああしなさい、と言われ生きてきた。
周りがこうしてるからと。
どうでもいいときはそれでもよかった。
でも、「こうしたい」という我があるとき決まって反対された。
(大喧嘩の末、実家を出る以外はすべて押し通した。反対する親心もわからないわけではない)

自分の意見を持つことを反対されて生きてきたと思う。

今無職になりそろそろ2か月目に突入する。
まだどこにも応募していない。
次の職場への期待もある。
前職と同じ目に遭いたくないので慎重に選びたい。
でも、いろいろと家庭の事情もあってそんな悠長な自分の希望を優先することは難しいかもしれない。

家族のことをおいて自分のささいな希望を押し通すわけにはいかない。

無職関係なく昔から両親からは、
ストレス発散のための娯楽も心の癒しを求める旅も贅沢だと忌み嫌われる。
楽しそうにしていると嫌味が飛ぶ。
わたしだけ幸せになることを許さない。

自分のために生きるってなんだろう。幻想?

無職だけど、日曜以外はゆっくりしてると怒られる。
規則正しく生活をし、活動し、家事をし、運動し、節約して生きる。
精神的に参っていてもそんなのは関係ないとされる。
(昔の人はたくましいから、理解されない)

気の休まらない無職です。
まあ、40過ぎて無職で独身で実家で暮らしていることがそもそも問題なのですが。