見出し画像

【一話完結】コロナ禍で書いた小説【生⇔死スイッチ】

※舞台は2020年5月頃、新型コロナウイルスの描写がございます。
閲覧はくれぐれもご注意くださいませ。

僕は書斎のソファで目を覚ました。程よい日差しが背に当たって心地よい。
眠気眼で確認すると、時刻は14時半を回っていた。
(うわ、昼食を取ってすぐ寝ちゃってたんだ……)
罪悪感から一瞬で意識が覚醒する。膝の上には読みかけの小説が鎮座していた。
(天気の良い日は窓辺でもう本は読まない……)
自身から伸びる影を辿ってゆくと、その先に一人の少年が立っていた。

『よく眠れましたか?ご主人』

14歳ぐらいの小柄な少年ーーちなみに僕は今年で17歳になるーーがこちらに歩み寄る。白と紺を基調としたセーラー服を身に纏い、本物のヨーロッパの水兵のようだ。けれど、明らかにそれと似合わないカラー眼鏡がそう思うことを許さない。青いレンズの向こう側の、大きな瞳と目が合うと、にこやかにこちらに微笑む。
(僕は家主じゃないから、ご主人でも何でもないんだけど……もういいや)
過去に何度言っても訂正してくれなかったので、言うのは諦めた。
『残念ながら僕はぐっすりと眠ってしまっていたようだよ、リンネ』
僕は少年の名を呼んで答える。
『え?ぐっすりと寝れたならよかったじゃないですか?』
「え?時間をオーバーした昼寝なんて、本末転倒じゃないか……」
『ホンマツテントー?よく分かりませんけど、ご主人、最近あまり眠れていないみたいだから良かったじゃないですか!ーーほら、目の下が青いですよ?』
リンネ僕が手を伸ばせばすぐ届く距離から、こちらを覗き込んでーー

……“手を伸ばせばすぐ届く距離”?

「駄目だよリンネ!2メートル以上離れないと、うわっ!?」
距離を取ろうとして、僕は勢いよく後退しつつ立ち上がる。連鎖的にギギギとソファが床を擦る音がしたかと思えば、膝から小説が落下した。
ーーすぐ側のテーブルの、空のティーカップの上を目掛けて。
「しまっーー!」
カシャーンという高い金属音に続いて鋭い音が響き渡る。ティーカップは床に落下して止まった。
静寂に包まれたかと思うと、すかさずドアを叩く音がした。
「坊ちゃん、大丈夫ですか!?何か慌てたお声が聞こえてまいりましたよ?」
「ご、ごめんなさい。ミス・マリア。僕は平気ですから……!ありがとう、一人で対処できます」
「そ、そうですか……?あの、何かあれば何でも仰ってくださいね」
「は、はい……」
足音が遠ざかり聞こえなくなると、僕は全身の緊張を解いた。
「……はあ」
(またやってしまった……)
情けない。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
僕のため息も束の間、
『……ふふっ、くくく……あーはっはっは!おっかしい!変なご主人!キョドーフシン!フシンシャだー!』
リンネはお腹に両手を添えて、それはもう、涙を流しだすんじゃないかってくらい豪快に笑った。
「あ、あのねぇ……!僕はリンネがウイルスに感染したら大変だと思って……!」
『あっはは、ご主人ったら変なの!』
リンネはその無邪気な笑みのまま、ジャンプしてくるりと宙を一回転すると時を操るみたいにゆっくりと着地した。

ーー比喩ではなく、リンネは本当に重力を度外視して宙を自由に舞っていた。

そしてリンネは小さな握り拳を胸にあて、こう言うのだ。

『ーーご存知の通り、もう死んでますから!』

 【生死スイッチ】
      〜コロナ番外編〜

幸い、ティーカップは割れていなかった。僕が片付けている間もリンネは『ほらね、ほらね』とポルターガイストで浮遊させた本やら椅子を自身目がけて投げつけ、“いかに自分が死んでいるか”を披露した。勿論、僕とは2メートルという、十分な間隔を保って。物体はリンネの身体をすり抜けて、再び元の位置へと帰って行った。
『ああ……うん。分かった。もう、分かったから』
僕はリンネのこの陽気な性格が好きだけれど、時々空回りして生まれるこの不謹慎さは少し苦手だった。
リンネとは一週間程前に、この別荘ーー両親に連れられて、僕ら新田(にった)家は毎年とある自然豊かな小さな離島で避暑しているーーで出会った。

一言で説明すると、リンネは、記憶喪失の地縛霊だ。

記憶が無いから当然、自身の年齢はおろか、名前さえも分からなかった。
リンネによると、物心ついたときにはこの別荘の地縛霊になっていたらしい。
成仏するために、この世に留まる未練を
ーー“自分”を知りたくて、リンネは僕に助けを求めたのだ。
僕は、それに協力する約束をし、この避暑地を離れてしまう前に、リンネの手がかりを捜していたのだ。
正直、リンネを成仏させるなんて大それた事を成し遂げる自信は皆無だった。そしてそれは今でも変わらない。
ただ、困ってるリンネの力になりたい。それだけの理由で深く吟味せずに引き受けてしまった。けれど、結果的にこの判断は正しかったと、今では確信している。
一緒に過ごしているうちに、リンネは文字が読めず、一般常識もわからないことがある、“超”が付くほどの世間知らずだったのだ。そのためおかしな態度をとる場面もあり、記憶の損傷は僕の想定以上に大きいとわかった。
そして何よりーー
この別荘には、僕の両親、兄と、数名の使用人ーーミス・マリアもそのうちの一人で、彼女は僕の専属として幼少の頃から世話になっているーーが滞在している。
ーーけれど何故か、

(リンネは僕にしか見えないんだよね……)

全く自覚してないけれど、リンネによると、「ご主人の霊感がずば抜けて強いから」とのこと。
僕はリンネの姿を、爪先まできちんと、生きている人間と見分けがつかないほど鮮明に見ることができる。それが証拠なんだとか。
初めてリンネと出会ったときも、その厄介な能力のせいでリンネを不審者だと勘違いし、先程のように大声を上げてしまい、結果ミス・マリアが駆けつけてくれた。
ーーでも、

(ミス・マリアには、リンネが見えていなかった……)

そういった事情で、リンネは、“役に立つのかも分からないただ霊感が強いだけの僕”をあてにする以外に選択肢が無いというわけだ。
室内の捜索を終えたので、これから別荘を離れて手掛かりを捜そうとした矢先、この島でもコロナウイルスが流行し始めた。
不要不急の外出は制限されているので、僕らは完全に足止めをくらってしまったというわけだ。
僕らにとっては必要で緊急だけれど、リンネの事情を話す訳にもいかないし、言ったところで通用しないのは明らかだ。
僕は窓の外を見やる。
医療従事者は日々絶えない感染者の対応に追われている。医療崩壊が起こるのも、時間の問題だという。
既に医療崩壊が起きている国では、回復する見込みのある患者にのみ治療を施すなど、命の選別が行われている。
(……)
リンネには、自身を見てもらえて自身が何者なのかを捜し当ててくれるような存在が必要だ。きっとリンネ自身も、そんな存在を求めていたはずなのに。
格子がデザインされた窓越しに青空が覗いている。夏だから当然なのだが、最近は毎日快晴が続いている。その日差しはあまりにも眩しかった。

雲一つ浮かべず澄みわたるこの青が、今日も煩い。
僕を嘲笑うかのようだ。

何も出来ない存在だと、無力なのだと囁かれているようで。

ーーほらね、なんにも出来ないでしょう?それが、あなたなのよ。

カーテンを閉めようと窓に手を伸ばすと格子の影が僕に落ちた。監獄に収容されたみたいで、思わず乾いた笑いが零れた。
ーー僕にぴったりじゃないか。
困り果てたリンネの前にようやく現れたのが、救世主どころか、何もない、出来損ないの僕などと。
(どうして僕なのかなぁ……)
皮肉にも程がある。
僕にできる唯一は、こうやって安全な場所から傍観することだ。
(何も出来ない僕がここに居たって、仕方がないじゃないか)
出鼻を挫かれ、リンネもさそがし心を痛めていることだろう。
『あ、そっちじゃないですよ、ご主人』
「いたたた痛い痛い!」
突如、僕の意思とは関係なく、僕の首が無理やり室内の方角へ向けられる。
(これはーー)
『ちょっとリンネ、勝手に憑依しようとしない!』
いつの間にか、僕の対角線に位置するソファに腰掛けていたリンネを叱りつけた。
呪縛霊のリンネは別荘の外へは移動できないので、僕の身体を一時的に貸すーーつまり、リンネが僕に憑依して一緒に外へ出よう、と約束していたのだ。そんな経緯で、不意を突かれると時々こういった目に遭う。
『だって、ご主人そっちばかり見てるから』
文字が読めないリンネにとって、書斎にいるのは退屈だろう。僕は一層心を込めてリンネに語りかけた。
『う……。確かに、リンネの相手をしなかったのは謝るよ、ごめん』
魂同士の会話は、心の中で言葉を組み立てた文章が伝わるのではない。伝えたい気持ちを思い浮かべるのだ。「相手に届け!」とテレパシーを飛ばすようなイメージだ。“どれだけ心を込めるか”が重要になるらしい。
リンネはへへへ、と笑い、悪戯っぽく舌を出してはしゃいだ。
(……)

「ねえ、リンネは辛くないの?」

(……え?)
頭が真っ白になる。誰でもない、自分自身が発していたのだと、ようやく理解できた。
「えっと……これは、その」
サー、と全身の血の気が引いていく感覚がした。
(直接的すぎた……?僕はなんてことを……!)
ーー外出が出来ないということは、当然、捜索もずっと出来ないというわけで。
『辛い?』
リンネは大きな瞳をさらに大きくして静止した。
リンネがあまりにあっけらかんとしているから、ついそんなことを言ってしまったんだと思う。
『リンネなら大丈夫ですよ、ご主人。ちょっと散歩してきますね』
『あ……』
探索が足止めされているその間、ずっと、リンネの背後には付き纏うこととなる。

ーー“自分は何者なのか?”という恐怖が。

僕は馬鹿だ。
そんなのって。

(辛くないわけ……ないじゃないか)

リンネの姿は、物音ひとつ立てることなく、スウッと廊下へ通じるドアに吸い込まれていった。

***

ご主人と別れたリンネは、とある部屋に向かいました。“あの言葉”を聞いて、リンネは居ても立っても居られず走り出していたんです。
ご主人のことを知りたいし、知らねばならないと。そう、強く思いました。
(着いた!)
ポルターガイストでノックして合図します。
『ーーどうぞ。どうしたの、リンネ?またわからないことがあったのかしら?』
『……こんにちは、ミス・マリア。今日は“カンゴク”という、言葉の意味を知りたくて』
リンネは分からない言葉があると、ミス・マリアを頼ります。
『……“カンゴク”?』
ミス・マリアが不思議そうに呟きます。
『今日のご主人、たくさん悩んで辛そうでした。そのときに“カンゴク”……と、言っていました』
それに、ミス・マリアはくすくすと悪戯っぽく笑い、リンネを見ました。
『言っていたーーというか、どうせいつもの盗み聞きでしょ?』
『……盗み聞きなんてしません』
(そんなことしなくても、勝手に聞こえてきますから)
声を使わない魂の声は、念じれば伝わります。それゆえ、感情があまりに強いと、意図せず周囲の霊や霊感のある者に伝わってしまうこともあります。
『……貴方こそ、何がそんなにおかしいんですか?ご主人の辛そうな声は聞こえてこなかったんですか?ほら、先程ご主人の部屋を訪ねたでしょう?』
『ああ……。あんなドア越しの短い会話なんかじゃ、私にはわからないわ。そもそも、私は霊感が弱いから、私に向けられていない魂の声を聞き取ることは出来ないの。あなたの姿もほとんど靄がかかって見えてないし』
『そう、ですか……』
『それにしても“カンゴク”ーー“監獄”ねえ……。こんなに立派な別荘でコロナの大打撃からも逃れた環境で暮らせているというのに……。相変わらず仕方のない方だねえ、坊ちゃんは。何がそんなに不満なんだか……』
『ちょっと……?ご主人の悪口ですか?ーー不愉快です。早くその、“カンゴク”の意味を教えてください』
『……ああ、ごめんごめん。まあ簡単に言うと、監獄っていうのは、罪が重すぎて殺される人や、自由が許されない人が入れられる檻のことよ』
『……そう、ですか……』
『いやいや、そんなに気にしなくても』
『……え?』
『いや、元々坊ちゃんは暗い性格だからさ。気にしなくていいよ!』
(そんな……)
『……ところで、ミス・マリア』
『何?』

『例の件ーーリンネに協力してくれる気にはなりましたか?』

『……』
リンネの言葉に、ミス・マリアは口をつぐみました。
『お願いします、ミス・マリア。リンネと協力して。そしてーー“計画”を果たして』
『それを果たしたら、リンネは成仏できるのね。でも……』
『でもーー何ですか?』
ミス・マリアは腕を組んで、まるで、品定めするみたいにリンネを見ました。
『……霊がこの世にとどまる場合、負の動機から成るといわれているし、実際私はそう経験から学んできた。突然現れた素性の知れないアナタを……いや、例えアナタじゃない、他の誰かだったとしても。完全に信じるなんて出来ない』
『……ミス・マリアはまだ、リンネが信じられないんですか?』
『……ええ。そういうことになるわ……。坊ちゃんにあなたを幽霊だと信じ込ませるのに協力してあげただけ感謝してよね。』
そして、リンネの瞳を見つめながら、
こう言うのです。

『……ねえ、アナタは一体誰なの?』

***

(……あれ?)
リンネは随分と遠くまで来てしまったことに気が付き、廊下に立ち尽くしました。
(……道を、間違えたんでしょうか……)
ーー静寂。
このあまりに広すぎる別荘は、物音一つしません。
(誰もいない……)
もちろん、ご主人だって。
『……』
嫌な感じがしました。
(ーー戻らなきゃ……!)

ーー自分がどうやってこの別荘に辿り着いたのか、わからない。
(急げ)
ーー自分が何で地縛霊になったかも、わからない。
(急げ……)
ーー自分の死体の在処も何故か、わからない。
(急げ……!)

ーー『ねえ、アナタは一体誰なの?』

(ーーうるさいうるさいうるさい!そんなの、こっちが知りたいですよっ……!)

『……はぁっ、うっ、うう……』
勢いよく動いていた両足は失速し、立ち止まりました。
(苦しい……)
足が、全身が動かなくなる。
それはあまりに苦痛でーー壁に身体を預け、爪を立てたくなるほどで。
リンネの意識は遠くなりました。

***

視界が赤一色に染まっていました。
(ここは……?)
ぼんやりとその赤を見つめていると、徐々に意識が回復してきました。
そういえば、廊下の絨毯がこんなでざいんだったような気がします。
起き上がろうとして、
(あれ?手が無い。何で?)
自分の姿は少年の姿ではなくて、ただの青い炎になっていました。
(ああ……魂の姿に戻っちゃったんだ。情けない)

はは、おかしいですよね。
生前の記憶はちゃんとあるのに、時々、自分が誰なのかわからなくなる。
計画に必要だとはいえ、ご主人に記憶喪失と嘘をついた罰でしょうか。
はは、と心の中で乾いた笑いが出ました。

ーー『ねえ、リンネは辛くないの?』

辛くないですよ、ご主人。
いつもは全然辛くないのに。
何で。

(何で、今はこんなにも、辛いんでしょう……?)

『……ね…………?』
(……?)
微かに声が聞こえます。

『……ネーー!どこへ行ったのーー?』

(ご、ご主人……?)
『大丈夫?返事して、応えてよ!

ーー“リンネ”!』

『ーー!』
今、やっとわかった。
(そうだ……。他の誰でもない、リンネは“リンネ”です……!)

ーーねえ、アナタは一体誰なの?

ワライが込み上げてくる。
ーーざまあみろ、ですよ。
ミス・マリアからの信用とか、自分の死の真相とか、

(ーーそんなもの、リンネにはもう要らないんだ!)

リンネが“リンネ”でいる目的だけを考え、集中する。
目を開く。
セーラー服の袖から両手がのびる。
順番に一つ一つ触れていく。
リボンの付いた潰れたボウシ。
黒のチョーカー。
目元を覆う、魂色のカラーメガネ。
もうすっかりお馴染みとなった、セーラー服の少年の姿。
『はいはーい!“リンネ”はここにいますよ、ご主人!』
取り繕わなければならない心配も忘れて、リンネは真っ直ぐに、その声のする方向へと駆けて行きました。

***

リンネと合流した僕は、またいつもの書斎にいた。
『リンネ……!暫く戻らないから心配したよ』
『ごめんなさい、ご主人。リンネの心配しないで』
『あまりにも見つからないから、もしかして、ウイルスに感染したんじゃないか、と思い始めてたくらいだよ』
『だからご主人。霊にウイルスは感染らないんですってば……』
隣に並んで数歩進んだところで僕は勇気を振り絞って口を開いた。
「リンネ、あのさっきのことなんだけど……本当にごめんなさい……!『大丈夫?』なんて、言える立場じゃないけれど……。辛くないわけないよね。ねえ、リンーー」

『……くっくっく! あーはっはっは!』

リンネはもう我慢ならないという感じで、大きく口を開け、大きな声で笑いちた。
『え、えっ……?な、何で笑ってるの……?』
リンネは先程の、ティーカップの惨事よりも遥かに笑っていた。
意味がわからない。僕は口が開いていることに気がついて慌てて閉じた。
なんだか急に恥ずかしくなった。僕は真剣に、勇気を出して声をかけたというのに。
『ごめんなさいご主人、怒らないで。たかがそんなことで謝られるとは、思ってもみなかったもので』
(た、“たかがそんなこと”……!?)
「えっ待って……?リンネは僕の言葉に傷ついたから出ていったんじゃないの……?」
『あー、ワラッタワラッタ!』と満足気にリンネは僕の正面のソファに座った。
『そんなわけないじゃないですか、ご主人!ご主人と二人で過ごす時間はむしろ楽しかったですよ』
「た、楽しい……?」
(話し相手は僕なんかしかいないのに……?楽しい……?何で……?)
混乱する僕を置きざりに、リンネは語りをやめない。
『大体、言ったじゃないですか。リンネは散歩に行きたかったから出て行っただけです。被害モーソーもほどほどにしてください』
「う……ごめんなさい」
ピシャリと言い放つリンネの正論に、僕は何も言い返せなかった。
『あのですね、ご主人』
リンネは両手の指を交差させ、顎を乗せた。そうするとリンネの顔がよく見えた。
『リンネには、自分は何者なのか、という“疑問”は付きまといます。ーーでもね』
リンネは、まるで子どもに聞かせるような、優しい口調で、

『自分が何者なのかーーという“不安”は、
付きまとわないんですよ』

『そう、なんだ……。……すごいね。リンネは』
断言したリンネに、僕は正直な感想を口にした。
『僕だったら、そんな現実を受容する度胸はきっと無いよ。子どもなのに、大人だ』
『ジュヨー?子どもなのに大人?ご主人のよく仰っている意味が分かりません』
リンネは頭にクエスチョンマークを浮かべた。
『ごめん、少し言葉が難しかったかい?要するに、リンネが不安を感じていないことが凄いって僕は思ったんだ。リンネの心の強さは素敵だと』
僕は易しく言い換える自信はなかったけれど、案外するすると言葉にすることができた。だって本当のことだし、リンネのことをもっと尊敬したから。けれどリンネは僕の言葉に表情を曇らせた。
『……ご主人はリンネのこと、誤解してます』
『誤解?』
リンネはこくんと頷いた。
『あのね、ご主人。

リンネは不安を感じないんじゃない。不安なリンネを、ご主人が、大丈夫にしたんです』

『僕が……?』
そこで何故、僕が出てくるのか。
『あのねご主人。悲しいけど、ご主人が思うよりもずっと……、リンネーーいいえ。“わたし”は、性根の腐った、汚れた魂なんですよ』
『リンネ……?急にどうしたんだい……?』
リンネは自身の胸に手を当てた。
にっこり笑みを浮かべて言葉を紡ぎ続ける。
『リンネは何も出来ません。当然です。だってもう、死んじゃってますから。でも、死んでもなお、「まだだー!」……って。駄々をこねて。生きた人間にすがって……。今もこの世に留まり続けているんです。それが、“わたし”なんですよ』
『そんなことない……!』
リンネが自分を卑下するなんて、初めてだ。リンネは変わらない笑みを浮かべていた。でも笑っているとは思えなかった。

ーーその笑顔を見ていると、こちらも悲しくなるから。

胸の奥深くを握りつぶされた感覚に、僕は顔を歪めた。
(……リンネは、本当に死んでるんだ……)
初めて見せるリンネのその悲痛な笑みに、僕は、今頃になって初めて、リンネは本当に死んでしまったんだと思えた。
心配する僕に気付いていないのか、リンネは語りを止めない。

『ーーでもね。そんなリンネに、それでもいいと言ってくれた人がいました。そのお陰でリンネは大丈夫になりました。
ーーだから今、“リンネ”はここに居られるんです!』

『……』
『その人は拒絶するどころか、リンネの傍に居て、素敵な名前までくれました』
リンネと名付けた人。
「……それって……」
『知ってますか?リンネは無敵なんです。だって、“誰にも見つけてもらえなかった、留まり続けるだけの地縛霊”は、“リンネ”っていう、“ご主人たちの一員”になれちゃうんですから』

ーー“リンネ”と名付けたのは、僕だ。

『たとえ自分がわからず、何度迷っても、リンネは何度だって戻って来られる。
還ることはできなくても、帰る場所がある。
ご主人が“リンネ”って呼んでくれるから、リンネは“リンネ”なんです』
リンネはまだ笑っていた。今度は僕がいつも見ていた、眩しく輝く、お馴染みの笑顔だ。

(僕が、“リンネ”と。そう呼ぶだけで?
ーー本当に?)

『ね、可笑しいでしょう?貴方が“リンネ”と呼ぶだけで、世界はこんなにも、簡単に、ひっくり返っちゃうんですから』
リンネは自身の「可笑しい」という言葉の通り、口角を上げてにまっと微笑んだ。
『そんな、大袈裟だよ。僕は何も……』
凄いのは僕じゃない。リンネの“解釈”が素晴らしいだけだ。
『ーー“何も”?
“何も”って、何ですか?本当に、そう思っているんですか?
これは……“リンネ”は、貴方が居たから生まれた存在です。あなたが居なかったら生まれなかった存在。ーーそれが“リンネ”です』
リンネは真っ直ぐ、僕を見て、こう言い放った。

『ご主人、あなたがいなかったら……。リンネはこの世には居ません。何も出来ない汚れた魂で居続けるなんて、辛すぎますから。紛れもないあなたがーーそれでもいいって、そう肯定してくれた。だからここに居られるんですよ』

「僕が、そう、“させた”……?」
リンネはしっかりと頷いた。
そんなこと、考えたこともなかった。
何も言えずにいる僕に、リンネはこう言った。
『じゃあご主人。やっぱり何も出来ないリンネは、此処に居ちゃダメなんですね』

「そんなことない!」
『“そんなことない”ーーそうでしょう?』

「え……」
咄嗟に反論した僕に、リンネの声が重なった。
『あはは、やっぱり。ご主人ならそう言うと思ったから』
どこかリンネは満足げだ。
ーーと、ここで僕は、仏教の“人は二度死ぬ”という話を思い出した。

一度目は、リンネみたいに肉体が死ぬとき。
二度目は、自分を覚えている人がこの世からいなくなったとき。

肉体が死んだとしても、残された人々の記憶の中で生き続けるから、二度死ぬというわけだ。
リンネのことを知ってる人はこの世にきっといる。けれど、それが確かめられない今の状況では、存在しないとも取れる。
(そう考えてみたら、僕もちょっとはリンネの役に立ってるってことなのかな……?)
リンネが見る景色は、僕のものとはあまりに違いすぎて、受け入れ難いし、実際受け入れていない。受け入れられない。
だけどーー
(そう思ってくれていたのは……すごく嬉しいな)
『ありがとう、リンネ』

***

ご主人は語り始めました。普段は滅多に晒さない、その本心を。
『急に世界が大変なことになって……でも、僕は、何も出来ない。だから、罪を償うべきだと思い込んでいたんだ』
リンネは、辛くなってしまわないように、そっとご主人から目を逸らしました。
『でも……リンネと話をして、ちょっとーーううん、とても楽になった』
『……!』
リンネは慌てて、ご主人の顔を見ました。
『それは間違ってるんじゃないかって気付いた。何も出来ない人なんていないんだって。……それに、何も出来なかったとしても、それは案外、悪いことじゃないんだって。以前の僕なら、絶対に、こういう風には考えられなかったと思う。
リンネがいてくれたから、お陰で僕はこう思えたんだよ』
『……リンネのお陰で……?』
『そうだよ。それにさ。何も出来ないって決めるのにはまだ早すぎるよね』
『……!』
(ご主人が、珍しく前向きになってる……。リンネのお陰で……?本当に……?)
リンネを置いて、ご主人は語り続けます。
『それで、僕なりに考えてみたんだけどさ。手掛かりを捜しに外へは出られないけから、もう一度、違う視点から捜してみない?』
『……違う視点、ですか?』
『そうだよ。何が嬉しいとか、何が楽しいとか、反対に、どれが嫌い……とかさ。リンネがどう感じるかって、本当の自分を知る手掛かりになるんじゃないかな?』
『な、なるほど……。今までみたいに部屋とか物を調べるのではなく、そういう捜し方もあるんですね……。リンネ、やってみたいです!』
『うん。それなら折角だし、うんと楽しいことを見つけたいよね』
『そうですね』
そしてご主人は訊くんです。無邪気な子どもみたいに。

『リンネが幸せなときって、どんなときなの?教えてよ』

***

『えっと……』
リンネは、意味がわかりませんでした。
第一、リンネはもう、死んでいて。
そういうことを望む時期は……もう、終わったはずで。
それなのに、このご主人は、まるで、
リンネがまるで今からでも幸せになっていいというような言い方をする。
『……リンネが死んでもまだ、ご主人は幸せになれ、って言うんですか?』
『うん』
『だって……リンネは、その』
ご主人は何も言わず、リンネの言葉を待ってくれました。
『もし、リンネが幸せになったとして……それで?だからどうなるんですか?何で最初から、ご主人が幸せになろうとしないんですか?ご主人はご主人の幸せだけ叶えば、それでいいじゃないですか?』

『リンネは!リンネじゃなくてご主人が幸せになってほしいです……!』

リンネはぜぇ、ぜぇ、と苦しくなりました。だって、それは、リンネの、嘘偽りのない、本当の気持ちでしたから。感情が爆発しそうです。ドクドクと脈を打って、今すぐにでも、とめどなく溢れてしまいそうです。

だって、リンネは“その為”に此処にいるんですから。

(それを果たすまではーー死んでも還らない!)

ご主人は、大声を出すリンネに呆気に取られてしばらく黙っていましたが、一言、こう言いました。
「リンネは優しいね」
『優しい?』
どうしてリンネが優しいんでしょうか。
『大丈夫だよ、ありがとうリンネ』
そしてご主人はこう言うんです。

『リンネが幸せになってくれたら、僕も幸せになるから。だから、僕の心配はしないでいいんだよ』

***

『……え?』
意味が、わかりませんでした。
以心伝心を防ぐため動揺を抑えます。心を落ち着けて、情報を整理します。
そしてーーリンネは恐る恐る尋ねました。
『……リンネが幸せになれば、ご主人は幸せになれるんですか……?』
『うん』
『本当に?』
『うん』
『……何で……?』
『何でって言われても……。リンネが幸せだと、僕も嬉しいから?』
『……リンネが幸せだとご主人も嬉しい……?』
(何で……そんなはずない、だって、そんな簡単なことで……)
リンネは眉をひそめました。動揺に、瞳が揺れます。
(リンネは幸せになってもいいってこと?)
いや、むしろーー

そうなることを、ご主人は望んでいる……?

『ーーねえ、リンネ。僕がどういう理由で“リンネ”って名付けたのか知ってる?』
『えっ……?』
ご主人はリンネに話してくれました。”リンネ”という名を与えたーーリンネとご主人が出会った“あの日”の記憶を手繰り寄せながら。
『“リンネ”の由来は輪廻転生という言葉からだよ。リンネが未練を解決し成仏して、無事に生まれ変わってほしいという僕の勝手な願いなんだけど』
『輪廻転生……生まれ変わって、また生きる……』
リンネはご主人の言葉をかみしめました。
『そう。リンネには、宗教や輪廻転生を理解するのは難しいかも知れないけれど……。
結局はね、簡単なこと』
ご主人と目が合いました。
『……どういうことですか?』
『これだけは知っていて欲しいんだけどーーもし、リンネが自分を汚れたって思っていても、もし、本当に何もできなくなったとしてもさ。

ーー僕はただ、リンネが幸せになってくれたら、それで良いんだよ』

ーー感染ると危ないから離れて!

ーーリンネが幸せなときって、どんなときなの?

ーー僕はただ、リンネが幸せになってくれたら、それで良いんだよ。

『……』
ご主人はいつも、“得体の知れない地縛霊”なんかじゃなくて、“仲間”としてリンネと接してくれました。

これはリンネが見つけた、リンネにしか見つけられなかった、ご主人の優しさ。温かさ。

そしてそれは、世界が混沌に陥っても、覆ることはなかった。

(やっぱり、ご主人はご主人だ)
『……ありがとう、ご主人』
ああーーこれはなんて感情なんでしょう?
ああ、ありえない!
でも今だけは。

ーー死んでいてよかった!

『リンネ、今……』
『どうしました、ご主人?えへへ』
リンネは、狂っているかもしれません。
でもそれでもいいのだと思います。心から、そう、思えるのだから。
ご主人は何か言いたげな表情を浮かべていましたが、リンネの顔を見ると、何も言いませんでした。
少しの静寂の後。
ご主人はちょっとだけ、神妙な面持ちでこう言いました。
『……あのね、リンネ。今は、幸せだったときのことを、思い出せないかもしれないけど……』
ご主人が記憶喪失のリンネを気遣って、真剣に言葉を選んでくれている姿に、胸が締め付けられます。
(幸せを思い出せない……か)
リンネはいつも思い浮かべています。
リンネの大切な人のことを。
その人は、顔をくしゃくしゃにして心から幸せそうに笑っています。
(一度も忘れたことなんてないです)
身体が失くなったって、これから先、どんなに嫌なことがあったとしても。
絶対に忘れられない。

忘れたくないから。

(思い出せないはず、ないじゃないですか……)
今ではもう、見られなくなってしまったその笑顔を。

『ーー絶対に、取り戻そうね……!』

『ーーもちろんです。絶対に!』
真っ直ぐ、ご主人を見つめながら。
(きっと大丈夫)
ーーもし、ご主人の言葉が本当なのだとしたら……
ずっと分からず捜し続けていた方法が、こんなにも簡単だったなんて信じられないけれど。
『ご主人!幸い、時間はたっぷりありますよ〜!一緒に、一つ一つ、どんな楽しいことがあるのか、確かめていきましょう!』
『うん、そうだね!』

ーー絶対に取り戻してみせる。

リンネは立ち上がり、ご主人に両手を広げました。
『ーーねえ、ご主人?これからもリンネのことをーー“リンネ”って、呼んでくださいね!』
『あはは、もちろん』
『やっっったーーーー!』
リンネはご主人のもとに駆け寄りました。
『うわぁ!リンネちょっと離れてーー。まったく、しょうがないなあ……』
『だからご主人。幽霊には感染しなーー
……へ?』
ご主人は離れるどころか、リンネに向かって歩み寄りました。

絶対に触れ合えないと知りながら。

生死スイッチ番外編
   半径2メートルの監獄《ラクエン》
                 完

〜おまけの章〜

こちらはもっと生死スイッチの世界観を覗いてみたい方向けのおまけになります。
「生⇄死スイッチ」の世界観を伝えることに特化した、テーマが存在しない「ほぼ会話で構成されたライトノベル」です。
了承してくださる方のみご覧ください。

※番外編は番外編として確立しているので、おまけの章を読まなくとも問題はありません。
※不謹慎な描写を含みますので苦手な方はお控えください。

    では、始まり始まり〜!
        ↓↓↓

「あー!次から次に死人が来やがる!圧倒的に人手が足りねえ!あの世はどうなってんだ!?」
「死人の話によると、新型のウイルスに感染して世界中が混乱しているみたいですよっ?閻魔様?」
「なんだと……?厄介な面倒を起こしやがって!誰が裁くと思ってんだ!簡単にバッタバッタ死ぬんじゃねぇよ!ここはブラック企業か!?あの世の残業でさえ月80時間までだろ!?いい加減ここもデジタル化しろ!」
「ここはブラック企業ではなく地獄ですから〜閻魔様。そんな生温いワケないじゃないですか。延々と苦しみが続くだけですって」
「あークソッ。わかってるよ」
「今日は死人への暴言が止まりませんねぇ。死人だって一応、私たちの子孫なんだから、可愛がってあげてくださいよ〜。はい、よ〜しよし、お前は針山だー!」
「馬鹿か、テメェ。チンタラしてたら余計にアイツのところに行けねぇだろうが……!アイツ、俺らに勘づいて謀ったのか……?
ーーいや、流石に霊力でも新型のウイルスは生み出せねぇか」
「ーー“アイツ”っていうのは、例の?」
「ああ、日本で死んだアイツだよ!報告によると、日本の孤島にいるんじゃねぇかーーだとさ。肉体から魂が離れているにも関わらず、何故いつまで経っても此処に来ない?」
「生前に輪廻転生の知識が無くても、死んだらちゃんと“死者の勘”が宿りますからね?」
「ああ……。この世の摂理で、全ての魂は輪廻転生に従うって決まってんだ」
「魂は例外なく、死後の世界を訪ね、閻魔様と生前の清算をしなければなりませんからね〜。
生前にそのシステムを知らなくても、死後悟るようになってて、死者にのみ宿ります。死んだ後、自分が何処へ向かい、何をすればよいのかを示す役割ーーそれを!デデンッ☆
“死者の勘”という〜!」
「急に何当たり前のこと言ってんだテメェ」
「気分ですよ、閻魔様」
「まあ、つまり、アイツは自分の意志でバックれたって訳だ」
「……ですよね〜」
「それだけじゃねえよ。……アイツはちょっと“変”なんだ」
「変?」
「ああ。肉体を失ったにも関わらず、記憶し、学習出来るみたいなんだ。これは異例のことだ。変死したわけでもなく、ありきたりな理由で死んだはずなのに、だ。……理由が見当たらねえ。それになーーアイツの魂だけならまだしも、肉体も還って来ないんだよ」
「肉体が還って来ない……?」
「変だろ?しかも、ここーー地獄からどう捜しても、死体を感知出来ない。これはもう、直接確かめにあの世へ向かうしかねえよ」
「むむ、そうですね……。このような前例は、私の記憶にもありません。意志の強い死者は厄介です。野放しにしておくと、生者に大きな影響を及ぼすかもしれませんし」
「ああ、それは避けたい……。いや、あってはならないーー絶対に避けなければならないんだ」
「そしたら全責任はこちらに降りかかってきますもんねー……。はい。ご愁傷様です、おめでとうございます閻魔様!パチパチ!」
「何言ってんだ、お前も同罪だかんな」
「嘘ぉ!?」
「何で自分だけ逃れられると思ってんだ。お前も地獄の幹部だろ」
「だって幹部ったって、実際はただの閻魔様の雑用じゃないですかぁ!」
「ああ、お前が生前やらかしたからな。自業自得だ」
「ちぇー!」
「お前、なめた口利いてると刑重くするからな?」
「それだけは勘弁してくださいよぅ!……ねえ、閻魔様」
「うるせぇな?今度は何だっ?」
「その霊の調査って、天使様たちには任せられないんですか?」
「そうだな……。生者保護のため、会いたくねぇが大天使にも要請してみるか」
「……? 助けてくれるかもしれないのに、大天使様には会いたくないんですか?」
「それはーー」

「ーー閻魔様が大天使様と、前世で恋人だったからですか?」

「……」
「閻魔様は生前、その恋人の為に何かの大罪を犯したから、贖罪の為に身体を弄られて、閻魔を継がされたんでしょう?嗚呼、閻魔様は未だに愛しておられるというのに、当の彼女は閻魔様のことを綺麗さっぱり忘れているんですからたちが悪い!嗚呼、可哀想な閻魔様!無自覚って罪ですよね?そうですよね?パンパカパーン!わたしが八つ目の大罪に任命しちゃいます!」
「……それは生前の話で、もう愛してない。仕事に私情を挟むわけねぇだろ。……大体、何でお前が知ってんだ」
「前任の閻魔様から代替わりするときに普通に聞きましたけど。わたしは閻魔様の補佐なんで」
「……あんの野郎。次会ったら殺す……」
「いやいや、もう魂消滅したから会うことはないですって!はははっ!」
「殺し足りんが、とにかく。……アイツとは全然関係ないだろ、その話は。真面目にやれ」
「えへへ!私の好奇心が迷惑かけてすみません!」
「次ふざけたら針山に落とすからな?」
「うー、ごめんなさい……」
「とにかく、だ。アイツの目的と、特異状態の解明の為、あの世へ行くのは必須だ。死者の裁きにかたがついて、人員の確保が出来次第直ちに行う。解明を果たすまでは、今まで通り地獄から定期監視は継続だ」
「はーい」
「あくまでも生者の命か最優先だが、地獄に入りたての奴らがウヨウヨ居る。自身の死を受け入れられず、発狂、脱兎のごとく地獄の秩序を乱す……なんてのはザラだ。今以上に気を引き締めろよ」
「はい。あれ以来の忙しさですよね。ほら、この前の……サードとマーゾ?」
「……まさか、SARSとMARSのこと言ってんのか?」
「そう!それですよ!ほんと、それ以来の忙しさですよね」
「……。そうだな。だから今は、報告を待って、祈ることしか出来ねぇ。アイツの周囲に霊感持ちが現れないことをな。特にーー」
「ーー後天性のつよぉ〜い霊感持ちとか、ですよね?」

「ああ、じゃないと死ぬだろ、そいつ」

「ふふっ!ですよね〜!」
「真面目にやれ」
「はーい!」

***

「余計なことごちゃごちゃ考えずに仕事しろよ!」
と閻魔様は吐き捨てて、どこかへ行ってしまいました。きっと、大天使様のもとへ、交渉に向かったのだろう。
でも、人間(わたしもかつてはそうだった)というのは、「するな」と言われたことをしたくなる生き物だ。
私はふと、生前の閻魔様が犯した、大罪について考えてしまった。
さっき話したときにモヤモヤしていてずっと気になっていた。
そうそう、確かあんな名前だった。ダサいけど、とても興味深いネーミング。
地獄の一部の古株の幹部なら、私と同様、閻魔様の生前を少しだけ知ってる。
けれど、閻魔様が恋人の大天使様の為にどんな罪を犯し、死に、裁かれ、閻魔となったのかーー

ーーその罪の詳細は誰も知らない。

前閻魔様もそれだけは教えてくれなかった。
一体、どんな罪だったんだろう?
そして思った。

ーーもう一回、見られないのかな?と。

(例のアイツは、地獄でも感知が難しい特異な存在……)
そしてその側にーーもう一つ特別な存在があるとするならば、それは可能なのかもしれない。
例えば、データ不十分で、詳細が明らかになっていない、稀有で今も謎に包まれた存在

ーー高度な後天性霊感者が、側に居れば。

(二人になら出来るかもしれない……!)
わたしの全身は、かつて味わったことのない高揚感で麻痺した。わたしの身体を、存在もしない血液が一気に駆け巡るような感覚さえ起こっている。かつてないほどに全身が震えていた。
ーーさあ霊よ、早くその手を汚して!
早く私に差し出して見せてよ!
「ふふふっ!楽しみだなあ!

 ーー“生死スイッチ”!」

        生死スイッチ番外編 ゼロ
                 完


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?