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KIDSじゃなくなった私がSuchmosについて思うこと

 平成生まれ、であることにちょっとした誇りを持っていたように思う。アルバイト先、合コン相手、就職してからは上司やクライアントから「えっ、平成生まれ!?」と驚かれるたびに、私たちは新時代の人間なんだとよくわからない特別感を抱いていた。

 しかし、平成は既に29年を迎え、平成元年生まれの私は27歳になっていた。仕事柄、年上の方と接することが多いので若手扱いされるものの、もう立派なアラサーだ。キャリアアップしたり、結婚や出産をしたりと、私の何十歩も先を進んでいく同級生たちの後ろ姿に焦りを覚えていた私に、決定的な衝撃を与えたのが1冊の雑誌だった。

 SWITCH2月号、特集は「THE KIDS are Alright」。巻頭50ページ以上にわたり、今やユースカルチャーの寵児と言っても過言ではないSuchmosに迫った意欲作だ。SuchmosのメンバーはベーシストのHSUのみ89年生まれだが、その他は全員90年代生まれだ。同誌の表紙やグラビアを撮影した、フォトグラファーの奥山由之も91年生まれ。続く第2特集の「BORN in THE 90’s」では、90年代生まれの若き表現者たち8名をフィーチャーしている。読み終わって、私はどうあがいてもこの枠に入ることはできない、もうKIDSではない、ということに打ちのめされた。そもそもアーティストでも芸能人でもない私が枠に入るも何も、という話だが、とにかく一種のステイタスとも言えた「平成生まれ」が途端に色を失った。新時代がやってきてしまった、と思った。

 インタビューの端々から感じられるのは知性とセンスと反骨精神。クールで斜に構えて見えるのに、音楽には真摯なところがなんともずるい。どんだけ格好良いんだよSuchmos、と27歳の私はぶっ倒れそうになる。すぐに「ゆとり」だとか「近頃の若いモンは」だとかで私たちを簡単に一括りにする大人が大嫌いだったけど、彼らの気持ちが少しだけ分かってしまった。健やかな肉体、新しい感性、無限の可能性…。年を重ねるうちに失われていくその全てが、時として無意識な暴力となりうることを若者たちは知らない。「ゆとり」も「近頃の若いモン」も、大人が大人を守るための魔法の呪文だったのかもしれない。

 正直、Suchmosのことは「これだけ流行ったら今さら聴くのもなんだか恥ずかしいな〜」と思っていたし、Twitterには「○○なやつ もうGood night」大喜利が溢れていたので、なんとなく手を出しづらい存在だったが、SWITCHを読み終わったその日に渋谷TSUTAYAに走った。
 お目当てのセカンドアルバム『THE KIDS』初回盤は、発売日から2日後だったにもかかわらず完売。リサーチ不足のせいでAmazonでは定価より2000円以上高値で発売しているものを掴まされてしまい、慌てて返品した。持っていた『LOVE&VICE』を聴いて気を紛らわせようとしたが、手に入らないと思うと余計に欲しくなってしまう。数日後、普通にタワレコで売られていたので無事にゲットできたものの、メルカリに溢れる大量の出品を見てなんだか冷めてしまった。そこでは、購入者特典として封入されていたライブツアーの二次先行抽選シリアルナンバーが抜き取られた初回盤や、その逆でシリアルナンバーのみの取引がかなりの高額で行われていた。
 勢いのある証拠だとか人気者の宿命だとか割り切ってしまえば良いのだけど、まるでアイドルのようなもてはやされ方にどうしても違和感が拭えない。才能のある若者たちが消費の対象になってしまった、そして私もその熱狂に加担した立派な一員なのだ、と思うとなんだか落ち込んでしまった。せっかく買えたアルバムもまだ2回しか聴けていない。

 職場にSWITCHを置いていたら、同じ部署の女性2人から「松井さんもSuchmos好きなんですか!?私も!!」と話しかけられた。2人ともかなりのYONCEファンのようで、しきりに彼をセクシーだと褒めていたが、私は曖昧に笑ってやり過ごした。
 こんな人気の出かたをSuchmos本人はどう思っているのだろうか、なんて余計なお世話でしかないだろう。THE KIDS are Alright、子供たちは大丈夫。この流れをモノにして、スターダムを一足飛びで駆け上っていくはずだ。どこまで人気が出ても彼らはただ好きな音楽をやるだけだし、それを聴いた1人でも多くの人が、歌ったり踊ったり、救われたりしたらいいと思う。私はまだ、熱狂の行方を横目に、彼らのアルバムとじっくり向き合うタイミングを窺っている最中だ。

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