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走れ、おれ 28歳、売れてないバンドのベーシスト、主な収入源はコールセンターでのバイトの僕にとっての、日々のランニング

#ランニング #ナイキラン #エッセイ #打倒5月病 #cakesコンテスト

トレーニングウェアに着替え、気合を入れるために大きく息を吸い込み、ゆっくりと口から吐き出す。
イヤフォンを装着し、THE STOOGESのSEARCH AND DESTROYをiPhoneでかける。
家の中の狭い空間で腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットを2セットずつして、水分補給。
ナイキのランニングシューズを履き、家を出て、井の頭公園へと続く道の方へと向かう。
井の頭通りにある信号のところで、足を軽く伸ばす柔軟運動。
信号が青になると同時に、ナイキランのスタートボタンを押し、走り出す。足取りは重い。
信号を過ぎた後、住宅街を200メートルほど進むと、井の頭公園に辿り着く。
そこから時計回りに大きく公園を一周するのがランニングコースだ。
途中には階段のアップダウンもあり、これから走る3.5キロの道のりを、果たして僕は止まらずに走り切れるのか、という不安も出てくる。
初めの1キロくらいは、足の筋肉がまだ固まっていて重く、中々前へと進まない。
だがIggy Poppの声が僕を励ましてくれる。お前ならできるぞ。
そうやってどうにかペースを落とさずに1キロ走った時、僕の耳元に女性の声が聞こえてくる。「1キロ到達。平均ペースは、5分25秒です。」
この機械的な声からでも少し元気を貰えるほど、自分の体力に対してまだこの時点で確信を持てていない。
それでも走り続ける。自分で自分にした約束だからだ。自分から破ることはできない。
次第に足取りは軽くなり、初めに感じていた太腿の張りも消え、ベースの練習のせいで常日頃からある首関節の重みも心無しか軽くなってくる。
はじめは驚いていた心臓も、次第に走っていることに慣れ、どんどんと鼓動を速めていく。
肺活量も増えていき、息苦しさがいつしか運動をすることの心地よさに変わっていく。
そのころ、またもや耳元の女性が僕に語り掛ける。「1.75キロ到達。あと半分で目標達成です。」
しっかりと半分走り切った。少し自信が芽生えて来る。よし、あと半分だ。いけるぞ。
ここら辺になると、意識も明瞭になり、周囲の景色や人々の姿が少しだけ視界に入って来るようになる。
ただ、もっぱら走るのは夜遅くなので、顔の表情までは見えないが。
それでも、仲睦まじく寄り添いながら夜の公園を歩くカップルや、ベンチでくつろぐカップル、喧嘩してそうな雰囲気のカップルの姿を確認できる。そう、夜の井の頭公園はカップルだらけなのだ。
そんな中を、真面目かつ必死な顔で懸命に走る。
今日一日の自分の行動を振り返りながら。
次のライブの事をイメージしながら。
隣を通り過ぎる人からの、僕の左足のタトゥーへの視線を感じながら。
その頃ランニングコースの右側には、公園の中にある小さな神社が登場してくる。
いつも参拝したいなと思うのだが、夜の神社はあまり良い縁起をもたらさず、神社は太陽が出ている間に行くべきだと以前友人から教えてもらったので、心の中で挨拶だけしながら走り抜ける。
また耳元の女性が語り掛けてくる。「2キロ到達。平均ペースは、5分15秒です。」
よし、予定通り走る速度が上がり、順調に道のりを進んでいるぞ。
ここらへんで例のアップダウンが登場する。
ここだけ森の中のようで、地面は土であり、そこを走っていると少年時代の気持ちを少しだけ思い出す。
だがきつい。登りは特にきつい。それでも気持ちは切れない。ここを走り切った自分は、ここを走らなかった自分よりもきっと強い人間になれるはずなんだ。
森の道を過ぎると、一瞬だけ車が通る道に出て、そこからまたすぐに別の入り口から公園へと戻っていく。
アップの後はダウンだ。
ダウンは気持ち的に楽だ。スピードを上げ一気に走り抜ける。
階段を下り終えると左に曲がり、公園の中で最も樹が茂っているゾーンへと突入する。
ここらへんは鬱蒼としていて暗い雰囲気だが、遠く右前方に見える公園中心にある橋の明かりが見え、その光が美しくも感じる。まるで黄泉の国から桃源郷を見ているようだ。
「3キロ到達。平均ペースは、5分5秒です。」
しっかりとペースアップ出来ている。ここまでくればあとわずかだ。
公園中心にある橋の横を走り過ぎ、またもやカップル達がベンチに座るその隣を、真剣な顔した僕が走る。
音楽を聴いているから自分の呼吸の音は聞こえないが、カップルにはきっと苦しそうに聞こえているだろう。
あんたらがいちゃいちゃしている間におれは自分を高めるために走っているんだ。この努力、羨ましいだろう。ふふん。
うそだ。そこまで卑屈な性格ではない。寄り添うカップルと真剣に走る自分というシュールな対比に少し自分でも面白さを感じるくらいだ。
そんな雑念が生まれだす頃、体力的にも厳しくなってくる。
違う。ゴールが近づいているからこそ、気持ちに隙が生まれ、それが体力的な疲れだと感じてしまうのだろう。
でもきつくてもあと少しだ。
最後まで走り切ることができるという確信が生まれ、ここから限界までペースを上げていく。
最後の50メートル。ここでこの日最速のダッシュだ。全速力で走り続けられた、サッカーをやっていたあの頃の体を少しでも取り戻すために。
いや、過去の栄光にすがりたいわけでも、過去の自分に戻りたいわけでもない。
未来に向かって走るのだ。まだ見ぬ景色を見るために、僕はまた今日も走る。

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