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87年も生きて最後にやってること

レンタルビデオ屋でのフリーター時代、87歳の老人がほぼ毎日「孫×ババア」もののAVを借りにきていた。年齢がわかる理由は会員カード。会計の際にピッと通せば、店員側の画面に名前と年齢と住所が表示されるのだ。そしてその老人は毎回ぼくにボケとか吐き捨てて、大抵8時間とかの長尺エロビデオを借りていくのだった。

ここからは想像だが、ビデオは多分しっかり8時間再生していたと思う。コスパも良いし、他にすることもない。趣味もない。話し相手も居ない。8時間ボケーっと口をあけて、ババアが孫役に犯される醜態を眺めていたんだろう。そこに中身や意味はない。

それは、本人のすむ世界では最幸の余生だったのかもしれない。ただ、ならば良いとは思わない。だって87年生きて結局最後にやっているのがそれって、あまりに無様じゃないか…?

それも20代の自分だから言えることで、もちろん87歳からの人生の見え方など知る由もない。ただ自分は、87歳になっても、常に何処かから何処かへと移動し続ける、気高い人間でありたい。

老人になるというのはわからない。年を取ることが醜いことだと言い切る知人がいたが、案外納得できる部分も多かった。ただまだ自分には老人を切り捨てる思い切りはない。なぜなら老人は誰の延長線上にもあるものだから。

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