ツァラトゥストラはかく語りき

人は経験でしかものを語れない。
つまりそれは経験していない言葉には実感が伴わないからである。

とはいえ、経験しないことでも語らねばならないこともある。
特に私は、20代の半ばを小学校、中学校の講師として過ごした。
また、同時にシングルマザーでもあった。

私の近辺には教員がたくさんいた。というか親族中が教員だらけだ。
だが、シングルマザーはいなかった。

だから誰も私に経験を伴ってアドバイスできるはずはなかったのだ。
だがしかし、両親は教員として多くの親を見てきている。
そのため、一般化されたシングルペアレントの家庭、その子どもの事例に合わせ、様々なアドバイスをしてきた。

それは、親心であり、世間の声だったのだ、と今では思う。
今では思うが、当時、当事者である私には届かなかった。
正確にいえば届いてはいたが、
「どうせ本当のところの気持ちは誰も理解できない」
という思いで満たされていた私の心には響かなかったのである。

だからこそ、経験の伴わない事柄について、当時の私は教え子に押し付けないようにしようと誓った。勉強は教えられる。経験したからだ。
学校で起こるいさかいや揉めごと、トラブルや悩みなども経験を伴ってアドバイスできることは確信を持って指導した。

しかしながら、経験のないトラブルも起こる。子どもだって時代が変われば変わるのだ。だからこそ、彼らの声をよく聞くようにした。
納得がいかない様子であれば、それにとことん付き合う(もちろん勤務時間内でだ)。子ども同士で解決しないようであれば、他の教員や保護者にも問いかけ、とにかく時間はかかっても「落としどころ」を見つけるようにしていた。
加えて、子どもたちに「みんな仲良く」とは言わなかった。
私が小学校で担任したのは皆、低学年(1~3年生)だったが、彼らに

『みんなと仲良くしようとは言わない。それは私でもきっと無理。けれども縁あって今年同じクラスになったのだし、一生一緒にいるわけでもないのだから、違う人間であることを理解してそれなりにうまくやっていこう』

という内容の話を、もっと噛み砕いて説明した。
これが良かったのかはわからない。でも大きなトラブルもなくみんな笑顔で1年を過ごせていたように思う。

また、当時の私は『小学生の親』ではなかったので、それはつまり保護者の方々からすれば、よっぽど私の方が経験不足で知識不足なのである。
彼らは親として悩み葛藤し、子を愛しながらも個人的な思いや、不満も抱えていた。もちろんそれだけが全てではない。
面談や懇談会で相対する機会があれば、講師である私は子どもたちの話をする。それが仕事だから。

だが、時として保護者は自分の個人的な思いを語りたい場合もある。また、それが子どもを養育する上での枷になっていることも多い。
シングルマザーの私は、「経験から」そのことは知っていた。

小学生の親としての思いを聞き、また保護者自身の葛藤を聞き、受け入れ、時に個人的な意見を述べ、知らないことは質問し、「いつでも話し相手になりますので、ご連絡くださいね」と伝えていた。

私の講師生活は3年半とあまりにも短い。学校という組織に自分は合わないことに早々に気がついたため、また、世襲のように代々教員が受け継がれていく一族から外れたいという反抗期の子どものような反発心もあったからだが。

ただ、この3年半はとても有意義な時間であった。
組織というものが何かを知り、親というものが何かを知り、教員という存在が何者であるかを知る機会になった。そしてまた、幼少〜20代の半ばまで自分は社会不適合であるという意識のもと育ってきたが(注:それを悪いと思ったことは一度もない)、ある一定の社会性が自分にもあることも同時に知ることができた。

なお、シングルマザーとなった理由だが。これは単純だ。
世間的には大変よろしくない経過を辿った出来事なので多くは語らないが、若気の至りである。

ただし、子を産もうと決めた際、最終的にシングルマザーになる決意も同時にしていたこと、極めて空想的ではあるが重大な決断をする際に必ず夢枕に立つ亡き祖父がうたた寝た私の側で「産んだ方がいい」といったことは、その後今に至るまで私を支えている。

なお、現在は、シングルマザーを卒業し、ステップファミリーとして第2段階を歩んでいるところである。

折に触れて思うが、人生とはまあ上手くはいかないし、予想は簡単に裏切られる。しかし、それがおもしろい。おもしろがれるようになったとも言える。

今年の自粛生活では、各家庭においてそれぞれの家族の在り方が浮き彫りになっているとよく聞くが、それは結局のところは日々の積み重ねの結果だろうと思う。いつも思うのは、今が全てではないということだ。

私の人生は昨日まで続いてきたし、明日からもまた終わりまでは続いていくだろう。だからこそ、今日という今をしっかりと感じ取り、今目の前で起こっていることに真摯に向き合っていきたい、と思うのだった。

#古典的 #ではない #きっと #一般的 #でもない #元シングルマザー #ステップファミリー #母 #考える葦 #自粛生活 #誰か #の #生きるヒント #になれば #幸いです #自己紹介

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?