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80歳の老後破綻を目の当たりにして切ない④

3万円を貸した後、、、
そのおばあちゃんからの連絡はしばらくありませんでした。

今まではわりとすぐに返してくれていたのが途絶えたわけです。
いよいよ首がまわらなくなってきたのかもな。

と思いながら、次に連絡があったらもうちょっとしっかり話を聞こうと思っていたし、このまま連絡がこなければそれはそれで、もういい。とも思っていました。

4ヶ月くらい経った頃でしょうか。
おばあちゃんから電話がかかってきました。

どうにかお金を工面したんだなと思ったら・・・

「ほんとごめんね。ちょっと今困っていて3万でも5万でも・・・・」

・・
・・・

あ〜〜〜、とうとうここまで来たか
と思いました。

前の借金を返せず、その上で重ねての借金のお願いです。

ここが縁の切れ目になっちゃうのかな〜〜
と悲しい思いになりながら、会う約束をします。

彼女の話すストーリーはこうです。

姪っ子さん、どうやら儲け話に乗り、300万円を投資?ネットワークビジネス?何か分からないものに突っ込んだけど、全く回収できずに生活ができなくなっている。
それでひとり暮らしでうつ病でもあり、仕事もまともにできてない姪っ子がかわいそうで工面してやった。

そして双子のひとりが怪我をして、勤める障害者の作業所を休んでいる。
そのお給料も入らなくなったので余計に苦しい。

ここまで聞いてぎょっとしました。

作業所のお給料にあたる工賃は高いところでも手取り数万円程度のことがほとんどです。
障害のある孫の作業所の工賃すら生活費にしっかり充てないと暮らせないのか・・・・

やはり、あの頃の羽振りの良さは財産をどんどん切り崩していたんだな。と。

もちろんこの話のどこまでは本当かも分からないし、そもそも、そのくらいのことで暮らしが破綻してしまっているというのは既に資産が底をついているということです。

あの暮らしが当たり前になってしまった後に生活レベルを下げるというのは、並大抵の努力では無理だと思います。

彼女の買うお肉はデパートの高級肉店のもの。
おやつはデパ地下だったりお取り寄せ
手土産に持たせてくれるものも1000円以上は軽くするものばかり。

福祉のサービスは使ったことがないとも話していました。
頭をさげて手続きをして、おかみの世話になるなんて。。。って感じなのかもしれません。

前回貸したお金は3万円。

私は心を決めました。

これまでおごってもらったとか服をもらったという恩ではなく、
粋で愛情深く、大好きな彼女への感謝もこめて、ここで最後に3万円を渡そうと。

バカですかね?

でも、合計6万円。これで我が家がひっくり返るわけではない。私の個人の財布からどうにか出せる金額。
これ以上のお金は不可能であること。
ここまでの6万円は正直、あげてもいいと思ってる。
だから返してくれるならいつでもいいと。

私はふたりの障害児を抱えて夫婦ともに個人事業で必死に働いている。
冷たいようだけど、あなたの姪っ子さんは私にとっては知らない人。その人のためにお金を出すことはできない。

お金の面ではここまでしかできないけど、今後困っていたら一緒に福祉事務所にいくなり、どこかに相談にいくなりはいくらでも手助けする。

縁を切るつもりは全くない

そんなことを話して最後の3万円を渡しました。

彼女はとても心苦しい顔をしていました。

80歳になった彼女。こんな思いをしたことはこれまでなかったのではないかと思います。実はそうでもないのかな?分かりません

でもね、実は彼女の孫たちを育児放棄した娘
そして孫たちのお父さん、そのご両親、どのどちらにもお金のことで泣きついてはいないのです。
さらに言えば双子の障害のない方の孫はもう成人して会社勤めをして、一緒に暮らしています。その孫にも相談していません。

それはなぜか。。
全部プライドなんですね。

絶対にそういう弱みは見せられない
と言っていました。

いやいや、私は????と苦笑いなんですが。

そういう面でも本当にプライドとか見栄って人間にとって罪なものだな〜〜としみじみ思います。

その日はお金のことなど色々話しました。

合計6万円の借金を来月から作業所に復帰する孫の工賃から月2万円ずつ返す

と自ら約束して帰っていった彼女。
それを聞いただけでも私は胸つぶれる思いなのですが。。。

その後はというと、、、

約束した「来月」には連絡はありませんでした。
2ヶ月後に
「一回で2万円ずつなんてあなたもめんどくさいでしょ、来月まとめて4万円返すね」
と連絡。。もう支離滅裂。

そしてその次の月は連絡なく、2ヶ月後

「年内にどうにか2万円お返しします」と連絡。
「大丈夫なの?」と聞くと

「手元に置くと使っちゃうから」

この言葉がすべてを表していますね。

先日2万円を返してもらいました。

そのときに手渡されたのは、デパートの包装紙で包まれたいちご。
でも中のいちごは明らかにデパートのものではなかったのです。

そしてもうひとつ。
粗大ゴミの処理券も「使って」と渡されました。。。。。。
なぜ?って感じですが。

家中みまわして、何か渡せるものはないかと探した彼女の姿が想像できて涙が出そうでした。

人生の終わりに近づいている80歳にして、贅沢して来た暮らしに限界が来て、金策に走る日々。
それでも見栄やプライドを捨てきれない苦しさ。

私はFPの勉強をして、暮らしをミニマル化し、可能な限りコンパクトな暮らし、そしてその時々の身の丈で暮らしていく術をこの10年くらいで磨いてきました。

もともとはとても裕福とは言えない家庭で育ち、成人してからもマネーリテラシーもない状態で暮らしてきましたが、だからこそ、いつどうなるか分からないという意識は常にもって生きてこられたのかもしれないです。

世の中の
「これいいよ〜〜。買って〜〜」
「これおすすめ、どう?」
「これ持ってるとまわりから一目置かれるよ」
みたいな宣伝文句に惑わされることが減っています。

宣伝文句には心は動きますが、
「本当にいるのか?」
とじっくり検討できるようになっています。

だって、あれだけ捨てた家の物たち。
もとはと言えば夫婦で稼いだお金で買ったものたちです。

結局買ったのに値段相応の使い方をできずに存在も忘れ去られていた物たちです。
物にも悪いし、お金にも悪い。環境にも悪い。
そしてその物が占める家の面積は家賃に通じるし、生活スペースを狭くもしてしまう。

そんなことを痛感します。

物だけではなく、今回のおばあちゃんのように
見栄やプライドなどで身の丈以上の暮らしを続けている人って、家にものがあふれていて、片付かず、家が心地よくないので余計に外に視線が向いてしまう気がします。

自分と自分の大切な人、そして暮らしていく環境。
それを第一に大切にする。
そこに一番注力していく。

それを叶えるためにどう働く?
どうまわりと付き合っていく?
何を持って何を持たない

そしてそして。。。

自分のご機嫌は自分で取る
それは物ではない

その自分ご機嫌力こそ、「幸せ」に直結するな〜〜〜

と今回のことで感じたのでした。

残り4万円は・・・・返してくれた方が彼女との縁が切れないからその方がいいけど。そうじゃなかったら残念だけど彼女との縁は切れてしまうのだろうと思います。

でもでも。。。前のように屈託なく付き合える関係ではなくなってしまったな〜〜と思うと残念でなりません。

これがお金の貸し借りのよくないところですね。

お財布をどこに置いたか分からなくなっちゃって。。。

お金持ちの友人からそんな連絡があったらあなたなら断れますか?

私は次からはこういう時、どうするか?
しっかり考えておこうと思います。

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