見出し画像

2023/03/05@Korea

気がつけば3月である。
2月は短いので、より月日が早く流れる感じがする。
日本では3月は卒業シーズンであるが、韓国は3月から新学期である。

金曜日の夜、仕事を早く切り上げて건대입구(コンデイック、建大入口)で夕食をとった。
飲食店街は若者で溢れており、明らかに未成年と思われる少年たちが道に屯し煙をくゆらせている。

大学も新学期がはじまり、学生たちはさっそく飲み会で忙しいようだ。
夜も早い時間から、道端に座り込んで俯いている女性がいる。
日本の大学でも新歓コンパでの急性アル中事件はしばしば報道されるが、ここでももちろん酒にまつわる事件事故は多い。
アルコール度数が14℃ほどある소주(ソジュ、焼酎)をショットグラスでガブ飲みしたり、ビールに混ぜてイッキしたりするので、酔い潰れたりトラブルが起きたりするのは至極当然である。

この日の夕方、住まいからほど近い鉄道駅の車輌ないで刃傷沙汰があったらしい。
車内での通話がうるさいと注意された女が刃物を振り回し、数人が負傷したのだが、女の体内からは薬物が検出されたとのこと。

土曜日は映画を二本鑑賞。
「ヘルドッグス」と「ヤクザと家族」である。
特に観たいものがなかったのでNetflixのトップに出ていた前者を観て、それが微妙だったので後者も鑑賞したのである。

「ヘルドッグス」に関してはよくあるヤクザ映画で、岡田准一や坂口健太郎が格好つけているのが格好よかったのだが、セリフが聴き取りにくいという日本映画によくある悪癖(と僕は思っている)と、ヤクザの口から発せられているとは思えぬポエティックなセリフ回しが今ひとつであった。

「ヤクザと家族」に関しては衰退してゆく地方都市においてヤクザもまた厳しい生存競争に晒されるという話であるが、家族というテーマについてはそこまでしっかり描かれてはいなかったように思う。
様々なヤクザな生き方をする登場人物が世間から阻害され、その煽りを食う形になったヤクザの家族や周辺人物たちもまた苦しむという構図なのだが、彼らの「ヤクザとしてしか生きられなかった」が故の結末にどこまで感情移入できるかは、「なぜヤクザとしてしか生きられなかったのか」という部分に帰着するのではないだろうか。

そして日曜日。
部屋を掃除し洗濯機を回し、昼食をとる。
スパゲティのソースが脂っこすぎて何となく胃がムカムカするので、散歩に出る。

寒かったこの国にも漸く春が訪れたようで、気温は15度を超えている。

カフェに入り、読書をする。
気になるのはいつものアレである。
はっきり言って、この国の人達は貧乏ゆすりが激しい。
席が揺れていると思ったら、案の定隣の若い男性が貧乏ゆすりをしているし、目の前に座った女性も膝をガタガタ震わせている。
大袈裟でも何でもなく、衆人環境で貧乏ゆすりを目撃しない日はない。
これは一体なぜなのか。
良し悪しではなく、数値的な根拠はないが貧乏ゆすりをしている人の数が日本より遥かに多いのは間違いないと思う。

ま、個人的には気になるからやめてほしいけどね!