大丈夫か。

母が亡くなる少し前、私はお世話になった中学の頃の担任の先生に会いに行きました。

姿を見ると、私はすぐに先生のもとに。

「大丈夫か。」

「体は大丈夫ですけど心が大丈夫じゃないです。」

私はすぐに答えた。

当時、母の容態が思わしくなかったこともあった。

先生になら、気持ちを伝えているということに気づいた。

またある日、エレベーターで一緒することがあった。

その時も、先生から、「大丈夫か。」と私にお声をかけてくださった。

私は、「まだまだダメです。」とまた素直に答えている自分に気づいた。

とある飲み会で私が1人寂しくしていると、先生はかけよって私に話しかけてくれたり。

演奏会前日、いてくれてよかったと声をかけてくれたり。あれは本当に私の心を少し軽くする一言だった。実は不安でしょうがなかった。自分はいてもいいのだろうかとも思ったことがある。



伝えるということは、「聞く」ということ。

ブログを読んでいただけるとありがたいです。

兄の葬儀の準備の時、こんなことがありました。

いくらファクト(事実)を伝えても話を遮られるのはどうしてでしょうか?

私の伝え方がいけないんでしょうか?

するとこんなアドバイスが。

誰に対してですか?

結構誰でも。

とっても簡単です。相手の話は聞くものです。相手が必要としている時に伝えてあげてください。

聞くことで伝えてください。

相手が必要としている話なのかどうか、考えてみてください。押し付けになっていませんか?

自分が相手に押し付けていませんか?そこが大事です。

自分が相手に押し付ける、どういうことですか?

相手に遮られる原因のことを言っています。

伝えるのではなく、まず聞くことで伝えるようになるのがいいかと思います。

相手にとっていらない情報なのに「自分の話を聞いて!」が続くとその方も疲れてしまいます。自分本位になっていませんか?

そして、話が長くありませんか?そのファクト(事実)は発見に満ちたものですか?

この辺りを再確認してみてください。


このアドバイスを聞いて、私は「聞く」ということをとことんしてみようと実践をしている。

伝えるタイミング、これも重要ということ。


私は感じた。兄の葬儀の時。人は、皆「自分のこと」にしか興味がないということ。

そして、押し付けをしている、ということにも気づいた。

相手のいうことを否定すると、とことん否定をして、論破ムードに陥ってしまうことがある。

そうなってしまうと、自然と上下関係が生まれてしまう。

否定する人が上、みたいな。

コミュニケーションが対等でないと何も生まれないと私は考える。

「否定をしない」

これが大事なことと思う。

いろんな引き出しを用意しておいて、相手の話に乗るように伝えてあげたらいいのでは、とも思う。

時と場合によっては、その空気を変えるように発信することが必要であることも添えて、今回のnoteを締めることとする。





何かいいものを食べます。生きます。