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「ん?」

「変わりましたね」「変わったなぁ」

そんなことを言われたり、自分でも思うようになった。

このコロナ禍の中でも、私は楽器を、トロンボーンを吹くことを諦めなかった。

家で吹くこと、それから何よりレッスンの時間がとても充実していた。練習しよう、そう思う気持ちが私を支えていた。


ここのところ、異性に声をかけてくれることが多くなった。

同級生も嬉しかったし、それ以外にも。話を聞いてくれることがなかった私なのでそれだけで嬉しいこと。

「メガネがかわいいね」「(若い頃の)お母さん美人だね」素直に嬉しい。むしろ、もっと言って欲しい。そう思えるようになってきた。

中には、私を飲みに誘ってくださったり、(元々あんまり飲めないのでお断りしました)お出かけに誘ってくださった方(予定があったのでお断りしました)も。

コロナ禍なのに。



「褒めること」

このnoteにたどり着いたあなたはどうだろうか?他人を褒めるということがあるだろうか?

「いい音してますね。」先生に言われたことがある。「褒めること」を文化にしたいとも言っていたことが私は印象的だった。

私は、「本当?またまたぁ。」なんて思ってしまうタイプ。私なんか、と思ってしまうことがあった。

今回、改めて自分の(トロンボーンの)音を撮って聞いてみた。何度も何度も。

これは、コロナ禍だからじっくりとできたことでもあったのかなぁと1年経った今となって思う。結果的には良い方向であったことは間違いない。

どういうことかというと、「ん?」と引っかかるようなものを感じた。自分の音に対して。

「あ、私こんな音出るんだ。」

どんな音なのか言葉にはできないのだけど、私の気を引いた。自分にしっくりくる、と言ったらいいだろうか。今までの私にはない音だった。

きっとこういう音が、「いい音」なのだと思う。大きな気づきだった。


楽器も新しく買った。マウスピースも買った。

また音色が変わった。私は先生に最初に聴かせたいと思った。感謝の気持ちも込めて。

「艶が出てきましたね。」「いいですよね。この楽器。」

空気の入れ替えをしつつ受けたレッスンで先生は私に言った。

「いやぁ、楽器で変わるんだったらみんなそれ買うよ。」

「ん?どういうこと?」

自分の中で、?がついていた。その日は疑問が残りつつ家に戻った。


また練習を重ねた。

不思議に思うことがあった。

いつものように音出しから、基礎練習をしていた。

「ん?」

あまりの心地よさに安心している私がいた。

私は、自分自身の音に癒されていたのである。

このことを話すと、先生は「すごいですね。」と褒めてくれた。



また、さらに練習を積み重ねた。

トロンボーンは金管楽器。息を吹き込んで音が出る楽器。

腹式呼吸、なんてことを言われる。すごく簡単にいうと息をするとお腹が膨らむ。プロの演奏者さんの中でも、まずはブレスの練習をしてから楽器を吹く、という方もおられる。ブレスだけの教則本なんかもあったりする。

しっかりとブレスをすると、汗が出てくることがある。

久しぶりに会ったメンバーに痩せた?と声をかけられた。体重をいつも測っているというわけではないけれど、服のサイズ的なものが少し緩くなっていたことに気づいた。

管楽器を演奏されている方は経験ある方がおられるかもしれない。


梅雨のある日のレッスンのこと。先生から簡単なデュエット譜を使ってデュエットをしませんか、と言われてデュエットをした。レッスン時間の最後10分程度のことだったので多少疲れが残っていた中もあったせいか私はついていくのに精一杯だった。

数ヶ月後、今度は私から思い切って先生にデュエットをしましょう、と声をかけてみた。

曲はポップス。一つの譜面を2人で見て音楽を奏でた。パートも上か下を私に選ばせてくれた。

うまく行ったというわけではなかった。それでもハーモニーがうまくあったところが少しあって嬉しかった。

「ん?」

若干緊張した中でも、安心している私に気づいた。

そして、楽器を吹くことがより楽しくなったと同時に、話すことも楽しいと感じるようになっていた。この感覚が何よりも嬉しい出来事だった。

なんだろう、カウンセリングを受けているかのようにも感じた。

レッスン後は、いつも元気になって帰ってきている私がいた。

楽器を吹くことはすごく楽しいことというのは変わりはなくて、レッスンの日はそれ以上に楽しみだった。

それでも、「今日はちょっとしんどいな。」と思う日にレッスンがぶつかってしまった日があった。

いつもと違う私の様子に気づいた先生は「どうしたの?」と聞いてくれた。

そういう「しんどい」ということも音に乗ってしまう。バレてしまう。

私がしんどい、と思っていたことを話すと、「僕ならこうする」と懸命に対処方法を伝えてくれた。ひとつひとつ丁寧に対話をしてくれた。そして、まっすぐに向けたその真剣な眼差しを、私は真っ直ぐに受け取った。

話を聞いてくれたというだけでも私は嬉しかったし、何より少しスッキリした気分になっているのがわかった。

レッスン自体はもやっとした感じにはなってしまったが、終わった後はなんだか心が晴れたような気がした。

「ん?」

これは、カウンセリングなのではないかと感じてしまった。

確実に、元気になっている私に気づいた。これはコロナ禍の中だからこそ余計に感じることなのかもしれない。


さらに、様々なプロの音を直接聞くようになった。

演奏会に足繁く通ったり(群馬県を知るということにも繋がり)、また配信アプリを通じていろんな演奏者を知ったり(楽器を知るということにも繋がり)。配信に関して言うと、特に木管楽器、弦楽器などは知るきっかけになった。魅力を感じることができた。

配信を通じてではあるがいろんなジャンルのトロンボーン奏者の方と繋がることができた。メロディを奏でれば美しいと感じたし、アンサンブルではハモリやメロディの混ざり合う感じがいいなと感じた。皆それぞれにトロンボーンらしい音をしていて、改めて魅力を知ることにもつながった。とても大きい。

また、クラシックを少し聞くようになって、自分の中の音楽の幅、というのか。広くなってきたようにも思う。まだまだ自分の体に取り入れることが必要なので、たくさん聞くことをいろんなところでできたら、と思う。

今まで自分のハマる音楽が限られてしまっていたというか。

どっちが上でどっちが下、とかはないとは思うけれど、ポップスやジャズも音楽だということ。でもまだまだ私ができること、やらないといけないことがたくさんある。(これは配信であるライバーさんがおっしゃっていたことでもある。)

「聞くこと」。音楽にとってもまた、最重要なことと感じる。私は諦めずにやっていこうと思う。



今、私は一番いい音を出している。自負がある。自信にもつながった。とても嬉しい。

自分のことが好きになった。好きになれたというか。受け入れたというか。こういう感覚は今まで感じたことがなくて。初めてのことで少し戸惑いさえ感じることがある。

トロンボーンを吹いている私が好き。何よりトロンボーンが大好きな楽器になった。これはこれから変わることがない私の事実。

中学の頃、仕方なく選んだ楽器ではあった。だが本当にトロンボーンでよかったと心から思っている。

心からこんなふうに思うことができて、私はとっても幸せを感じている。

たった一つの出会いからここまで自分が思い、行動し、変わるとは思わなかった。

今までにはない経験をさせてもらっている。初めてのことなのでここから自分がどう次に行動していいのかが分からなくなっていることも事実。


トロンボーンを通じて音楽を知り、自分を知り、また磨いてきた。結果、自分を見つめることにもつながり、大事にしたいと思うようになった。もっと自分を伝えたい、とも思うようになった。もっと表現したい。

一方で、今こんなにも幸せな気持ちになっているので、もし、ここで私がコロナとか、不治の病とかで死んだとしても後悔はありません。これ以上の幸せがあるとするならばそれはおまけなんだなと思うことにします。


読んでくれてありがとうございました。



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