SSワードウルフ3-11『メモリー』

『メモリー』
作者:低気圧つら美

「Fカップ」
「え?」
「え?」
 私が驚くと、彼はきょとんとした。
「何ですか急に」
「すいません。思いついたことをすぐに口に出しちゃう癖があるみたいで。よく怒られちゃうんです。よくたまに。ごめんなさい」
 納得がいかない。セクハラを受けた。一瞬頭が怒りで真っ白になる。しかし彼はしゅんとしている。これではまるで私が一方的に攻めているみたいに見える。
彼はただピュアだったのだ。子供がチョウチョを見つけて「チョウチョ」と発語するのと同じだと思った。そして確かに私のバストサイズはFであった。
 こぶしを振り上げる隙すらなく、むず痒い。彼とは初対面だ。婚活パーティーなのに一人隅にいて、品定めするかのように人を眺めまわしていた。近寄りがたい危険人物。ああ、どうして声なんかかけてしまったのだろう。
「そうやって女性の、その、胸を眺めていたのですか?さっきからずっと」
 声を潜めて聞いた。彼にぐっと近寄る形になった。
「そういうわけではないんですが。あの、お母さんが昔から言うんです。人をじろじろ見ちゃダメだって。こんな場所だと、逆にダメって言われたことを意識しちゃって」
 なんだか恥ずかしそうに打ち明けた。ピュアだ。いや、ピュアか?
「なんでも数えちゃう癖があるんです。時間も、歩数も、人の大きさも。距離とか面積とか。温度、湿度。数字に置き換えられるものだったらなんでも。だから、すいません」
「バストのサイズを言うのはやめたほうがいいよ。身長も体重も。全部」
「ですよね」
 悲しそうな顔。ピュアだ。悪い人ではない。
 結局、しばらく二人で話をした。どうやら高校で数学の教師をしているらしい。似合っている。
 どうして彼はここに来たのだろうか。なんて考えて自分の連れのことを思い出した。心細いから一緒に来てなんて言ってたくせに、開始早々私を放置して人波に消えて行きやがって。
 いた。バーカウンターで酒を注文している。目が合うと眉をひそめて小さく首を左右に振った。そうか、良いヒトはいなかったか。
 彼女は私の隣の男性を認めると、今度はにんまりと笑った。違う、そんなんじゃない。
 彼女は再びやる気を取り戻したのか、またあれこれ渦巻く人波へダイブしていった。
 細目で吊り上がった目がコンプレックスだ。人を避けるのか、だれも私に声をかけて来ない。昔から怖がられるたちだ。
「あの、私のこと怖いですか?」
「え?質問の意図がわかりませんが」
「昔から目つきが怖いって言われて」
 彼がじっと私の目を見る。何か納得したようだ。多分長さとか角度とかを測ったのだろう。
「どう?怖い?」
「データが不足しているので。人相の論文とか本とか読んでみないことには」
「あはは。いい、いい。そこまでしなくて。ありがとう」
 笑うでしょうこんなの。
 彼は結婚なんかできない。ここにいる人たちとは別のスケールで物事を見ている。婚活はそんなに甘くない。
 結局この日は、数学の彼と一番話が盛り上がった。ただそれだけの日だった。ただちょこっとだけ世界を見る目が変わった。
 その後彼に会うたびに世界がどんどん面白くなっていった。腹の立つこともあるが、指摘すると直す努力をするのでまあ許そう。彼もまた世界を再構築しているのだと思う。

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